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#35 大学教員の憂鬱:博士号で少しモヤッとする話

ここでいう「席」は、研究と教育を担うアカデミアのポストのことだ。
なんだかよくわからない人が席を塞いでいるあいだに、貴重な若い人の時間が失われていく。
だから、その席は、これから積み上げる人に渡されるべきだと思う。
と、いう話。

医療系大学にいると、ときどき少しモヤッとする場面がある。

定年の数年前に赴任してこられて、
そのまま社会人大学院に入り、学位を取り、
その流れで教授として数年在籍する。

前職は、病院勤務の方が多い。
その分野ではよく知られた方でも、アカデミアで研究と教育を担ってきた経験は別の話だ。

それ自体を悪いと言いたいわけではない。
臨床経験には価値があるし、何歳からでも学ぶことには意味がある。
でも、その流れを見ていると、うまく言えない違和感が残る。

博士号は、取れば終わりの肩書きではない。
むしろ、そこからがスタートだと僕は思っている。

自分で問いを立てて、
自分で考えて、
それを他者の批判に耐える形にする。
博士号は、その入口に立った証明のはずだ。

だから本来は、その後も研究を続けて、
知を更新して、それを次の世代に渡していく責任があるのだと思う。

けれど現実には、研究が動いていないように見える。
論文も増えない。
科研費にも応募しない。
採択の有無ではなく、研究計画を書いて外に問うことを続けているかが、僕は気になる。

そして、もっと気になるのは、
自分の研究を立ち上げる力そのものが見えないことだ。

医療系大学では、教育、研究、臨床の3つが求められる。
でも、この3つは別の力だと思う。

臨床ができることと、研究ができることは違う。
教育経験があることと、論文指導ができることも違う。

特に教育は、思っている以上に難しい。

有資格者に教えることと、何も知らない学生を育てることは、まったく別の仕事だ。
初学者を一人前に育てるには、それ相応の訓練が要る。

それなのに、その境界が曖昧なまま扱われることがある。
その結果、しわ寄せがいくのは学生であり、若手研究者だ。

研究も教育も更新されないまま、その席が埋まっているあいだに、若い人の時間が失われていく。
そのアカデミアの席は、これから積み上げる人に、ちゃんと渡ってほしいと思う。



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