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鈴木さえ子、シネマ、FILMS関連の7インチコレクション(13枚)



シネマ「グッバイ・ハートブレイク」(1980)

80年4月にリリースのデビューシングル

A面「グッバイ・ハートブレイク」
作詞:荒木とよひさ/作曲:松尾清憲/編曲:鈴木慶一
B面「電話・電話・電話」
作詞作曲:松尾清憲/編曲:鈴木慶一

ジャケに記載はないが、A面はコーヒーゼリーのCMソングだったそうで、YouTubeにCMがないか探してみたが、見つけられませんでした

どちらかと言えば、B面「電話・電話・電話」の方が好きだが(Spotifyの再生数も1番)、今思えば昭和は電話の歌が多かった、最近では電話の機会も減り、電話の歌詞も少ないのではなかろうか、例えばこれが「メール・メール・メール」とか「LINE・LINE・LINE」だとしまらない、「電話」という語感や響きも歌詞としてハマりやすかったのだろう、「ダイヤル」とか

ジャケに写っているのは2人ですが、ここからメンバーの増減など紆余曲折があり、5人になって翌81年2月に鈴木慶一プロデュースでアルバムMOTION PICTUREをリリース




FILMS「TV PHONE AGE」(1980)

80年11月25日リリース

A面「T.V. PHONE AGE」
B面「CRUSH KIDS」
作詞作曲編曲:赤城忠治

ファーストアルバムMISPRINTの先行シングル

「ス」なのか「ズ」なのか問題、ムーンライダーズも長いこと「ス」だと思われていたが、最近は「ズ」で定着している、英語圏であれば正解は1つなので、こういう問題は起こらないのだが、日本だと発音が曖昧でジャケとか媒体によって「ス」だったり「ズ」だったりするのでややこしい、フィルムスは「ス」だと思っていたが、ジャケをよく見ると「ズ」になっているのが悩ましい、コレどうでもいいと思う人は思うんでしょうけど

1980年はまだ「T.V.フォーン」が現実のモノではなかった、20世紀も終わり、SkypeやFaceTimeやLINEで「T.V.フォーン」が現実のモノとなったが、いつなんどきも「T.V.フォーン」で会話すると思いきや、そうでもなかった、人間はまだ嘘をつきたかったので(歌詞参照)、声だけの電話でもなく、文字でやり取りする「チャット」というモノが常態化した、「長電話」ならぬLINEでの「長チャット」、そしてダイヤルミスではなく、世界の不特定多数を相手に「T.V.フォーン」をして金を稼ぐことも可能になった




シネマ「君のプリズナー」(1981)

宮崎美子自身のデビューシングルは81年10月、まだ先です

A面「君のプリズナー I WANNA BE YOUR PRISONER」
作詞:糸井重里/作編曲:鈴木慶一
B面「スイッチ・オン LET'S SHOW BEGIN」
作詞:松尾清憲、一色進/作曲:松尾清憲/編曲:鈴木慶一、シネマ

80年4月のデビュー曲グッバイハートブレイク以来のセカンドシングルはおそらく1981年1月リリースで、2月1日リリースのアルバムMOTION PICTUREからの先行シングルになるいまのキミはピカピカに光って(以下「ピカピカ」)に続く宮崎美子出演のミノルタのCMソング、よってジャケも「ピカピカ」同様に宮崎美子の写真になっている、いくらCMソングのレコードとはいえ、当時でもCMタレントが堂々とジャケになっているのは珍しいと思われる(資生堂のプロモ盤とかならともかく)

「ピカピカ」、80年6月21日リリース、オリコン9位

A面は「ピカピカ」に引き続き糸井+慶一コンビの曲でB面はシネマのメンバーのナンバー、どちらも良曲

シネマはファーストアルバムMOTION PICTUREリリース後にシングル1枚リリースして突然の解散、その後2007年に復活してセカンドアルバムをリリースし、以後不定期活動中




シネマ「雨のチャイナタウン」(1981)

アルバムの後に新曲シングル出して解散はフィルムスと同じ?

