酵母の世界 No.23-1|Pichia fermentans:多彩な働きを持つ酵母
このシリーズでは、パン・ビール・ワイン・発酵食品を支える酵母たちを、研究者の視点から少しずつ紹介しています。
★酵母の世界を巡るためのまとめページを作成してます↓
前回は、果実のような甘い香りをつくる Cyberlindnera saturnus(サイバーリンドネラ・サトゥルヌス)を紹介しました。
今回の主役も、食品の香りに関わる酵母です!
Pichia fermentans(ピキア・ファーメンタンス)は、ワインやコーヒーの発酵で味や香りを変える酵母として研究されています。
アルコールを大量につくる主役というより、発酵食品の風味を調整する脇役に近い存在です。
ところが、この酵母は発酵だけにとどまらず、果実を守ることもあれば、自ら果実を腐らせることもあります。
同じ酵母が、なぜこれほどまでに多彩な働きを持つのでしょうか?
果実の味と香りを動かす
ワインづくりの中心となるのは、糖をエタノールへ変える能力に優れた Saccharomyces cerevisiae(サッカロマイセス・セレビシエ)、いわゆるワイン酵母です。
一方、P. fermentans は、単独で発酵を完了させる主役ではなく、香りや酸味に変化を加える「非サッカロマイセス酵母」として注目されています。
一部の菌株は、果実香に関わるエステルや、花のような香りを持つ高級アルコールをつくります。
高級アルコールの一部は、酵母がアミノ酸を分解して栄養源として利用する過程で生まれます。
たとえば、花やバラを思わせる2-フェニルエタノールは、フェニルアラニンというアミノ酸の代謝と関係します。
エステルは、酵母がつくるアルコールと、細胞内で生じた有機酸由来の成分が結びつくと形成されます。
さらに、果実には香り成分が糖と結合し、ほとんど香らない状態で蓄えられていることがあります。
一部の P. fermentans は、この結合を切るβ-グルコシダーゼなどの酵素を持ち、果実に隠れていた香りを遊離させます。
酵母は香りを新しくつくるだけでなく、原料がすでに持っている香りを引き出すこともできるのです。
一方、ブルーベリーワインの研究では、クエン酸を利用する P. fermentansによって、果汁に含まれるクエン酸、リンゴ酸、酒石酸が減少しました。
できたワインは、一般的なワイン酵母で発酵したものより、酸味や苦味、アルコールの刺激が弱く評価されています。
クエン酸は、果実の酸味をつくる成分であると同時に、酵母にとっては細胞内のエネルギー代謝につながる炭素源にもなり得ます。
近年の解析では、P. fermentans がクエン酸を細胞内へ運び込む輸送体候補も報告されており、果汁中の酸を取り込み、代謝する仕組みの解明が進んでいます。
つまり、酵母が変えるのは、糖とアルコールだけではありません!
