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『介護への道』──話せない会話を二人で重ねて





当時の私たちは、

こんなふうにして日々と、
向き合っていました。




失語症の妻が『アー』と発してから、
既に一カ月ほど経過していましたが、


妻とのコミュニケーションは、
まだまだ困難を極めていました。

妻のIQは、25以下(およそ3〜5歳児)
と判定を受けていました。



当時の妻は、自分の名前はおろか、
子どものこと、私のことすらも、
混乱を来たしていました。


そもそも自分が入院していることや、

ここで何をしてるのかも、
よく分かっていない状態が続いていました。

特に酷かったのは、

数字を司る機能が著しくやられており、
『1+1 』が分かるまでにも、

それからも相当な時間を要しました。







実は、その部分に関して言えば、


およそ10年近く経った今も、
大きくは変わっていません。

計算能力はやや向上はしたものの、
それでも小学1年生並みか、
それ以下を未だに維持しています。


日常生活における、

数字に関係した日にちや時間などは、
妻とのコミュニケーションにおいて、
尚も苦手なままです。




振り返って、あの当時。


そんな中でも妻は──

『カタコト』にもならない言葉を話そうと、
必死に頑張っていました。



言葉だけでなく、
その内容も支離滅裂なため、

当時の私が妻とコミュニケーションを図れるようになるまでは、


本当に大変でしたが。



しばらくの間は、

妻から発する『アー』、『ウー』だけで、
何を言いたいのかを知る必要があるため、


全てを先読みをしながら、
それを察する以外に、
『妻と通じる』ことができませんでした。


そのせいか、

私はかなり頭を使うため、
1日が終わる頃には、

グッタリと疲れ切っていました。


けれど、言葉を失っても、

それを懸命に取り戻そうとしたり、
文句すら言えずに頑張ってる妻の姿は、


本当に『健気で微笑ましい』ものでした。



妻との、
そんなリハビリの日々を通じながら、

それまでに経験したこともない、

一緒に頑張っているような充実感が、
私にはありました。






毎日が厳しい日々でしたが、
その日のリハビリが終わる時には、


『また明日も、一緒に頑張ろうね』



そう言いながら、
私は前向きでいられ続けられました。



それは妻の頑張りがあったからこそ。
──他には、ありません。



話せなくても、
体が不自由でも、


私のことも分からなくても──




やっぱり『妻』は、


『私の知る妻』でした。





第二章

『介護への道』
──人として目覚めるとき

【完】



※本作品は全て、
実際の体験をもとに構成されています。



▼前回の話






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