A面「雨のチャイナタウン」
作詞:シネマ、山川啓介/作曲:松尾清憲/編曲:鈴木慶一、矢野誠
B面「おかしなレディキラー」
作詞作曲:松尾清憲/編曲:鈴木慶一、シネマ

81年2月にアルバムMOTION PICTUREとシングルカット君のプリズナーをリリースし、その3ヶ月後の5月にアルバム未収録の新曲「雨のチャイナタウン」をリリース、そして約半年後に解散するので、これが第1期のラストリリースになってしまった、後にベスト盤CDが出た時にこのシングルも収録されたが、現在聴けるSpotifyでは、この2曲だけ聴けない〜!




FILMS「Girl」(1981)

81年6月1日リリース、状態が良い盤を何年も探し中

A面「GIRL」
B面「RADIO ZONE」
作詞作曲編曲:赤城忠治

80年リリースの唯一のアルバムMISPRINTの後に出たシングルのA面「GIRL」はアルバム未収録曲(リマスターCDMISPRINTにボーナストラックで収録)、B面「RADIO ZONE」MISPRINTからのカット

ジャケ裏を見ると「GIRL」日本語詞がローマ字になっているのが気になりますが、この感じがテクノポップといえばテクノポップ(の時代)、そして全曲英語のセカンドを作ろうとしてたことのキッカケだったかもしれませんが、Shan-Shan(レーベル)が出来る前のコロムビアには理解を得られなかったようで、終わりかけてたシネマのメンバー(鈴木さえ子など)の加入などの入れ替えありつつ¥ENレーベルに移籍、¥EN立ち上げのラインナップにも名を連ねており、高橋幸宏プロデュースで数曲録音したようですが、諸事情でお蔵入り、近年その未発表音源のリリースがアナウンスされるも再びお蔵入りと一筋縄ではいきません、ちなみに¥ENレーベル高橋幸宏プロデュースのお蔵入りバンドといえばPRICEもいました

個人的にはFILMSシネマプライスの3バンドはメンバーもダブっているしゴッチャになりやすいです、ハルメンズハッカ少年ホームランズの3バンドも同様




鈴木さえ子「I wish it could Be Christmas everyday」(1983)

通常の7インチより縦が1cmほど長いサイズが謎

A面「I wish it could Be Christmas everyday」
作詞作曲:鈴木さえ子/編曲:Psycho Perches
B面「蒸気のたつ町」
作詞:鈴木博文/作曲:鈴木さえ子/編曲:Psycho Perches

83年7月21日リリースのファーストソロアルバムI wish it could Be Christmas everydayからのプロモオンリーシングル

同年11月にクリスマスに合わせてシングルカットされているのだが、それ以前にアルバムが出るタイミングで7インチが配られていたことを近年知ることになる

黒盤ならぬ白盤に設立ホヤホヤのdear heartのレーベルデザインが意図せず赤でクリスマスの御誂え、そしてB面曲が後のシングルと違うことが重要、もともとレアで入手困難なので、B面がシングルと同じ「フィラデルフィア」なら早々に諦めモードになるのだが、曲が違うので諦めずに探し続けなければならなかった…




鈴木さえ子「毎日がクリスマスだったら」(1983)

83年11月21日リリース

A面「毎日がクリスマスだったら」
作詞作曲:鈴木さえ子/編曲:Psycho Perches
B面「フィラデルフィア」
作曲:鈴木さえ子、鈴木慶一/編曲:Psycho Perches

83年7月21日リリースのアルバム毎日がクリスマスだったらよりタイトルチューンのクリスマスに合わせたシングルカット

リリース当時は知らなく、最初はアルバムをレンタルしてきてカセットにダビングして聴いてたと記憶、ちゃんとレコードを買ったのは次の科学と神秘からで、コンサートはさらに次の緑の法則からなので、83〜4年のLIVEに今思えば行っておけば良かった(ってまだ中学生だから、金銭的にもそんなに色々行けない)、このシングルもだいぶ後になってシングルカットされてたことを知るわけだが、カセットで聴いてて後回しになってたアルバム毎日がクリスマスだったらはいつの日か中古で買ったが、それがもう80年代だったか90年代だったかも覚えていない、CDでも持ってるので、CDで買う前の80年代かもしれない、このシングルは近年入手したが、やはりシングル用撮り下ろしジャケがいいね