どの酵母を選ぶかによって、香気成分をつくる代謝、隠れた香りを引き出す酵素、有機酸を利用する代謝が変わり、果実の酸味と香りの組み合わせまで動くのです。
また、コーヒー豆の発酵でも、P. fermentans をスターターとして加える研究が行われています。
この研究では、エタノールや酢酸エチルに加え、2-フェニルエタノール、ベンズアルデヒド、リモネンなど、香りに関係する複数の揮発性化合物が検出されました。
これにより、焙煎後のコーヒーにも花やバニラを思わせる特徴が現れました。
私たちが飲む一杯の香りは、焙煎や加工処理だけでなく、その前に果実の中で働いた酵母によっても準備されているのです。
果実を守ることも、腐らせることもある
果実の表面や傷口は、酵母、細菌、カビが糖や栄養を奪い合う場所です。
そこで先に増殖し、場所や栄養を占有する酵母は、後から侵入するカビを抑えることがあります。
この仕組みを利用して、収穫後の果実を病原菌から守る方法が生物防除です。
一部のP. fermentans は、リンゴの傷口で膜状の集団であるバイオフィルムをつくり、褐色腐敗病を起こすカビの増殖を抑えることが報告されました。
これは、生きた酵母細胞が必要だったことから、果実上で増殖し、カビと競争することが防除に重要だと考えられています。
ここまでなら、果実を守る有用な酵母です。
ところが、同じ菌株を傷つけたモモに接種すると、酵母自身が組織へ広がり、果実を腐敗させました。
この違いは、細胞の姿にも現れています。
リンゴの組織では、丸い細胞が一つずつ分かれて増える、一般的な酵母型が多く見られました。
一方、モモでは細胞が細長く連なる偽菌糸型へと変化しました。
偽菌糸とは、出芽した細胞が離れず、糸のようにつながった状態です。
この姿になることで、酵母は果実の表面にとどまらず、組織の中へ広がりやすくなる可能性があります。
つまり、リンゴではカビを抑える能力として役立った増殖力と環境適応力が、モモでは酵母自身による腐敗につながったと考えられます。
「果実を守る酵母」と「果実を腐らせる酵母」が、必ずしも別々に存在するわけではありません。同じ酵母でも、相手となる果実や栄養環境が変われば、細胞の姿と振る舞いが変わり、人間にとっての意味も変わるのです。
おわりに
Pichia fermentans(ピキア・ファーメンタンス)は、果実の香りを変え、有機酸を利用し、コーヒー発酵にも関わります。
一方で、リンゴではカビを抑え、別の条件では果実の腐敗に関わる菌株もあります。
ただし、これは一つの酵母が状況に応じて、常に同じように役割を切り替えているという単純な話ではありません。
重要なのは、「同じ P. fermentans という名前で呼ばれる酵母の中にも、香りをつくる力、有機酸を利用する力、ほかの微生物と競争する力、果実組織へ広がる力が、菌株ごとに異なる形で備わっている」ことです。
私たちは、酵母を学名によって一つの生物として理解しがちです。
しかし、産業で実際に利用されるのは「種」ではなく、一つひとつ性質の異なる「菌株」です。
同じ種に属していても、どの菌株を選ぶかによって、発酵の香りも、酸味も、安全性も大きく変わります。
この視点で見ると、酵母探索とは、珍しい名前を見つけることだけではありませんね!
同じ名前の中に隠れている、まだ知られていない能力を見つけ出すことでもあります。
P. fermentans が見せるのは、一つの種の中に広がる多面性です。
酵母の世界は、種の数だけでなく、その中に存在する菌株の違いによって、さらに深く広がっているのです!
次回は、酸の中でも発酵を続ける酵母 Pichia kudriavzevii(ピキア・クドリアブゼビイ)を紹介します!
この酵母は、ただ酸に耐えるだけではありません!
ときには有機酸そのものを利用し、厳しい環境を生き抜きます!
果実発酵やコーヒー、カカオなどから見つかり、近年では有機酸のバイオ生産にも注目されています。
では、この酵母はなぜ酸の中でも代謝を止めず、その強さを発酵やものづくりに生かせるのでしょうか?
次回は、Pichia kudriavzevii(ピキア・クドリアブゼビイ)の不思議について見ていきます!
★過去の様々なトピックの記事を全てまとめてます。詳細はこちらから↓
これらの記事が参考になったら「スキ&フォロー」をぜひお願いします!
参考文献
Giobbe S, et al. The strange case of a biofilm-forming strain of Pichia fermentans, which controls Monilinia brown rot on apple but is pathogenic on peach fruit. FEMS Yeast Research. 2007;7:1389–1398.
Fiori S, et al. Pichia fermentans dimorphic changes depend on the nitrogen source. Fungal Biology. 2012;116:769–777.
Zhong W, et al. Effect of selected yeast on physicochemical and oenological properties of blueberry wine fermented with citrate-degrading Pichia fermentans. LWT. 2021;145:111261.
Evangelista SR, et al. Conducting starter culture-controlled fermentations of coffee beans during on-farm wet processing: Growth, metabolic analyses and sensorial effects. Food Research International. 2015;75:348–356.
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはさらなる価値向上のために使用させていただきます!