『優しい歌』──生まれ変わった妻との最初の出会い
脳出血による、失語症や半身麻痺という重い後遺症により妻は、
「人として生きていく」ことのすべてを奪われていました。
けれど、妻が最初に見せてくれたのは、
言葉でも、記憶でもなく、
『人としての優しさ』でした。
ICUを出て、急性期病棟へ移ってから、
まだ間もない頃。
妻は、ほとんどの時間をベッドで過ごしていました。
右半身は完全に麻痺ーーー
首もまだ座らず、後頭部まで支える、
大きな背もたれのある車椅子に、座っていられる時間も限られていました。
目は開き、意識もあるように見える。
けれど、私のことも、子どもたちのこともわからず、
自分が誰かさえ、まだ理解できていないようでした。
言葉も出ませんでした。
失語症により、発語の一切ができなくなっているためでした。
⸻
私は、妻の脳に刺激を与えるため、
できることをやろうと思いました。
毎日、話しかけて、好きだった本を読み聞かせ、よく聴いていた音楽をイヤホンで流し続けました。
ただ──
そのどれにも、反応はしませんでした。
私が何をしても、どこか遠くを見るような表情のまま。
その日もまた、そうした一日が終わろうとしていました。
⸻
消灯まで、あと1時間という頃ーーー
他の患者たちも自室に戻り、病棟は静まり返っていました。
私は、ベッドに横たわる妻にイヤホンをつけて、音楽を聴かせながら、
ベッドの手すりにもたれたまま、
いつの間にかウトウトと眠ってしまっていたようでした。
⸻
🎵〜🎵
ふと小さな鼻歌が、
どこかから聞こえた気がしました。
妻が歌えるはずもないのに──
気づくと、
妻の左手が、私の頭を、ゆっくりと、
優しく撫でていました。
⸻
私は息を潜めました。
気づかれたら、その手が止まってしまう気がしてーーー
そのまま、寝たふりを続けました。
それは、ほんのわずかな時間でしたが、
あまりの嬉しさで、私の胸は熱くなっていました。

⸻
その聞こえたような気がした鼻歌と、
優しく撫でてくれた手。
それが──
壊れたあとに、
もう一度出会い直した、
妻との
『最初の会話』
だった気がしています。
【優しい歌】──生まれ変わった妻との最初の出会い【完】
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