B面「フィラデルフィア」もカッコイイ、立花ハジメ風にいうとカッチー




岩崎工「Mein Schatz 心の叫び」(1983)

下部折れ線を内側に折り込むスタイル

A面「Mein Schatz」
B面「Myron」
作詞作曲編曲:TAKUMI

83年11月25日リリースのアルバムMEAT THE BEATのプロモオンリー7インチ、7インチシングルのプロモ盤(商品盤の見本盤)は当たり前のように存在するが、12インチシングルのプロモ用7インチやMEAT THE BEATのようにアルバムからのシングルカットがないプロモオンリー7インチは7インチを集めている人間にとっては堪らない醍醐味、しかもどの作品にも制作されるわけではなく、そもそも存在するかどうかもわからない、プロモ盤ゆえディスコグラフィには載らず、プロモ盤ゆえ配布されたメディア先で廃棄される可能性も大ということで、自慢ではないのですが、単に人気があって皆が欲しくて高いレコードという他にこのような盤の価値がコレクションしてない人にも伝われば幸いです

アルバムのプロモ用としても何の曲を選ぶのかが重要になってくる、A面「心の叫び」レーベンブロイ(というドイツのビール)のCMに使われたことから選ばれた(のではないか、但し実際シングルカットするほどでもなかった?)、B面「マイロン」はクレジットは無いものの、自分が当時MEAT THE BEATを買うキッカケになった車のCM曲でありました

JULLANと同じくSound Design Recordsの作品でオリジナルリリースのみ、CD化もサブスク解禁もされていない





鈴木さえ子「恋する惑星」(1984)

84年6月5日リリース

A面「恋する惑星」
作詞:佐伯健三/作曲:鈴木さえ子/編曲:Psycho Perches
B面「nightmare」
作曲:鈴木慶一、鈴木さえ子/編曲:Psycho Perches

両面ともアルバム科学と神秘からの先行シングル

A面「恋する惑星」のコーラスは大貫妙子EPOが参加のdear heartオールスターズ

当時東京では観られないはずのテレビ神奈川(UHF)がノイズ混じりで受信出来たのですが、そこで当時まだまだ少なかった邦楽(J-POPという言葉はまだない)のPV(現在はMV)だけを流すミュートマJAPAN「恋する惑星」(監督:立花ハジメ)がかかったのを録画したのものの、実際シングルで出てたかどうかは当時は知らなかったかもしれない、そしてそのPVが頭にあったので、このシングルもアルバムヴァージョンと変わらないのかと思いきや、イントロのシーケンスが丸々カットされててキンコンカンコン(☜頭の悪い表現)から始まるのであった、改めてちゃんとノイズのないPVをYouTubeで見直したら、コメント欄にタカラブネに使われたとあり、調べてみたら神戸のメーカーで、83年のクリスマスケーキのCMソングとして作られたのが先だというのがわかり、そのCMもYouTubeで観れて、クリスマスケーキ用の歌詞も確認、それをオリジナル曲として改良したのだったと今更わかったこの事実

B面「nightmare」はシングル「毎日がクリスマスだったら」パターン同様にインストのオリジナル曲、これも何かのCM曲だったような… ググっても分かりませんでしたが、兎に角チキンラーメン他、沢山のCM音楽を手掛けているので、ありそうでなかったCM音楽集をリリースするべきでしょう!

アルバム毎日がクリスマスだったら科学と神秘はサブスク未解禁、何が問題か分かりませんが、とっととヨロシク〰️



松尾清憲「愛しのロージー」(1984)

1984年10月25日リリース

A面「愛しのロージー」
作詞:秋元康、松尾清憲/作曲:松尾清憲/編曲:白井良明
B面「サンセットドリーマー」
作詞作曲:松尾清憲/編曲:白井良明

見本盤は発売日が記載されてる場合があるのでデータ的に有難い、もっとも翌年あたりからはレンタル用にジャケに日付が入ってくる、そしてバーコードも入ってくる

既に80年代には珍しくなりかけてた、古き良きかつてのポップスマナーをふまえた3分間の名曲、CMやラジオでヘビーローテーションされていた記憶でヒットしてほしかったけれども、残念ながらおニャン子前の秋元康パワーも及ばず




