自己紹介│50代後半│毒親の介護│はじめてのnote
はじめまして。響 律人と申します。
たくさんある記事の中から私を見つけて頂きまして、
ありがとうございます。
父だけの介護を12年、両親の介護を2年、母だけの介護を5年、
合わせて19年両親の介護をしてきました(現在も母の介護継続中)。
両親の介護の前も、職を転々として、
人様にお話できるような経歴も肩書もないのですが、
私の人生の中で考えたことが、もし、どなたかの役に立つならと思い、
はじめてnoteを作成することにしました。
1/4 簡単な経歴
幼児期よりネグレストの母のため、朝食抜き生活。
給食がない中学以降、弁当は作ってもらえず、昼食用の食費も少なくて、
昼食も少ない生活になり、しんどくて学校を休みがちになる。
このころからずっと「いつ死ぬかわからない」と思いながら生きる。
高校、大学時代は吹奏楽部。
人懐こい性格のため、授業は休んでも部活は行う。
就職氷河期1年目。体がもたず職を転々とするが、
そのうちに就活しても人事の人に履歴書で笑われたり説教されたりして、
就職する気がなくなり自宅でできるアフィリエイターになる。
2006年05月父が脳内出血で倒れ、
病院通いとその後の自宅介護生活が始まる。
父が倒れ、介護のために介護職の方々が家に来訪されることを機に、
ネグレストの母を説得しながら、ゴミ屋敷だった家の中を片づけ、
食生活も1日3食おかず付きになるようにする。
2020年11月 要介護5だった父が亡くなる。
2025年11月現在、両親合わせての介護生活は約19年になる。
2/4 簡単な両親の紹介
両親ともに昭和9年の戦前生まれ。軍国少年世代でした。
父は母に子育てや教育を任せていました(放任主義を自認)。
また、父は自営業で得意先との付き合い(接待)が多く、
朝帰りが多かったため、
その生活に合わせていた母は、子供に朝食を作りませんでした。
両親は、子供が学校に行った後に朝食を食べています。
家は貧乏ではなかったのですが、お金をケチるところがあり、
戦前思想が残っていて、
「少々、食べなくても死なない」と思っていたところがありました。
また、「親はなくとも子は育つ」という考えを持っていました。
宗教を介して結ばれた母は父の前ではいい女性だったと思うのですが、
子供に対しては、「従わせるもの」と思っていました。
私には姉がいます。
姉は気が強かったため、母に叩かれても動じないタイプで、
私はその叩かれている姿を見て、
叩かれないように母に気を遣うようになります。
「あんたが好き好んで生まれてきたんや」
「子供がいなかったら誰が介護してくれるんや」
と、母に言われて育ちました。
母に間違っていると言うとほっぺたを30分以上つねられ、
「謝るか、謝るか」
「おねえちゃんのときはお尻を叩いてたから手が痛くなった。
そやしあんたには、ほっぺたをつねることにした。」
これが、痛くて痛くて、少しでも反抗したら、
この母親なら私を殺しかねないと思うようになりました。
3/4 なぜそんな親を介護しているのか
私はずっと家を出ないと生きていけないと考えていました。
でも、体が弱く仕事ももたず、家を出ることさえできないでいました。
そんなとき、自宅で父が脳内出血で倒れました。
というか、深夜に母に呼ばれて見た姿は、
「赤黒い顔をした父が
布団の上で、魚のようにぴちぴち跳ねてる」姿でした。
父が倒れる前、父とも仲が悪くなっていたので
正直に言えば、ほっておくという手もありました。
でも、次の瞬間に「人の命を私が左右するのは嫌だ」と考え、
救急車を呼びます。
そのあとはいろんなことが脳裏をかすめましたが、
両親を反面教師にして物事を考えてきた私は、
「人にされて嫌だったことを人にするのは嫌だ」ということでした。
そこで考えたのが、
私がする介護の姿から
「子育てはこうするものだ」とわかってもらえるようにすることでした。
食事は、朝昼晩3食おかず付きで
タンパク質、炭水化物、野菜のバランスをとりながら30品目を目指すこと。
毎日、父のリハビリをして、運動機能を維持すること、
大人の塗り絵や昭和歌謡、落語、その他動画などを介して、
父の子供のころの思い出や考えていることを聞いたり話したりすること。
「食べること」「しっかり運動すること」「頭を使うこと」
そしてそれらが楽しくできることを目指しました。
私の体が弱いため、やりだすといろいろとしんどくなり困っていましたが、
ネグレストだった母も、
私の姿を見かねて朝食と夕食はしてくれるようになりました。
私は父の介護をしているとき、
「親やからやってるんやない。人としてほっとけないからしてるだけや。」
と14年間言い続けましたが、
父が亡くなるちょっと前に過去の出来事を話し、どう思うか聞きました。
私が思っていた「子育てはこうするものだ」
ということはわかってもらえていなかった様子で、
父としては「自分はちゃんとした親だった。」
「親の介護を子供がするのが当たり前」ということのようでした。
4/4 このnoteで皆様にお伝えしたいこと
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
自分のことを赤裸々に話すということは、
みすぼらしい人生なので、とても恥ずかしく思うのですが、
最初の数本の記事は両親のことや私のことについて書こうと思っています。
そのあとは、そういう経験から生まれた社会に対する疑問を
社会を構成する個人の心理や、集団になった場合の心理面、
また、社会の構造上の問題の側面から考えた私なりの答えを書きます。
社会のあり方に疑問を抱いていたり、
社会を良くしたいと思われている方々の何かのお役に立てれば幸いです。
自己紹介の続きになります。
両親それぞれについて書いています。
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