北海道共同募金会 1億8000万円横領疑い…『赤い羽根』の善意は、なぜ六年間も盗まれ続けたのか?
世の中には、いろいろな“金”がある。
たとえば、ものづくりの会社があるとする。
自分の会社の財産を元手にして、 知恵を絞って、 汗をかいて、 頭を下げて、 ようやく一円を稼ぎ出す。
それはその会社が、自分の力で生み出した金だ。 誰のものでもない、自分の金だ。
だから、と言ったら怒られるかもしれないが、 その金に少しばかり手心を加えたくなる、 たとえば税金をいくらか軽くしたくなる、 その気持ちは、ダメだとわかっていても、人間としてわからなくはない。
自分で必死に“生み出した金”なのだから。
もちろん、ダメだ。 ダメなのだけれど、その心の動きに、人間味のようなものは、まだ残っている。
ところが、僕が身を置いてきた福祉の世界は、まるで違う。
この仕事の収益は、ほぼ百パーセントが“税金”だ。
利用者一人を支援するその裏側で動いている金は、僕が稼いだ金ではない。 国民のみなさんが働いて納めた金だ。 国民の血税だ。
僕たちは、それを福祉事業を行うために「託されている」にすぎない。
“託された金”には、託した人の信頼が乗っている。 だから、社会福祉法人には厳しい監査があり、厳しい運用のルールがある。
当然だと思う。
社会福祉法人に限った話ではない。
福祉事業を行う、NPO法人、社団法人、営利法人、これらはすべて、自らが金を生み出しているのではなく、託された金で運営している。
人の金を、それも税金を預かっているのだから、 一円だって無駄にしてはいけない。 一円だって、私物化していいはずがない。
適当な運用も、ましてや着服や横領など、僕に言わせれば「万死に値する」。
自分の稼ぎをごまかすのとは、次元が違う。
国民を裏切っているのだから。
これが、僕の哲学、そして出発点だ。

——その上で、今回の事件である。
今回盗まれたのは、税金ですら、なかった。
“募金”だった。
税金は、義務の金だ。 払わなければ罰則がある。 納めなければならない金だ。
それを横領するだけでも万死に値する。と僕は思っている。
だが、募金はその「義務」の、さらに上にある。
誰にも強制されていない。 罰則もない。 払わなくたって、誰にも責められない。
それでも、どこかの誰かが、 困っている人の顔を思い浮かべて、 自分の財布を開けて、 “善意によって自分の意思で差し出した金”だ。
能動的な善意であり、
人の心が、そのまま形になった金だ。
託された税金を裏切るだけでも、許せない。 今回は、その重さの上に、人々の善意がまるごと乗っている。
手を付けることが、絶対に許されない性格の金。 その善意の結晶を、踏みにじった。
だから、これは次元の違う怒りだ。
そして、もう一つ。 この怒りは、金に手を付けた一人だけに向くものではない。
それを六年も見逃した組織と、 それを監督する立場にあった者たちにも、まっすぐ向く。
後半で、そこを書く。
何が起きたのか?
まず、事実を確認しましょう。
北海道で「赤い羽根共同募金」などを運営する北海道共同募金会で、 約1億8000万円の使途不明金が見つかりました。
会のお金を管理していた事務局長(58)が、横領していた疑いがあるとされています。
会はこの事務局長を懲戒解雇する方針で、刑事告訴の手続きも進めるとしています。
きっかけは、横領を疑った内部調査ではありませんでした。
今年2月、札幌国税局が、この事務局長個人の所得税法違反の疑いで会に査察(強制調査)に入り、経理資料を差し押さえた。
その過程で、口座の残高と帳簿の数字が大きく食い違っていることが判明したのです。
つまり、まったく別の入口から、偶然のように表に出てきた。
実際にお金が抜かれていたとみられるのは、令和2年(2020年)ごろから。 約六年にわたります。
会見の詳しい内容は、各社が報じています。 会の説明や弁護士の調査結果がもっとも詳しいのは、次の記事です。
▼会見の詳報(ABEMA TIMES)
ここで一つ、線を引いておきます。
「1億8000万円」は、あくまで現時点での使途不明金の上限の見込みであって、横領が確定した金額ではありません。
会見でも「個々の横領額は、差し押さえられた資料を精査して積み上げる必要がある」と説明されています。 だから本稿でも「疑い」と書きます。
ただ、その「疑い」の中身が、調べるほどに重いのです。
天下の「共同募金会」とは、どれだけ重い存在なのか?
