🛑ろろろのめ第41回 rockin'on sonic 2026 失敗の本質と実現可能な代替案
🛑 rockin'on sonic 2026 失敗の本質と実現可能な代替案
1. 失敗の本質:構造的コスト優先主義とロッキズム
rockin'on sonic 2026(以下、ロキソニ2026)を巡る一連の議論は、ブッキングの是非を超え、日本の音楽メディアおよびライブ産業が抱える構造的な欠陥を露呈させた。その失敗の本質は、「頭を使わない工夫の欠如」と「ロッキズムに基づく思考停止」にある。



(1)致命的な日程と会場流用の病理
ロキソニ2026が1月4日という日程で開催されるのは、年末のCDJの会場を流用し、施設費を抑制するというローカルで内向きな経営上の都合による。施設費優先の結果、動員戦略上、極めて不利な状況を生み出した。
市場の無視:
翌日が仕事始めである社会人(シニア層)の参加を妨げ、共通テストが控える若年層の動員にも限界を生じさせる。
結論:
施設費をいくら抑えても、人が来なければフェスは続かない。運営の判断は、目先のコスト削減のために、将来の観客の信頼と動員力という最大の資産を失う行為に等しい。
(2)ロッキズム的な傲慢さとハラスメント
思考停止のラインナップ:
Underworld、Pet Shop Boysといったアクトは、ロックメディアが「OK」と承認してきた「ロッキズム的な承認リスト」に基づくブッキングであり、思考が過去の成功例で停止している。
「ハラスメント」的発想:
「ずとまよ」で若年層の動員を図りながら、その層に「Pet Shop BoysやUnderworldを聴かせれば洋楽がわかるだろう」という考え方は、若年層の「音楽は音楽」というグローバルな価値観を無視した、メディア側の傲慢な価値観の押し付けである。実際に今の中核を担う客層は「ロックだから」という視点では音楽を聴かずあらゆるポップミュージックと並列して差別なく区別なく音楽を聴いている。2020年代中盤において「ロック」という優位性は完全に瓦解している。
結論:
ずとまよにとってロキソニに出演するメリットもデメリットもなく、このブッキングでは化学変化は起きない。ロキソニが失ったのは、「ロッキズム的な傲慢さ」を捨て、「頭を使って工夫する」という戦略性である。中核を担う客層が完全に変わったのだからその客層に向けてどう届けるかを考える事が急務である。所謂「ロックのお客」という固定概念を捨てて今のロック以外の現場にも赴き市場調査をする必要がある。
2. ロキソニ2026の代替案:予算内かつ見栄えを両立させる「頭を使った」ブッキング戦略
ロキソニが「予算がない」という現実を受け入れつつ、「雑誌、メディアのイメージを守りながらアップデート」し、「新時代感」を創出するための代替案は、以下の「グローバルなオルタナティブ・ポップ/ロック軸」で構築可能であった。この戦略は、高額なレジェンド枠を抑え、勢いのある中堅・若手アクトに「長尺」を保証することで、費用対効果を最大化する。
Wolf Alice (ヘッドライナー) 「長尺(75分以上)の保証」で、海外フェスでの格にふさわしい見栄えを確保。フェスの「質」を担保する。 最高のファン還元と見栄えを実現。

ずっと真夜中でいいのに。 国内若年層の動員を確実に担う。ただし、Rina Sawayamaらと並べることで「世界と戦える邦楽」として文脈を正当化。 動員力を活かしつつ、コンセプト崩壊の批判を回避。
Rina Sawayama 「日本ルーツ/グローバルなポップ」という共通の文脈を創出し、「洋楽/邦楽の分断」を乗り越えた新時代感を体現する。 話題性が高く、見栄えを向上させる。
Men I Trust チルウェイヴ/ドリームポップ。Wolf Aliceの繊細さとずとまよの匿名性に繋がる知的なインディーの文脈を補強。 フェスの音楽的洗練度を向上。

Pale Waves ゴシック/エモポップ。Wolf Aliceのロックの熱狂と繋がり、日本の若いロックファン層の動員を担う。 低コストで、UKロックのイメージを若くアップデート。
Mei Semones 日系ルーツのジャズ・インディー。ずとまよ/Rina Sawayamaとの「日本ルーツの繋がり」という文脈を完成させ、多様性を確保。 最も費用対効果が高く、「頭を使った」ブッキングの象徴。(2026年1月20日からジャパンツアーが始まる)
他にもLovejoy、Mitski、Blood Orange、Soccer Mommy、TV Girl、The Dare等もロキソニのコンセプトに合致する。

Soccer Mommyは2025年12月2日、3日にジャパンツアー中(2025年12月2日現在)
3. 最終結論:保守からの脱却こそが持続の鍵
ロキソニが「2027年もやる予定」というのならば、CDJの会場を流用する「コスト優先」の思考を捨て、「最高の体験」と「文脈の構築」を最優先にする必要がある。
体験の質の優先:
「持ち時間(ギャラ)の増加」を施設費削減よりも優先する。
市場のニーズの優先:
「若年層と社会人が来られる日程」を、会場の流用よりも優先する。
構造的コスト優先主義から脱却し、上記のような「頭を使った工夫」によるグローバルな視点を持つブッキング戦略を実行することこそが、フェスを「続かない」状態から脱却させ、真に「新時代感」を持つイベントへと進化させる唯一の道である。
最後に
「ロックのお客」の中核を担う層は変わっており、今回のOasis再結成のお客の中核はロックとは縁遠い層が来ていた。それは正しい流れであり、今のリスナーは「ロックだから」で音楽を聴いていない。ポップミュージックのひとつとしてロックサウンドがあるだけであり、そこに優位性は一切ない。それこそ「ロックの復権」だと騒がれていたMåneskinのお客さんの中核を担っている層はJustin Bieberやワン・ダイレクションを聴いていた層である。Måneskinは東京ドーム公演を成功させるだろう。ただそれは「ロックの復権」ではなく、Justin Bieberやワン・ダイレクションのようなポップミュージシャンがドームを埋めることと同義になる。ロックとは縁遠い客層が中核を担うのは自明であり証明されている。メディアは「ロックの復権」と盛り上げるかもしれないが、従来のメディアが盛り上げてきた「ロック」は2020年代中盤にはない。この事実に向き合わないと日本の音楽メディアは一生アップデートできず自滅するだけである。もうとっくに音楽メディアが盛り立てていて守ってきた「ロック」はすでに終わっている。リアルな現場を観れば一目瞭然な事実を目を瞑り続けていたら本当に音楽メディアは終わる。今すぐズレていることに気付き猛省し軌道修正しなければならない。視点を少し変えるだけで未来の可能性はすぐそこにある事に気付くはずだ、今の音楽とリスナーをわかっているのならば。

