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崩壊前夜




10年前の1月──


その電話は、
すでに脳出血を発症した妻からでした。



『お風呂の入り方が分からない──』





それまで当たり前だった日常は、
あっさりと崩れ去り、



学生時代から知る妻には、
二度と会うことはできなくなりました。



この話は、その電話が、
掛かってくるまでの日常です。





それは妻が、
倒れる数日前のこと──


12月も暮れに差し掛かり、

看護師をしていた妻は、
いつも以上に忙しい日を過ごしていました。



つい先日は妻の念願だった、
難関の認定看護師の試験にも合格していました。


その喜びを胸に、
さらに仕事へのモチベーションを高めていた時でもありました。


『おめでとう! すごいねえ』

『本当に頑張ったね!』




──それまで大変だった妻の姿を
見てきた家族の全員が、

妻の合格を笑顔で称えていました。



普段は嬉しいことを
あまり表に出さない妻も、


そのときばかりは、



『いえーい! 受かりましたー!』


──と、
その喜びを爆発させていました。





それは忙しくも、
いつも以上に賑やかな年末。








──その年の瀬。


毎年、お正月には、
妻の手作りのお節料理が並びました。


これまでも元日を迎える何日も前から、
準備を始め、

すべて一人で作っていました。



その年の12月は例年より寒く、

病院はどこも、
患者で溢れ返っていました。



とくに妻が勤務していた小児科は、

インフルエンザや風邪を
ひいた子ども達でいっぱいで、



妻の勤務も連日のように、
残業が続いていきました。



それでも妻は、病院と家を往復して、
満足に睡眠すらとらず、


わずかな隙間時間に、

年末年始のお節料理を
準備していました。





──その大変そうな妻を見かねて私は、


『今年はお節料理は、
作らなくていいから。少しは休みなよ』



けれど妻は、
そんな言葉には聞く耳を持たずに、


忙しい日々を
変わらずに続けていきました。



その頃、私が気になっていたのは、
妻が「頭が痛い」と、
よく訴えるようになっていたことでした。



もともと頭痛持ちではあったものの、
私から見ても明らかに、

その症状は日に日に増しているように見えました。


……きっと寝不足や疲労のせいだろう。
だから休めばいいのに。




私はまだ、

その程度にしか、
考えていませんでした。



──けれど、その時は、
確実に近づいていました。









お正月も終わり──



三が日を過ぎると、
妻はすぐに仕事を再開しました。



ときおり頭痛を訴えてはいたものの、
外見上は変わりなく見えました。


そして私の仕事も始まりました。




その日は新宿で全体会議があるため、
私は朝から家を出ていました。





──会議は退屈で、


夜勤明けで自宅にいた妻と、
LINEで何度かやりとりをしました。

『会議ひまだよー。つまらないよー』

『大変だねー。お仕事頑張ってー!』




その会議が終わる前には、
同僚から飲みに誘われていたため、



『今日は飲んで帰るよ』

と妻に送信。



既読になったまま、
返信はありませんでしたが、

それを特に気には留めませんでした。


──それが妻との、
最後のLINEになるとは知らずに。





同僚と新宿の繁華街に、
向かって歩き始めた時。




──あの『着信』




その日は1月10日。


街にはまだ、お正月の空気が、
色濃く残っていた頃でした──








崩壊前夜 【完】


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