酵母の世界 No.6-1|Zygosaccharomyces rouxii:日本の伝統、味噌・醤油を支える酵母
このシリーズでは、パン・ビール・ワイン・発酵食品を支える酵母たちを、研究者の視点から少しずつ紹介しています。
★酵母の世界を巡るためのまとめページを作成してます↓
前回は、花や果実の上で赤い色素をつくり、微生物どうしの競争に関わる酵母 Metschnikowia pulcherrima(メチニコウィア・プルケリマ) を紹介しました。
今回は、少し舞台を変えてみましょう。
花や果実の表面ではなく、私たちの食卓にある発酵食品、醤油や味噌です。
醤油や味噌は、塩が多い食品です。塩は、昔から食品を保存するために使われてきました。多くの微生物は、塩辛い環境ではうまく増えることができません。
ところが、その塩辛い世界で生きる酵母がいます。
それが、Zygosaccharomyces rouxii(ザイゴサッカロマイセス・ルーキシー)です。
私たちが食べる醤油や味噌を作るために、Z. rouxiiは必須の存在です!
しかし、Z. rouxiiが面白いのは、それだけではありません!
実は一方で、一部の高糖・高塩食品では腐敗の原因にもなるんです!!
伝統と塩の濃い世界で生きる酵母。
今回は、そんな Z. rouxii の世界を見ていきます!
醤油と味噌の香りを支える酵母
Z. rouxii を語るうえで、まず外せないのが醤油です。
醤油づくりでは、最初に大豆や小麦に麹菌を育てます。
麹菌は、タンパク質やデンプンを分解し、アミノ酸や糖を生み出します。その後、食塩水を加えて「諸味」と呼ばれる高塩の発酵環境を作ります。
この諸味の中では、すべての微生物が自由に増えられるわけではありません。
塩分が高いため、多くの微生物は抑えられます。そこで存在感を示すのが、耐塩性乳酸菌や耐塩性酵母です。
そんな過酷な環境の中で、Z. rouxii は、糖を利用してエタノールを作ります。ただし、醤油ではビールやワインのようにアルコール度数を上げることが目的ではありません。
ここで大事なのは、エタノールそのものよりも、そこから広がる香りの世界です。
醤油の香りは、一つの成分だけで決まるものではありません。
アルコール類、エステル類、有機酸、フラノン類、フェノール類など、多くの成分が重なって、あの複雑な香りになります。たとえば、醤油らしい甘く香ばしい香りには、HEMF と呼ばれるフラノン類の成分が関わるとされています。
味噌でも、Z. rouxii は重要な耐塩性酵母として知られています。
味噌は、大豆、米麹または麦麹、塩を混ぜて熟成させる発酵食品です。ここでも塩分が高いため、増殖できる微生物は限られます。
その中で Z. rouxii は、エタノールや香りに関わる成分を作り、味噌の熟成香に関わります!
味噌の香りも、単純な「大豆の香り」だけではありません。
麹菌が作った糖やアミノ酸をもとに、酵母や乳酸菌が代謝を進めることで、アルコール類、エステル類、有機酸などが加わり、味噌らしい複雑な香りが生まれます。Z. rouxii は、その中で高塩環境に耐えながら香りづくりに参加する酵母です。
つまり、Z. rouxii は「醤油の酵母」というだけではありません。
醤油や味噌のような、塩が多い発酵食品の中で働く酵母なのです!
人間にとって塩は、食品を守るためのものです。
しかし発酵の世界では、その塩によって微生物が完全に排除されるわけではありません。塩に耐えられる微生物だけが残り、発酵食品の香りや味を作っていきます。
保存食品という、微生物に厳しいすみか
Z. rouxii のすみかを考えるうえで大事なのは、塩や糖が多い食品環境です。
塩や糖は、昔から食品を保存するために使われてきました。
塩漬け、砂糖漬け、蜂蜜、シロップ、味噌、醤油。どれも、多くの微生物が簡単には増えにくい環境です。
なぜ増えにくいのでしょうか?
理由の一つは、水です。
食品の中に水があっても、塩や糖が多いと、その水は微生物にとって自由に使いにくくなります。細胞の外側が濃くなるため、細胞の中の水が外へ引っ張られやすくなります。
つまり、高塩・高糖の食品は、微生物にとって「水のある場所」ではなく、「水を奪われる場所」でもあるのです。
Z. rouxii はこのような環境で生きることができます。
一方で、この強さはいつも人間にとって都合がよいわけではありません!