この事件の重さを理解するために、 共同募金会という法人が、制度上どう位置づけられているかを、先に押さえておきます。
社会福祉法第113条は、共同募金を行う事業を「第一種社会福祉事業」と定めています。 この「第一種」という格付けが、実は、とても重い。
社会福祉事業には、第一種と第二種があります。
第二種…在宅サービスや相談支援など、比較的影響の小さい事業。通所事業などもここに当たります。
第一種…特別養護老人ホームや障害者支援施設のような入所施設。利用者の生活そのもの、ときに生命の維持までを丸ごと預かる事業
第一種は、利用者への影響が極めて大きいぶん、 経営できる主体も原則として国・地方公共団体・社会福祉法人に限られ、 強い規制と監督が課されます。
社会のもっとも基礎的なインフラ、という位置づけです。
共同募金は、その第一種に並んでいます。
全道から善意を集めて、地域の福祉へ再分配する。 その機能が、入所施設と同じ格で「社会に欠かせないもの」と国に認められている、ということです。
だから、共同募金会には、見張りの仕組みも何重にも備わっています。
お金の使い道を決める「評議員会」
業務を執行する「理事会」
監査を担う「監事」
一定規模以上なら、公認会計士らによる「会計監査人」
さらに、所轄庁(この場合は北海道)による「指導監査」
2017年(平成29年)施行の社会福祉法改正で、 このガバナンス(組織を律する仕組み)は大きく強化されました。
整理すると、こうです。
最も重い第一種に格付けされ、内部に評議員会・理事会・監事を持ち、外部の会計士の監査を受け、さらに行政の指導監査まで及ぶ。
これだけ何重もの目が、制度上は注がれていた。
それなのに、だ。
報道によれば、この事務局長はおよそ十五年にわたり一人で会計を握り、その間に行われた五回の監査は、ただの一度も不正を見抜けなかった。
五回、見て、五回とも、素通りした。
何重もの目が注がれていたはずの、最も重い第一種社会福祉事業で、である。
なぜ、こうなったのか?
手口は「巧妙」だったのか?——会計の話を、少していねいにします。
会見では、調査にあたった弁護士が、不正の手口を三つ説明しています。
報道はこれを「巧妙」と評しました。
けれど、一つずつ専門的に見ていくと、僕は、その評価に首をかしげます。 本当に巧妙だったのは、せいぜい一つだけです。
一つ目。年度末の「穴埋め」
監査が入る年度末の直前だけ、取引業者や金融機関から一時的にお金を借りて、 口座の残高を「ちゃんとある」ように見せかけ、監査が終わったら返す。
会計の言葉で言えば、決算日という「写真を撮る一瞬」だけ、 貸借対照表(その時点の財産の一覧表)のつじつまを合わせる。 期末の粉飾の、典型です。
これは、巧妙でしょうか。 僕は、むしろ粗いと思います。
会計には、すべての取引を日付順・科目順に記録した「総勘定元帳」という、帳簿の親玉があります。
期末だけ業者から金を借りて穴を埋めているなら、 その元帳には、決算期の直前に不自然な入金が集中し、決算が終わるとすぐ出ていく、 という露骨な痕跡が必ず残ります。
貸借対照表の一点だけ見れば帳尻は合っていても、元帳の流れを追えば、隠せない。
会計の専門家でない僕でさえ、通帳と元帳を突き合わせれば「これは、おかしい」と引っかかる。 それくらい、あらっぽい。
巧妙だったから見抜けなかったのではない。誰も、突き合わせなかっただけではないか?
二つ目。理事会議事録の偽造による借入
理事会が承認していない議事録を独断で作り、 それを使って金融機関からお金を借りていた。
ここで、考えたいことがあります。
法人が金融機関から融資を受けるには、ふつう、 理事会の決議を示す議事録だけでなく、代表者である理事長の実印や印鑑証明が要ります。
議事録の文面は一人で作れたとしても、その決裁印や実印は、どうやって揃えたのか。
可能性は、二つに一つです。
理事長印や法人実印の保管・押印まで、この事務局長が一人で握っていた
あるいは、金融機関の側が、相手を信用して、決議や本人確認を厳しく問わなかった
どちらにしても言えるのは、これは手口が巧妙なのではなく、 内部のガバナンスと、外部のチェックの、両方が緩かったのではないか、ということです。
特に外部の緩さには、理由があります。
金融機関にとって、社会福祉法人は、きわめて貸しやすい相手です。
