酵母の世界 No.1-3|Saccharomyces eubayanus:低温発酵を支えた野生酵母のルーツ
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ラガービールの親、だけでは終わらない酵母
前回の記事では、ラガービールを支えるハイブリッド酵母、Saccharomyces pastorianus(サッカロマイセス・パストリアヌス)を紹介しました。
今回取り上げるのは、その片親として知られる Saccharomyces eubayanus(サッカロマイセス・ユーバヤヌス)です!
S. eubayanus は、ラガービール酵母の起源を考えるうえで非常に重要な野生酵母です。S. pastorianus は、S. cerevisiae(サッカロマイセス・セレビシエ)と S. eubayanus に由来するゲノムを持つハイブリッド酵母と考えられています。
ただし、S. eubayanus の面白さは「ラガービール酵母の親」という点だけではありません!
この酵母は、寒い環境に適応した野生酵母としても注目されています!
ラガービール界では有名な「親」ですが、本来は自然界で生きる野生酵母です。
低温発酵の可能性を広げる
S. eubayanus は、現在のラガービール生産でそのまま主役として使われている酵母というより、低温発酵に関わる性質を持つ野生酵母として重要です。
ラガービールの発酵では、比較的低い温度でも安定して発酵できる酵母が必要になります。その点で、低温環境への適応性を持つ S. eubayanus は、ラガー酵母の性質を理解するうえで欠かせない存在です。
さらに近年では、S. eubayanus を利用して新しいラガー醸造用酵母を作る研究も行われています。たとえば、S. cerevisiae と S. eubayanus を交雑させることで、低温発酵性や発酵特性を持つ新しいハイブリッド酵母を作ろうとする試みがあります。
つまり、S. eubayanus は過去のラガービールの起源を知るための酵母であると同時に、これからの発酵技術を考えるうえでも重要な遺伝資源と言えます。
醸造所から森へ広がる物語
S. eubayanus が大きく注目されたきっかけは、南米パタゴニアでの発見でした。
2011年、パタゴニアの寒冷地であるNothofagus(ナンキョクブナ)森林から分離された野生酵母が、ラガービール酵母の非 cerevisiae 側の親に非常に近いことが報告されました。その後、世界各地でも分離例が報告され、現在ではこの酵母の分布や多様性、進化の歴史が研究されています。
もちろん、「寒冷地で見つかったから低温に強い」と単純に言い切ることはできません。しかし、寒冷な森林環境に生きる野生酵母として、低温への適応性を持っていたことが、ラガービール酵母の成立にも関わったと考えると、発酵の見え方が少し変わります。
低温耐性は「寒さに耐える」だけではない
S. eubayanus の特徴を考えるうえで重要なのが、低温環境への適応性です。
低温は、酵母にとって優しい環境ではありません。温度が下がると、細胞内の反応は遅くなり、栄養の取り込みや発酵速度も低下しやすくなります。さらに、細胞膜が硬くなりやすく、膜を介した物質の出入りにも影響が出ます。
そのため、低温に強い酵母は、ただ寒さに耐えているだけではありません。細胞膜の脂質組成を調整したり、低温で必要な遺伝子の働きを切り替えたりしながら、寒い環境でも代謝を続けられるようにしていると考えられます。
S. eubayanus についても、低温環境での適応には、脂質代謝や転写制御などが関わることが示されつつあります。つまり、低温耐性とは単に「寒くても死なない」という性質ではありません。寒い環境でも細胞を動かし続けるために、膜、代謝、遺伝子発現を調整する力だと考えると分かりやすいです。
この性質が、低温で発酵するラガービール酵母につながっていたのでした!
森からラガービールへ
S. eubayanus は、ラガービール酵母 S. pastorianus の親の一方として注目された野生酵母です。
しかし、この酵母を知る面白さは、ラガービールの背景だけにとどまりません。寒い森林環境でどのように生きているのか。低温で細胞を動かすために、どのような仕組みを持っているのか。そうした視点から見ると、S. eubayanus は「ラガー酵母の親」以上に、自然界の酵母多様性を考えるうえで興味深い存在です。
醸造所のタンクから森へ。
S. eubayanus は、発酵文化と自然界のつながりを見せてくれる酵母なのですね。
次回は、酸味をつくる酵母、Lachancea thermotolerans(ラシャンセア・サーモトレランス)について紹介します。
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参考文献
Libkind, D. et al. (2011). Microbe domestication and the identification of the wild genetic stock of lager-brewing yeast. Proceedings of the National Academy of Sciences, 35, 14539–14544. https://doi.org/10.1073/pnas.1105430108
Baker, E. C. P. et al. (2015). The genome sequence of Saccharomyces eubayanus and the domestication of lager-brewing yeasts. Molecular Biology and Evolution, 11, 2818–2831. https://doi.org/10.1093/molbev/msv168
Peris, D. et al. (2016). Complex ancestries of lager-brewing hybrids were shaped by standing variation in the wild yeast Saccharomyces eubayanus. PLoS Genetics, 7, e1006155. https://doi.org/10.1371/journal.pgen.1006155
Pinto, J. et al. (2025). Exploring adaptation routes to low temperatures in the Saccharomyces genus. PLoS Genetics, 2, e1011199. https://doi.org/10.1371/journal.pgen.1011199
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