酵母の世界 No.23-3|Pichia kluyveri:アルコールを抑えながら果実香をつくる酵母
このシリーズでは、パン・ビール・ワイン・発酵食品を支える酵母たちを、研究者の視点から少しずつ紹介しています。
★酵母の世界を巡るためのまとめページを作成してます↓
前回は、洗剤を作る酵母Starmerella bombicola(スターメレラ・ボンビコラ)を紹介しました!
今回は低アルコールビールに関するお話です!
ビールのアルコールを低くするには、どうすればよいのでしょうか?
単純に考えれば、酵母に糖をあまり発酵させなければよさそうです。
ところが、酵母の働きを抑えると、アルコールだけでなく、発酵によって生まれる香りまで少なくなりやすくなります。
一方で、発酵前の麦汁に由来する甘さや穀物のような風味は残ります。
つまり低アルコールビールでは、アルコールをつくらせすぎず、それでも香りはつくるという、少し難しい発酵が求められます。
そこで注目されているのが、Pichia kluyveri(ピキア・クルイベリ)です。
この酵母は、麦汁に多く含まれるマルトースという糖をほとんど利用しません。
そのため、一般的なビール酵母ほどアルコールを増やさずに発酵できます。
しかし、何もしない酵母ではありません。
限られた糖やアミノ酸を使い、果実や花を思わせる香りをつくります。
ビールの主な糖を使えないという性質が、なぜ低アルコールビールでは強みになるのでしょうか?
果実発酵で香りをつくる酵母
まず、P. kluyveri は果実や植物に関わる環境のほか、コーヒーやカカオの発酵からも見つかります。
こうした発酵では、糖を利用しながら香りの成分をつくり、最終的なコーヒーやチョコレートの風味を変えるスターターとして研究されてきました。
つまり、もともと果実発酵で注目されていた香りづくりの能力を、麦汁という別の原料へ持ち込んだのが、ビールでの利用です!
ビールの主な糖には手をつけない
ビールの原料となる麦汁には、ブドウ糖だけでなく、マルトースという糖が多く含まれています。
一般的なビール酵母 Saccharomyces cerevisiae(サッカロマイセス・セレビシエ)は、このマルトースを取り込み、アルコールへ変えます。
一方、ビール醸造用に調べられた P. kluyveri は、最初にある少量のブドウ糖は使いますが、麦汁の大部分を占めるマルトースにはほとんど手をつけません。
そのため、利用できる糖が少なくなると発酵が弱まり、単独発酵ではアルコール濃度を0.5%前後に抑えられる例があります。
通常のビールなら、糖を使い切れないことは欠点です!
しかし、低アルコールビールでは、発酵後にアルコールを取り除かなくても、最初からつくらせすぎないための性質になります。
アルコールは少なくても、香りは生まれる
ここで面白いのは、マルトースを使えないからといって、香りづくりまで止まるわけではないことです。
酵母は少量の糖や麦汁中のアミノ酸を利用し、香りを持つアルコールやエステルをつくります。
P. kluyveri では、バナナを思わせる酢酸イソアミルや、花や蜂蜜のような香りに関わる酢酸2-フェニルエチルなどが報告されています。
つまり、アルコールを大量につくる代謝と、香りをつくる代謝は、完全に同じではありません。
この違いが、低アルコールでも香りのあるビールをつくる鍵になります!
ただし、果実香が強ければ必ずおいしくなるわけではなく、課題も残ります。
華やかなクラフトビールには合っても、すっきりしたラガーでは香りが甘く感じられることがあります。
また、使われずに残ったマルトースは、甘味や飲み応えだけでなく、製品の微生物学的な安定性にも影響します。
二種類の酵母に仕事を分ける
そこで利用されるのが、一般的なビール酵母との組み合わせです。
まず P. kluyveri に香りをつくらせ、その後に S. cerevisiae を加えて、残ったマルトースの一部を発酵させます。
あるいは、二種類の酵母の割合を変えることで、アルコール濃度と果実香のバランスを調整します。
一種類の酵母にすべてを任せるのではなく、香りをつくる酵母と、発酵を進める酵母に役割を分けるのです。
これまでは物理的にアルコールを除去していた製法でしたが、麦汁の糖組成、酵母の割合、加える順番を組み合わせ、どこまで発酵させ、どの香りを残すかを設計することで、低アルコールビールを製造できるかもしれませんね!
おわりに
Pichia kluyveri(ピキア・クルイベリ)は、ビールの主な糖であるマルトースをほとんど使いません。
しかし、その不完全な発酵力がアルコールを抑え、同時につくられる果実香が低アルコールビールの風味を補います。
発酵では、多くの糖を使える酵母が、いつでも最も優秀とは限りません。
目的が変われば、「何ができるか」だけでなく、「何をしないか」も重要な能力になります。
次に低アルコールビールを飲むとき、それが発酵を弱めただけの飲み物ではなく、酵母の不得意さまで利用して設計された発酵食品かもしれないことを思い出してみてください!
次回は、生命科学の研究に使われる酵母 Schizosaccharomyces japonicus(シゾサッカロマイセス・ジャポニクス)を紹介します!
この酵母は、環境に応じて単細胞の酵母から、細長い菌糸へ姿を変えます。さらに、細胞分裂のときには、DNAを包む核の膜を一部開いて染色体を分けます。
なぜ研究者は、よく知られたモデル酵母ではなく、この少し変わった酵母を調べるのでしょうか?
生命の仕組みを理解するための「比較する」という研究の面白さを紹介します!
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参考文献
Miguel GA, et al. Amino acid preference and fermentation performance of Pichia kluyveri strains in a synthetic wort. LWT. 2024;197:115847.
Huang PH, et al. The potential of co-fermentation with Pichia kluyveri and Saccharomyces cerevisiae for the production of low-alcohol craft beer. Foods. 2024;13:3794.
Crafack M, et al. Influencing cocoa flavour using Pichia kluyveri and Kluyveromyces marxianus in a defined mixed starter culture for cocoa fermentation. International Journal of Food Microbiology. 2013;167:103–116.
Wang C, et al. Coffee flavour modification through controlled fermentations of green coffee beans by Saccharomyces cerevisiae and Pichia kluyveri: Part I. Food Research International. 2020;136:109588.
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