鈴木さえ子「夏休みが待ち遠しい」(1985)

85年6月10日リリース

A面「夏休みが待ち遠しい」
B面「Come Wonder With Me (The End of Summer Mix)」
作曲:鈴木さえ子/編曲:Psycho Perches

85年のサードアルバム緑の法則からの先行シングル、A面はインストで原曲は松田聖子が出てたSONYウォークマンのCM音楽

B面「Come Wonder With Me」THE END OF SUMMER MIXということでシングルヴァージョン、リマスタCDにボーナスで追加された

さて、自分が初めて鈴木さえ子のコンサートに行ったのは緑の法則リリース時でありまして、当然のようにアルバム1曲目の「夏休みが待ち遠しい」で幕開け、ジャケと同じく鈴木さえ子が自転車に乗って袖から登場したオープニングが思い出深い、場所は日本青年館でしたが、そこから3年連続で日本青年館の鈴木さえ子コンサートに行きました、それ以来ソロコンサートってない気がするんですけど、どうでしょう? であれば約40年ナシってことで、夏休みよりソロコンサートが待ち遠しい




鈴木さえ子「Happy End」(1986)

86年7月5日リリースの12インチシングルのプロモオンリー7インチ

A面「Happy End」(STEREO)
B面「Happy End」(MONO)
作詞作曲:鈴木さえ子/編曲:Psycho Perches

83年毎日がクリスマスだったら』、84年科学と神秘』、85年緑の法則と3年連続でアルバムをリリースしていましたが、86年は12インチシングル1枚のリリースのみ、しかし例年通り?日本青年館でのリリースLIVEは行われたので観に行きました

顔切り抜きジャケよりかは中面の白黒写真をジャケにした方が良かったと思うのですが、おそらくインパクト優先だったのでしょう、ソロでアルバム3枚リリースして、ここらでヒット曲を出して、既発そして次作アルバムの売上向上を目指すといったレコード会社の意向を最大限に受け止めた渾身のポップソング、といったら大袈裟でしょうか

商品盤はこのごろ流行りの12インチだけれども、ラジオ局へ配るのは扱いやすい7インチの方がいいというわけで、当時のラジオはFM局がNHKとFM東京しかなく(東京地方の場合)、特にFMの番組は番組毎にコンセプトがきっちり決まっており(よって予め選曲も決まってることが多く、FM誌の番組表掲載が成り立った)、今のようなフリートークで新譜をかけていくような番組は少なかったような印象なので、プロモーションのメインはAM局となり、AMといえばモノラル放送なので、もともとSTEREOのレコードをMONOでかけられるよりかは最初からMONOミックスを作ってガツンとかけてもらった方がより音が前に出てインパクトが与えられるといったわけで(そして有線放送もMONOだった?)、単なる商品盤のサンプルを配るよりかは一手間かかっているのでした

そんな事情は重々承知ながら、それらは関係ない現在DJでかけたい自分としてはB面が12インチのカップリング曲のDear Waltだったら最高だったなと




BOX「風のBad Girl」(1988)

88年4月21日リリース

A面「風のBad Girl」
B面「Temptation Girl」
作詞作曲:松尾清憲、杉真理/編曲:BOX

88年5月5日リリースのアルバムBOX POPSの先行シングル、この88年の春というのが微妙で、2月から8cmCDというものが出始めて、7インチシングルが終ろうとしていた時期である、よって88年4月のこのシングルは8cmCDのみ、或いは7インチはプロモだけという可能性もあったが、8cmCDと7インチが同時発売だったので入手

記憶では、THE BEATNIKS高橋幸宏鈴木慶一)の2人がゲスト出演した松尾清憲のラジオ番組がビートルズの好きな曲をかけ合う内容で、そこで初めてGlass Onionなどのマニアックな曲を知りつつ、タイミング的に初CD化されたビートルズのアルバムを全部揃えた頃に「Temptation Girl」を聴いたので、そのビートルズフリークなサウンドの意図をすぐに理解出来た思い出があります(エンジニアはYMO関係でお馴染みの飯尾芳史



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