タラシの本懐
何度か路上でナンパされたことがある。ヤクザ屋さんの勧誘だったこともあるが、ほとんどが酔っ払い。ゲイの話は抜きで、若い頃の「おっさんにナンパされる」話を書こう。その日は下北沢の路上で声をかけられ飲み屋に連れ込まれた。飲めと言われ飲み、歌えと言われて歌った。あれは2005年頃、おれは32歳だったと思う。相手は女好きの50男。
なぜ自分が誘われるのか、分からなくもなかった。「壁がありそうでない」ギャップ、大抵のことなら動じない性格、破顔すれば年上はコロッと行く。絶対に見下されていると感じさせない。また、実際に見下していないのだ。酒場で適当になごんだ話をし、朝から飲んでいる人たちの話をウンウン聴いてやり、誰よりゲラゲラ笑う。誰かを主役にして前には出ない。そんなヘキのおかげで、人懐かしい気持ちになったおっさんに連れ回されることはよくあった。見知らぬ人ととっぷり話し込むなんてことは度々あったのだ。退職した元校長先生(お互い名前はついに知らずに終わった)と4時間、酒抜きで話し込んだのが最長だと思う。懐かしい。あれは笹塚だった。
そういう時間は楽しい。ただし酒が入ると厄介なことも起きる。とにかく酒が入ったおっさんは若い男の仕事と性生活を聞き出したがるのだ。彼がバイキュリアスではなかったとしても、「長い付き合いの彼女(妻ではない)と3Pしないか」という誘いである可能性もなくはない(過去にあった)。それはまだ「話として」楽しそうな方で、突然キバを剥かれることもある。
連れて来た50男が、仕事は何をやってる結婚してるのか、と訊いて来る。カウンターの下で膝が密着しているのは「お誘い」じゃない。
「なんかおれ身上調査されてんだけどー。ぶははははっ」
「どうなんだ。女いるのか」
「どーすかねっ、そんなに好きじゃねーからなー」
「ひょっとして男が好きか」
「あっ、それアリかも! ぷはははは」
流そうとしたのだが、一転、相手の口調が重くなった。
「そりゃあ、変だぞ。それはなー、おかしい。おかしいぞ」
なんだコイツ。なんで目ェ座ってんだよ。飲み方も知らねえのか。
「ひでえ! ナンパしてきたから合わせてんのに。ママ聴いてくださいっ」
「あらどうしたの」
「この人おれを連れ込んどいて抱きたくないって言うんですぅー!」
「それはダメよ●●さん、かわいそうじゃない」
他の客も笑い出す。●●さんと呼ばれた常連らしきその男も「そんなんじゃない」などと言い訳を始め、「そんなんじゃないなら抱いてあげなさいっ」とママからピシャリと言われて、店内は爆笑の渦になった。その中で、一番でかい声で、笑う。——
つまんねー話を念押しに書いておくと、これは「カミングアウトした」話ではなく「カミングアウトしてやらなかった」拒絶の話だ。ヘテロであろうがゲイであろうがアロセクシュアル(他者との性的な接触を求める人)なら性の懊悩もしょうもなさも全く同じだと思う。誰かと抱き合えば何かが生まれるかもしれないと願い、何が生まれなくても今日また明日と、他人の体温を求め続ける点も同じだろう。ただヘテロの欲求には別の名前がいくつもあるだけだ——愛とか、自然とか、成長とか、成熟とか、生殖とか、正常とか。夫とか、父とか、役割とか、制度とか。そういう公明正大で説明不要な物語がこっち側にはあり、「そっちにはない」とあっちが思っているだけだ。
そのせいでこっちは突然思いがけないときにその相対化されない自意識でブン殴られて、いきなり酒はまずくなり、その場に居たくなくなるのだ。欲求についての語り言葉があるか。抱擁を求める生き物としての哀しみを語れるか。自分ひとり慰められない身の孤独をこぼせるか。誰かに握られることを求めてやまない強張りを、その欲望の埋めがたさを、肌が触れ合って初めて感じる安堵を、身体に回される他人の腕でしか確かめられない全ての感情について、その実感を言語化しろ。借り物ではない、自分の言葉で。それをする気になったら、いくらでも話を聴いてやる。分かるよって心から言ってやる。おれを誘ったのは、あんたが本当はそんな話をしたかったからだ。おれ相手ならできると直感したからだ。だから、おれを呼び止めたんじゃねえのかよ。覚悟も準備もないなら、おれの時間を無駄にするな。と、まあ、そんなことも言いたくなるものだ。——ま、言えばよかったのかもしれないな。見知らぬ者同士、せっかく出会えたんだ。
でもまあ、しょうがねえよな。一緒に飲んだし膝小僧はくっついていたが、心は触れ合わなかった。
――なぜこんな遠い日のことを思い出すのか。今、サシ飲みに誘われているからだ。相手はそれなりに年上、微妙に仕事関係で逃げ口上が思いつかない。なぜおれなのか悩む。「年上風を吹かせられそう」「リベラルには見えない」あたりでの人選なら、見込み違いになる可能性が高いのだが大丈夫だろうか。「こんなこと言ったら今の時代叩かれるけど」という前置きで始まる「俺たちがサル山の頂点なのに」という愚痴で盛り上がれると踏んでいるなら、彼はガッカリすることになる。とりあえず「女関係」追及されたらどーすっかな。めんどくせえ。もうおでこに「ホモ」って彫っておきてえ。
分かってる。これは相手にとって単にガールズバーの代わりみたいなもんだ。ただ人を殺すと言われた笑顔で話を聴いてやればいい。ちょっとからかいつつ、適度に弱さも甘え心も見せ、上げるところは上げてやる。向こうは自分が「男」だと思っていて、「男同士の話」というやつに夢をみてる「だけ」だ。しかしこっちのスイッチが、どっちに入るか分からない。誰かに信頼を預けるならゼロか100、こっちは傷を負う覚悟で行くけど大丈夫か。
どうしたものか。ま、そこはタラシの本懐で……いやこのヤマイで、引っ張られていくのかもしれない。引っ張ろうとするかもしれない。そう、こっちも飢えているのだ。相手が鎧を脱げそうなら裸のココロを見たくなる。心から「分かる」と言いたい。「それがおれの病だ」と思う。見限り背を向ける代わりに信じることにしてから、……いや、ちがうな。おれはずっと人間に信頼を預けたかったんだ。23の時も、33の時も、これまでずっと。泣きたいくらいそうだったんだ。
本物のタラシを名乗れるか、久しぶりに自分を試そうか。このままじゃ実力ナシってことになるからなあ。でもこのトシで「つまんない話するやつはコチョコチョするでちゅ!」とかやるのか?——現在、できる予感ゼロ。
この記事は次のふたつの記事(同性間の距離感がバグっててゲイを惑わせるヘテロたちの話)から影響を受けて書きました。書いてみて全然ベクトルちがう話だって分かったけど。