売上の規模では民間企業に及ばなくても、 収益の多くが公費(税金)で支えられ、 制度で報酬単価が決まっていて、 景気で揺れず、 倒産がほぼ想定されない。
まして第一種社会福祉事業を担う、天下の共同募金会です。 「この法人が飛ぶ」とは、まず誰も思わない。
その厚い信用が、書類の一枚一枚を疑う動機を、貸し手から奪っていた可能性がある。
つまり、事務局長は、共同募金会という看板の信用を、逆手に取れる立場にいた。
そして、その信用の正体をたどれば、結局は、公費=税金に支えられた安定なのです。
税金に支えられた信用を担保にして、偽の議事録で金を引き出し、善意を盗んだ穴を埋めていた。二重に、人々の託した金を踏み台にしている。
三つ目。簿外口座を使った帳簿外取引
組織が把握していない口座を使い、財務諸表に載せない取引を繰り返していた。
正直に書きます。 三つの中で、外から見つけにくいと言えるのは、ここだけです。
帳簿に載らない口座での取引は、その口座の存在自体を知らなければ、追いようがない。 ここは、構造的に発見が難しい。
ただ、ここにも問いは残ります。
報道では、共同募金会名義の口座が多数あり、途中で管理元が変わった特定の口座が使われた、とされています。 法人名義の口座です。
法人の口座を一つ作り、動かすのに、なぜ組織のチェックが働かなかったのか。 口座の開設も管理も事務局長一人で完結していたのなら、それもまた、一人集中の証明にほかなりません。
結局、三つの手口のうち、「巧妙」と呼べるのは三つ目だけ。
残りの二つは、まともにチェックしていれば気づけたはずのものです。
現に、外部の会計士による監査が入っていながら、それでも見抜けなかった。五回の監査を、すべてすり抜けた。
手口が巧妙だったからではない。元帳を繰るという、基本の確認がなされなかったからだ。
この事件は、巧妙な手口にやられたのではない。雑な手口が、チェックの不在のせいで、六年も通用してしまった話なのです。

すべての土台は、「一人に握らせた」ことだった
三つの手口を見てきました。 けれど、これらを全部可能にしていた土台は、たった一つです。
本来は、ひとりでは完結できないように、分けておくべきものでした。
通帳を保管する人 : 印鑑を保管する人
金庫の鍵を持つ人 : 金庫の暗証番号を知る人
お金を出し入れする人 : 帳簿に記録する人
ところが今回は、通帳も、印鑑も、出納も、記帳も、ぜんぶ、同じ一人の手の中にあった。
会計や内部統制の世界では、こうして権限や現物をわざとひとりに集めず、複数人に割って、互いにけん制させる仕組みを「職務分掌(しょくむぶんしょう)」、あるいは「職務の分離」と呼びます。
狙いは、たったひとつ。
ひとりの手の中で、すべてが完結してしまわないようにすることです。
通帳と印鑑が同じ人の手にあれば、その人はいつでも金を引き出せる。だから、割る。
地味ですが、これが内部のけん制(相互チェック)の、いちばんの肝です。
福祉法人の指導監査でも、まさにここが具体的に問われます。
今回、その大原則が、まるごと欠けていました。
会見で、会の側もそれを認めています。
この事務局長は、通帳から印鑑まで、すべてを管理できる立場にいた。 前任の事務局長だった常務理事は、こう述べています。
会計責任者になってからは、別の者が確認する体制がなく、不適切だった。
調査した弁護士も、本来なら通帳を精査すれば事務局長以外の職員でも気づけたはずで、 チェック体制が機能しなかったことに原因がある、と総括しました。
しかも、この「一人に握らせる」状態は、昨日今日できたものではありません。
報道によれば、この人物が実質的に一人で会計を担っていた期間は、約十五年に及びます。
実際に手をつけたのが、直近の六年。 けれど、手をつけられる土壌は、十五年かけて、ゆっくりと固定化されていたのです。
制度は、悪意のある一人を想定して作られていない。仕組みをいくら足しても、職務分掌——お金を触る人と、記録する人と、確認する人を分けること——がなければ、意味がない。
2017年のガバナンス改革は、まさにこういう不正を防ぐためのものでした。
評議員会を必ず置くこと、監査を厚くすること。 それでも、防げなかった。
仕組みを増やすことと、仕組みが本当に働くことは、別の話なのです。
会長の辞職で、幕は引きにならないのではないか?
