『これは私の出家です。』連載第3回
第3回
『「墨の五彩」に学ぶ、自分の感情を多面的に捉える方法。』
今回の記事はこの記事の続きです。
張彦遠が説いた「運墨にして五彩を兼ぬ」という知恵
唐代の評論家・張彦遠は、その著書『歴代名画記』の中で、「運墨にして五彩を兼ぬ」という言葉を残しました。
墨を巧みに操れば、そこには青や赤といった現実のあらゆる色彩が内包される、という意味です。
私たちは、自分自身の状態を「白(成功)」か「黒(失敗)」かの二択でジャッジしがちです。働けない自分を「真っ黒な絶望」だと決めつけ、その一色で自分の存在すべてを塗りつぶしてしまう。
けれど、本当の「黒」とは、死んだ色ではありません。その一色の中に、無限の豊かさを兼ね備えさせている状態。それが本来の墨の世界であり、私たちの心の真実なのです。
感情を固定しない。それは「自分を許す」ための禅
自分の感情や思考を流れるままに、客観的に把握する。禅とは本来、そういうものです。
何かを成し遂げなければならない「ビジネス」の論理から一度離れ、ただあるがままを観察し、評価を下さずに自己と対話する。
「今、私は焦っているな(濃墨)」
「でも、少しだけ安心もしている(淡墨)」
感情を一つの定義に固定しないこと。それが、自分を「社会不適合者」という檻から解放し、許していくための第一歩になります。
『枯木猿猴図』が映し出す、名もなき命の色彩
第1回で取り上げた『松林図屏風』の作者、長谷川等伯による別の傑作『枯木猿猴図』をご覧ください。


この猿の毛並みを見てください。使われているのは墨一色だけです。しかし、そこには温かな体温、柔らかな光の粒、そして猿の孤独な瞳に宿る複雑な感情が、豊かな「色彩」として立ち上がっています。
等伯は、ビジネスとしての効率を捨て、猿という一つの命を「あるがまま」に観察し抜きました。その結果、墨一色のなかに宇宙のような広がりを描き出したのです。
ちなみに、本作は2025年に開催された京都国立博物館の展覧会
「特別展 宋元仏画—蒼海(うみ)を越えたほとけたち - 京都国立博物館」
にて展示されておりました。
「300円のゲロ」で見失った、無様な継続の価値
私は以前の記事で、効率ばかりを求める現代を「300円のゲロ」と呼びました。
最短距離で正解をなぞるAIや贋作には、この「五彩」がありません。迷いのない完璧な黒は、実は死んでいるのです。
対して、私たちが抱える「働けない情けなさ」や「お金が欲しいという剥き出しの欲望」、そしてガンダム(SEED)のキラのように、終わるべき場所で終わることができず、泥を啜って生き残ってしまった「無様な継続」。
これら一見汚い感情も、五彩として眺めれば、それは貴方という人間が生きている証としての「濃淡」になります。効率的な「正解」ではない、この矛盾だらけの色彩こそが、AIには逆立ちしても真似できない、人間だけの領分なのです。
実践:自分の感情を「五彩」として観察する
ビジネスとは関係のない「自己との対話」を始めるためのステップです。
1. 感情に名前をつけ、濃度を感じる
「不安」と一括りにせず、それは重い黒なのか、それとも光に透けるような薄墨なのか、心の中で観察してください。
2. 矛盾を「ぼかし」として受け入れる
「絶望しているけれど、明日のコーヒーが楽しみだ」という矛盾を、美しいグラデーションとしてそのまま置いておいてください。
おわりに
この連載では、禅と美術を杖に、社会のスピードから脱落した私たちが呼吸を取り戻すための旅を続けています。
1. 感情を薄め、整理する場所:Webアプリ『心水記/shinsuiki』
濃すぎる墨(強い感情)は、紙の上で広げ、言葉という水で薄めていく必要があります。誰にも見られない安全な場所で、貴方の「五彩」を吐き出してください。
2. 運営サイト:日々是好日、私の楽しみ.
等伯や雪舟たちが、墨一色に込めた「生きるための哲学」を、さらに深く掘り下げています。
次回は、第4回
『「一筆書き」に学ぶ、過去の失敗を即座に手放すデリート思考。』を予定しています。
どうぞ、ご期待ください。
◾️使用図版
図版1
長谷川等伯「枯木猿猴図(左隻)安土桃山時代
京都国立博物館 出典:ウィキメディア・コモンズ
図版2
長谷川等伯「枯木猿猴図(右隻)」安土桃山時代
京都国立博物館 出典:ウィキメディア・コモンズ
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