見出し画像

アメリカ留学⑧最高の教授-3 DavidとクラスメイトのJeff

自由に学ばせてくれた教授のDavid


David Warner-D.Pは50代後半で背が高く、いつも野球帽かバンダナを頭に巻いているハイカラな教授だった。たいていの芸術学部の教授は生徒達を自分の色に染めたがるが、彼のクラスでは、生徒達は自分たちの好きな方法で好きなようにように作品が製作できた。

3年目の春に友人のTiffanyと彼の上級デッサンクラスを選考した。
TiffanyはD.Pのクラスを以前に選択していて、生徒に自由に製作させてくれる彼のスタイルや、のんびりした気質が気にいったらしくD.Pのクラスが選択できることを喜んでいた。私はあまり乗り気ではなかったが、たまに新しい教授のクラスを選択するのも勉強になるし、なんと言ってもTiffanyの最後の学期なのでD.Pのクラスを一緒に彼女と選択した。

最初の1ヶ月位は毎回クラスはあったが、学期末になると度々、アルバイトのモデルが来ない為、授業がキャンセルになることが多々あった。
「モデルが来なくても生徒達が出席しているので、何か1つでも教えてくれればいいのに。」と正直、私は思っていた。

D.Pのサマークラス

信頼できる教授の勧めもあり、D.Pのサマークラスをしぶしぶとった。
6月上旬から7月上旬まで4週間のクラスは半分以上が初級レベルの生徒達だった。アート専攻だが、絵画は重要でないので夏にチャチャっと単位を取りたい生徒達なのだろう。
つまらないので、私はD.Pに頼んで友人のAshleyがクラスに参加できるように頼んだ。サマーの絵画クラスは飛び込みで友人を連れてくる生徒が多く、もちろん友人は、授業料なんて払わなくて構わない。という日本では考えられない事が起きるクラスだった。
Ashleyは実家に戻らずに授業料稼ぎの為、バイトの日々を送っており、D.Pは快くAshleyを受け入れてくれた。

D.Pは初級レベルの生徒達にはLandscape(風景画)をするように伝え、私と他3人の上級レベルの生徒達には「このクラスを通して何を描きたいか?」を聞いてきた。私はすでにいくつか決めており、自分の子供の頃に見た夢をテーマに3点ほど作製するつもりでいた。他の3人は特にアイデアがないので私以外は風景画をすることになった。

私はD.Pに風景画をするべきか?その後聞いたが、強制なんて言葉とは縁のない彼はニコニコしながら「やりたいならやればいいし、やりたくないならやることはない。でも今までやったことないのならやってみるのもいいんじゃないのかい。」とのことだった。
あまのじゃくの私はD.Pが強制しないのもあって、風景画を製作するべきなのではないか、と思うようになり、次の日に大学の向かい側にある森へしぶしぶとみんなと出かけていった。

友人のAshleyは経験がないのに、なんの抵抗もなく描き出している。
蚊や小虫もいて、私はまったく集中できずに、もう嫌々、描いていた。
次の日もみんなと湖の方に行き、4枚のスケッチ用のCanvasを持参したが、1枚しか仕上げず、後はみんなの描いているのをぼーっ、とみつめたり、1人で黙々と色んなことを考えていた。
D.Pが「どう調子は?」といってやってきた。
私は「何か、こんがらかってきて・・・」とだけ伝えると、私が何かに、苦しんでいるのが分かったのか、D.Pは「悩むことはいいことだ。」とだけ言って、去っていった。私は、彼が変に、あーでもない、こーでもないと、説教せずにいてくれたことに感謝した。

最初の1週間は、がんばっても、がんばっても、ろくな物ができなかった。それでも、D.Pはクラスの後に細かく技術的な面でアドバイスをくれた。
「ここの色は不自然だ。」とか、「ここの部分の色を変えればこの部分が際立つ。」など、今まで、ここまで細かくアドバイスされたことがなかったので驚いた。
時には、自分は離婚調停中といい、でもヨガのインストラクターの彼女がいると言った時は、なんと言っていいのか分からなかった。
今思うと、D.Pは私に生徒と教授という一線をひかず、私を自分と同じPainterとしてみなして接していたように思える。このD.Pとの何気ない会話が私の気を紛らしてくれたのも事実だった。

モネの作品 Water Lillies

クラスメイトのJeff

このクラスに大学院生が2人いた。
1人はいつも私たちと行動をともにしていたが、もう1人の方はたまにしか姿を見せない。私がスタジオで授業前にD.Pと話していると、その大学院生が入ってきて、D.Pと話し出した。

