ろろろのめ第49回 Bad Bunnyは、なぜ日本で待たれているのか。——招待されなかったトップリスナーからの提言
Bad Bunnyは、なぜ日本で待たれているのか。——招待されなかったトップリスナーからの提言
3年連続でSpotifyのトップリスナーとしてBad Bunnyの楽曲を聴き続けている。日常の風景に彼の音楽が溶け込み、もはや人生の不可欠な一部となっている。その実感を抱くリスナーにとって、今回の来日イベントのあり方は、あまりにも残酷で、かつ示唆に富むものだった。



都内の某所(実際には都内ですらなく知ってる場所だったのでショックはより大きい)で行われたというシークレットイベント。その場所は紛れもなく自身がよく知る場所でありながら、招待されなかった側としてその境界線の外側に立たされた事実は、拭いようのない悔しさを残した。会場を埋め尽くしたのは関係者と、その多くを占めるラティーノ・ヒスパニック系のコミュニティだった。彼らにとってBenito(Bad Bunny)は単なるスターではなく、ルーツやアイデンティティそのものなのだと、その場の熱量は雄弁に物語っていた。
「日本でお邪魔している」というアウェイ感。しかし、それ以上に「言語は関係ない、精神こそが共有されている」という確信が胸に刺さる。この感覚を分かち合えたことは貴重な収穫だが、同時に音楽業界に対する大きな疑念も生じさせた。日本の音楽シーンは、いまだに「ロックや一部の英語圏アーティスト」という旧来の枠組みに囚われているのではないか。実際rockin'on 2026年4月号には2025年のサマソニでのラテンビーチステージやK-POPアクトに対して
「盛り下がっていた洋楽ファンの人たちがいて。やっぱり、K-POPだったりとか、ラテン系にいっちゃうんだな?っていうのもあったじゃないですか。」
と「洋楽ファン」はK-POPやラテン系アクトに否定的である事を前提に質問している。
近年の指標を見れば、その保守性は明白だ。3月7日時点でサマソニ幕張会場の通しチケットが完売している現状、あるいはCentral Ceeの豊洲PIT公演が即座に完売し、多くのファンが溢れた事実。これらはすべて、日本のリスナーが「世界基準の熱狂」に飢えていることの証明である。




Spotifyで4度もグローバル首位を獲得し、世界を席巻するBad Bunnyを招聘することに躊躇する理由は、もはやどこにもない。Kアリーナクラスの動員は余裕であり、Travis ScottとYeがベルーナドームで証明したように、ドームクラスの興行を成功させる土壌は、今の日本には確実に存在する。

過去の常識を捨て去り、音楽の多様性を信じてほしい。ロック一辺倒の招聘ではなく、今、世界で何が起きているのかという文脈を正しく評価し、ラテン音楽をはじめとする広範な文化を積極的に取り上げるべきだ。実際同時期3月6日に行われたティモシー・シャラメ×マーティーシュプリームのPOPUPは大盛況でその会場でもBad Bunnyの話題が飛び交っていた。ハリー・スタイルズのPOPUP会場でもBad Bunnyの話題で盛り上がるお客さんも存在し、先日2026年2月19日に行われたPinkPantheressの豊洲PIT公演の会場でもBad Bunnyの話題で盛り上がっている集団もいた。それぐらいBad Bunnyの話題はあらゆる場所でされている事実に目を向けてほしい。







日本の音楽業界関係者に問いたい。豊洲PITを即完売させるリスナーの熱狂や、サマソニのチケットが3月で売り切れるほどの渇望を、まだ「一部の層の話」として無視し続けるつもりだろうか。
Spotifyで4度も世界一に輝くBad Bunnyを招聘することに二の足を踏むのは、過去の常識に縛られた「機会損失」以外の何物でもない。我々リスナーは、招待券など求めていない。対価を払い、会場を埋め尽くし、日本中を熱狂させる準備は、すでに整っている。
Bad Bunnyには、飽きるほど日本に来てほしい。日本でビジネスとして成功できるだけの潜在需要は、すでに数値として現れている。チケットを手にし、会場で音楽に没入したいと願うヘビーリスナーは、確実にこの国に存在しているのだ。
プロモーターは、この熱狂を「個人の叫び」として切り捨てるのではなく、日本の音楽文化をアップデートする絶好の好機として捉えてほしい。
『Bad Bunnyを日本へ。』
その実現を、一人のヘビーリスナーとして心から強く願う。


