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『お見舞いの記録と記憶』── 病院に通い続けて、分かること



 妻が脳出血で倒れてからというもの、私は入院中のほとんどを病院で過ごしました。

 おそらく──医者や看護師を含めても私はその病院に、誰よりも長くいたのではないかと思えるほど。

 ただ、それだけの時間と労力を費やしたおかげで、私は「お見舞い」という行為について、自分なりに分かったことも多かった気はしています。

 もちろん、あくまで「妻のお見舞い」「あの病院で」「あの環境下で」という条件付きですが──。


 この記事では、私が経験した、その膨大な「お見舞い」の日々を少しだけ、
振り返ってみたいと思います。




【妻の入院期間】
• ICU(超急性期病棟)……14日
• 急性期病棟…………………45日
• 慢性期病棟…………………165日


合計:224日


妻は脳出血の重症度から、その制限ギリギリまで病院での生活を続けました。

私は、そのすべての期間、
ほぼ1日も欠かさず病院に通い続けています。

当時はまだコロナ禍以前。

マスクも不要で、面会時間も長く、
さながらテーマパークのように「日中の大半が滞在可能」な環境でもまりました。



【お見舞い】という行為について


正直に言えば──
【お見舞い】は疲れます。

とくに長時間の見舞いは、帰るころには毎回ぐったり。
「何もしていないのに、なぜこんなに疲れるのだろう?」と、不思議に思ってもいました。

ある看護師さん曰く、
「病人がいる場所だから、生気が吸い取られるんですよ」
──などと。まことしやかに。


けれど私にとっての最大の原因は、
やはり「気疲れ」だったと思います。

常に妻を見守りながら、
周囲の患者、看護師、スタッフに気を遣い続ける。その緊張が心身を消耗させていたのかと。


そして、【お見舞い】は暇です。

話せない妻との会話には、当然ながら限界があり、毎日来ていれば、5分もあれば会話の内容は尽きてしまう──

そこからは逃れられない、「長い沈黙」。


他の患者さんを見ていても同様に、

それほど親しくない相手へのお見舞いは、開始直後に話題が尽きがちで、
すぐに切ない静寂に包まれる。


中には、「じゃあちょっと、何か買ってくる」「トイレ行ってくる」などと理由をつけて、来て早々に席を外す人も。

そして──
患者側もまた、「あー早く帰らないかな」と思っていることが、実は少なくない。

面会が終わったあと、
「あー、やっと帰った」と患者がこぼすのを、私はその横で何度か耳にもしています。


さらには、見舞いに来てすぐ口論する夫婦、看護師や医師を捕まえて怒鳴る家族、
大声で武勇伝を語る友人──などなど


病院は、患者だけでなく、そこに集う人々の、さまざまな「人間模様」が詰まった場所でした。



私が通い続けられた理由


私が200日以上にわたり、
妻を見舞い続けることができたのは、
単なる「愛情」だけではありません。


それは、妻の介助者として必要とされていたこと、
そして何より、妻自身が私を心から待ってくれていたからでもありました。

「ご主人、今日来るの遅いから、奥さま、何度も『何時に来るの?』って聞かれましたよ」

そんな言葉を看護師さんから聞かされるたびに、胸がキュンとなり──
単純なもので、、

疲れも忘れて、また病院へと足を運んでいました。

行く前は、妻の顔を見るのが楽しみで。
でも帰る頃には、ぐったり。

そんな日々を200日以上、繰り返していました。




それでも──
楽しかった、懐かしいという感情は、
およそ10年経過した今もなく。



ただ、

もう一度やりたいとだけは、
一ミリも思うことはありません──




『お見舞いの記録と記憶』── 病院に通い続けて、分かること【完】




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