事務局長個人が許されないのは、当然だ。
絶対に手を付けてはならない善意の結晶に手を付けた。 その罪は、これから司法が裁く。
だが——その手口が「こうだった」からといって、 北海道共同募金会という組織が、免罪されるわけではない。
むしろ、逆だ。
これまで見てきたとおり、手口の二つまでは、基礎的なチェックさえしていれば、気づけたはずのものでした。
期末に集中する不自然な金の動きは、元帳を繰れば浮かぶ
融資の議事録を一人に偽造させてしまうのは、決裁も印章管理もザルだった証拠だ
最も重い第一種社会福祉事業の格付けを受け、 評議員会も理事会も監事も外部監査も備えていながら、 その基礎の基礎が、六年間、機能しなかった。
ずさんな運営を放置していたからこそ、長年の横領を垂れ流していたことに、気づけなかったのではないか。
そう問われても、仕方がない。
そして、その不全が失わせたものは、二つある。
盗まれた、善意の募金。 そして、その穴を埋めるために、税金に支えられた信用で借りた金。
善意と税金を、同時に溶かした。
これは、事務局長一人の罪では、ない。
それを許した組織の、罪でもある。
だとすれば、問わなければならない。
会長は、然るべき時期に辞職する、と表明しました。
けれど、会長一人が辞めれば済む話なのか。
理事会は、法人の業務執行を監督する義務を負う機関です
監事は、財産と業務の状況を監査する役職です
その機関と役職が、六年、結果を防げなかった。 会長個人の辞職で、機関としての監督義務の不履行まで、免責されるのか。
さらに、踏み込みます。
第一種社会福祉事業者には、所轄庁である北海道の指導監査が、制度として課されています。
監査する立場にありながら、結果として六年見抜けなかった。 ならば、その指導監査は、機能していたのか。
チェックする側のチェックまで、問われて当然です。
これは、辞職した会長個人を責める話ではありません。
「機関としての責任」「監督する側の責任」を問う話です。
そのほうが、ずっと重い。
一人の首を差し出して幕を引く、その手前で、立ち止まらなければならない。
これは、北海道だけの話ではない
同じ構造の事件は、各地で、繰り返し起きています。
静岡の町の社会福祉協議会で、職員が赤い羽根募金など約300万円を着服
岩手で約255万円
宮城で課長が約500万円
共通しているのは、どれも「一人に管理させていた」ことと、「発覚が遅れた」ことです。
共同募金の全国組織である中央共同募金会は、ガバナンス強化を繰り返し呼びかけてきました。 それでも、止まっていません。
しかも、北海道の会見と同じ6月15日。
僕の地元・埼玉でも、さいたま市のスポーツ協会で、 職員一人が通帳を持ったまま連絡が取れなくなり、約677万円が使途不明になっていると報じられました。
一人に握らせると、こうなる。 それが、同じ日に、別の場所で、また起きている。
これは、たまたま悪い人が一人いた、という話ではありません。
一人に任せきりにする、という同じ型が、全国のあちこちに埋め込まれていて、 そのどれもが、いつ同じことになってもおかしくない。
だからこれは、個人の資質だけの問題ではなく、同時に仕組みの問題なのです。
盗まれた善意の、その先。
忘れてはいけないことがあります。
赤い羽根共同募金は、1947年、戦後の焼け跡の中から始まりました。
困っている人を、見ず知らずの誰かが助ける。 その気持ちを形にする運動です。
社会福祉法第116条は、共同募金を「寄附者の自発的な協力を基礎とするもの」と、わざわざ明記しています。 法律が、これは強制ではない、自発的な善意の金だ、と念を押しているのです。
その口座に、六年間、手が突っ込まれ続けた。
そして、その六年は、コロナ禍と物価高に、すっぽり重なっています。 地域で踏ん張ってきた小さな福祉の現場が、もっとも助けを必要としていた時期です。
報道には、助成金を待っていた苫小牧のコミュニティサロンの代表の声が出ていました。
物価高の中、共同募金の助成金に助けられてきた。
支給はいつになるのか。
会の説明では、本来この春に配るはずだったお金がショートし、配分が止まりました。
事務費を削り、積立金を取り崩して、当初予定の半分ほどを、なんとか配る。
盗まれた善意の先で、本当に届くべきだった場所に、お金が届かなくなった。 割を食ったのは、いちばん弱い立場の現場です。
義務の金を盗んだのではない。 善意を盗んだのだ。
おわりに——善意の組織ほど、性善説を捨てなければならない
悪い一人がいた。 そこで話を終わらせてはいけないと思います。
この事件が突きつけているのは、もっと根の深いことです。
善意を扱う組織ほど、「うちは善意でやっているのだから大丈夫」という、その油断こそが危ない。
赤い羽根は、善意の象徴です。 だからこそ、性善説に寄りかかってしまった。
一人の信頼できる職員に任せておけば大丈夫、と。 その油断が、十五年の単独管理を許し、六年と1億8000万円を生みました。
資格でもない。 肩書きでもない。 長年の信頼でもない。
職務分掌——通帳と印鑑を別々の人が持ち、お金を動かす人と記録する人を分けること。 その地味で、当たり前で、面倒な一手だけが、この種の事故を防ぎます。
善意は、尊い。 尊いからこそ、それを扱う仕組みは、いちばん疑り深くなければならない。
そして、その仕組みを怠った組織は、一人の辞職で幕を引いてはならない。 機関として、監督者として、その責任を最後まで問われるべきだ。
下世話な話になるが、
この善意の結晶の1億8000万円は、このまま事務局長の私腹に消え、自己破産で終わるのか?
返済させるとしたら、いったい何年かかるのか?
その間の、善意の結晶は、誰が補填するのか?
こう考えたら、理事会の責任は一人の首では済まないだろう。
そう、僕は思います。

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