彼が去ってから、D.Pに「彼、大学院生?」と聞くと「そうだけど、何で?」と聞き返された。ルックスがいいので、D.Pは私が彼のルックスのせいで尋ねたのだろう。と勘違いしていたようだった。
現に誰がどう見てもルックスが悪いとはいえない容姿だったが、その時、彼から他の人とは、あきらかに違うエネルギーが出ているのを私は感じたので聞いただけだった。
私は「あの大きな絵は彼のもの?」とスタジオ内の仕切られた棚の上の隅に大きなCanvasに描かれた作品のことを聞くと、D.Pは「そう、素晴らしいだろ?」と言った。「一体、誰の作品なんだろう?」と私はずっと思っていたのだ。彼はどうやら、ピッツバーグから通っているので毎日これないらしい(ピッツバーグから大学までは片道3時間かかる)。

次の週、授業前に私が1人でスタジオで描いていると、彼がやってきて、「この辺に座ったらじゃま?座っていい?」ときいてきた。
私はスタジオ全体を描いていて「誰も邪魔しないで!」位の勢いで部屋全体を独り占めしていたのだ。
私は「かまわないわよ。」とだけいった。
沈黙が苦手な私は「素敵な作品ね。」と彼の絵をみながら言うと、彼も自然に話し出した。思ったより気さくな感じの人だった。

彼はJeffといい、数年前に卒業しており、今はピッツバーグの中学で美術の先生をしていると言った。
アメリカでは大学を卒業して働き始めても、キャリアアップやブラッシュアップのため大学院に戻ったり、夏季クラスを専攻したりする社会人が多い。

Jeffの父親はPainterだったけれども24歳の時にやめたと言う。他にも色々な事を話をしてくれた。彼の年齢は聞かなかったけれど、おそらく、28歳前後だったと思う。私は20歳前後の生徒達としか関わっていなかったので、同じレベルで話のできる彼のようなクラスメイトが出来たことがとてもうれしかった。Jeffは1週間に2回だけクラスに出席した。

その次の週も私が1人でスタジオ内から外の景色を描いていると「今日は天気もいいから外に出たほうがいいよ。」と進めてくれた。
私はJeffに「あなたも行くの?」と聞くと「もちろん。」と言っていた。今、思えば何故、私は「一緒に行ってもいいか?」と気が利いたことが聞かなかったのだろうと思う。初めて会話した日に彼は、このクラスが明けたら結婚するといっていたので、彼の方から、あつかましいことを言えなかったのだろう。この時、すでに私たちはお互いがクラスメイト以上の感情をお互いに抱いていることが確かだった。クラス前の会話できるわずかな時間を2人とも楽しんでいだ。私の風景画が上達したのもJeffの影響が大いにある。

4週間、朝から晩まで絵を描いていればやはり多少の上達はあり、クラスが終わる頃の風景画は最初の嫌々、描いていた頃のものとは比べ物にならない程で、並べて見つめていると自分でもおかしくて仕方なかった。
最終CritiqueにはJeffも出席し、私にたくさんのアドバイスをくれた。
彼が自分自身の絵について話す時に「仕上げた作品を運ぶ為に昨晩、ピッツバーグからここまで運転した時に見た夕日があまりにも綺麗で、あんなに素晴らしい夕日は今までで見たことがなかった。あの色を自分の絵に取り込むことができたらと思った。」と言っていたのが忘れられない。
毎晩スタジオには遅くまでいたのに、昨夜に限って早めに切り上げてしまったことを私はとても悔やんだ。

D.Pは、自分のお気に入りのビデオを私たちに見せたいと言い、最終日にビデオ上映会をもうけた。生徒は各自スナックやケーキなどを持ち寄り、ささやかなパーティーをした。私はJeffは遠いので来ないと思っていたが、はるばるやってきてくれた。D.Pにお礼の挨拶を言うJeffが「この週末は旅行の為のパッキングでもするよ。」といっていたのが聞こえた。ハネムーンなのだからもっとうれしそうな表情をしてもいいのに、何故か、私には悲しそうに見えて仕方なかった。

その日は、私はあまりにもたくさんの作品がある為、スタジオからアパートまで一人でふらふらと運んでいるとJeffが声をかけてくれて、彼の車で1度に運んでもらった。車から絵をおろすのにJeffが1枚、1枚を大事そうに私の絵を取り出していた姿が忘れられない。そして、この時も私は気の利いたことひとつ言えなかった。メールアドレスさえ聞くのをすっかり忘れていた。
友達でいることは罪にならないのに、何て、抜けてるんだろうと思った。
こうして、私の甘いひと夏の恋は幕を閉めたのだ。


いいなと思ったら応援しよう!

sakurasaku 貴重なお時間をさいて、最後まで読んでくださって本当にありがとうございます☆彡少しでも心に響いてくださったら、そっと応援してもら えたら嬉しいです♪