Zygosaccharomyces 属は、高糖食品や高塩食品の腐敗に関わる酵母としてよく知られ、Z. rouxii も高糖食品の腐敗原因として報告されています。
たとえば、蜂蜜、シロップ、糖蜜、濃縮果汁、ソース類、ドレッシングなど、普通なら微生物が増えにくいと思われる食品でも、この酵母が入り込むと発酵が進み、ガス、アルコール、異臭、容器の膨張などを引き起こすことがあります。
つまり、Z. rouxii の能力は両刃の剣です。
醤油や味噌では、塩辛い環境で香りをつくる頼もしい酵母。
一方で、保存食品では、塩や糖のバリアをすり抜ける厄介な腐敗酵母。
この二面性こそ、Z. rouxii の面白さです!
人間が「これなら保存できる」と考えた濃い食品の中にも、そこをすみかにしてしまう酵母がいる。
Z. rouxii は、そんな高塩・高糖の世界に適応した酵母なのです。
水を守りながら、香りをつくる
では、Z. rouxii はなぜ塩や糖の濃い環境で生きられるのでしょうか?
鍵になるのは、水分バランスです。
醤油や味噌のような高塩環境、あるいは蜂蜜やシロップのような高糖環境では、細胞の外側がとても濃くなります。すると、酵母の細胞内の水が外へ引っ張られます。
食品の中には水があるように見えても、細胞にとっては「水を奪われる」ような状態になるのです。
この状態に耐えるため、Z. rouxii は細胞の内側を調整します。
その代表がグリセロールです。グリセロールは、細胞内にためても比較的害が少ない小さな分子で、水が外へ逃げすぎないようにする役割があります。このような分子は、適合溶質と呼ばれます。
さらに、高塩環境ではナトリウムイオンへの対応や、細胞膜の維持も重要です。塩が多いと、細胞内のイオンバランスが乱れたり、膜に負担がかかったりします。Z. rouxii は、こうした変化に対応しながら、高塩・高糖の世界で生きています。
そして、この酵母はただ耐えているだけではありません。
醤油や味噌の発酵では、麹菌が大豆や小麦の成分を分解し、糖やアミノ酸を生み出します。Z. rouxii はそれらを利用し、エタノール、高級アルコール、エステル、フラノン類など、香りに関わる成分の形成に関わります。
たとえば、2-フェニルエタノールはバラや蜂蜜のような香りに関わる成分です。また、醤油らしい甘く香ばしい香りには、HEMF などのフラノン類が関係します。HEMF の形成には、糖代謝の中間体、特にペントースリン酸経路に由来する糖リン酸が関わると考えられています。
Z. rouxii は香りを作るためだけに代謝しているわけではありません。
高塩・高糖の環境で生きるために、糖やアミノ酸を利用し、エネルギーを得たり、細胞内のバランスを整えたりしています。その代謝の出口として生まれる成分を、人間の鼻が「醤油や味噌の香り」として感じているのです。
この視点で見ると、単にZ. rouxii は「塩に強い酵母」というだけではなさそうですね。
おわりに
塩や糖は、食品を保存するために使われてきました。
多くの微生物にとって、塩辛すぎる環境や甘すぎる環境は厳しい場所です。細胞から水が奪われ、増殖が難しくなります。
しかし、Zygosaccharomyces rouxii は、その濃い世界で生きることができます。
醤油や味噌では、その強さが香りづくりにつながります。
一方で、蜂蜜やシロップ、濃縮果汁のような食品では、腐敗の原因にもなります。
同じ能力が、ある場所では発酵を支え、別の場所では食品を傷ませる。
この二面性が、Z. rouxii の面白さです。
酵母の世界を見ていると、発酵食品の味や香りは、ただ「材料」だけで決まるわけではないことが分かります。
そこには、厳しい環境に適応した小さな生き物たちの代謝があります。
醤油や味噌の香りの先には、そんな酵母たちの生き方が詰まっているのかもしれませんね。
次回は、もう別のの「塩に強い酵母」Debaryomyces hansenii(デバリオマイセス・ハンセニイ) を紹介します。
Z. rouxii が醤油や味噌のような高塩発酵で香りに関わる酵母だとすれば、D. hansenii はチーズや塩蔵食品など、塩のある食品環境で熟成に関わる酵母です。塩は微生物を遠ざけるだけでなく、そこに適応した酵母のすみかにもなるのです。
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参考文献
Devanthi, P. V. P., & Gkatzionis, K. 2019. Soy sauce fermentation: Microorganisms, aroma formation, and process modification. Food Research International, 120, 364–374. DOI: 10.1016/j.foodres.2019.03.010.
Dušková, M. et al. 2015. Two glycerol uptake systems contribute to the high osmotolerance of Zygosaccharomyces rouxii. Molecular Microbiology, 97, 541–559. DOI: 10.1111/mmi.13048.
Dai, J. et al. 2020. Zygosaccharomyces rouxii, an aromatic yeast isolated from chili sauce, is able to biosynthesize 2-phenylethanol via the shikimate or Ehrlich pathways. Frontiers in Microbiology, 11, 597454. DOI: 10.3389/fmicb.2020.597454.
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