フィリピン里親の話⑤|善意と依存の間で揺れた話|「見捨てたら」と思ってしまった私
小さな商店の写真が届いた時。
私は、
少しだけ安心していた。
良かった。
ちゃんと送金は届いたんだ。
生活が少しでも良くなるなら。
子ども達のためになるなら。
そう思った。
けれど、
現実は、
ここで終わらなかった。
◆「やっぱり、出稼ぎに行きたい」
しばらくして、
里子から連絡が来た。
「やっぱり、出稼ぎに行きたい。」
シンガポール。
高校を卒業して数年の独身の頃、
一度働きに行った国。
前回は、
一年も経たないうちに帰国してしまった。
でも今度こそ、
途中で帰らず、
二〜三年は働いてくるつもりだと言う。
理由は、
とても現実的だった。
子どもが二人いる。
夫の仕事は不安定。
生活を立て直したい。
子ども達のために、
もっと収入が必要。
私は、
その気持ち自体は理解できた。
母親として、
何とかしたいのだろう。
その必死さは、
画面越しにも伝わってきた。
けれど、
問題は、
必要なお金だった。
5万円。
渡航費用そのものは、
借金ができるらしい。
ただ、
出発前に必要なものがある。
都市部での健康診断。
虫歯治療。
出国前の準備。
そのための現金が必要だと言う。
私は、
正直、
思った。
「もう無理かもしれない。」
◆ここで断ろうと思った
一万円の時も、
かなり悩んだ。
今回は、
五万円。
額も違う。
そして、
一度送金している。
私は、
頭のどこかで、
こう考えていた。
「このままだと、ずるずる続く。」
ここで断った方がいい。
線を引くべきだ。
支援団体が、
「個人情報を教えたり、直接連絡を取らないでください」
と言っていた理由も、
もう分かっている。
これは、
危ない流れなのかもしれない。
私は、
断ろうと思った。
本当に、
そう思った。
けれど。
考えるのをやめられなかった。
彼女には、
夫以外、
頼れる家族も、
兄弟もいない。
もし、
ここで私が断ったら。
もし、
出稼ぎに行けなかったら。
子ども達は、
どうなるんだろう。
私は、
そこから先を、
考えないようにしようとしても、
考えてしまった。
◆大学に行けていたかもしれない
その時、
ふと思ったことがあった。
私は、
18歳の頃、
彼女の里親だった。
でも、
支援は中学卒業で終わった。
もし、
その後も学資支援が続けられていたら。
もし、
高校だけではなく、
大学まで行けていたら。
彼女の人生は、
少し違っていたのだろうか。
もちろん、
そんなことは、
誰にも分からない。
支援があったからといって、
人生が必ず変わるわけでもない。
でも、
私は考えてしまった。
「あの時、出せなかった分を、今出したと思うことにしよう。」
それが、
正しかったのかは、
今でも分からない。
でも、
その時の私は、
そう考えた。
そして私は、
また送金した。
◆無事にシンガポールへ
その後。
彼女は、
無事にシンガポールへ渡った。
メイドとして働き始めた。
到着後、
メッセージも届いた。
私は、
良かった、
と思った。
本当に。
今度こそ、無事に行けたんだ。
子ども達の生活も、
少しは良くなるかもしれない。
そう思った。
けれど。
私の中では、
別の感情が、
少しずつ大きくなっていた。
怖さ。
また、
何か頼まれるかもしれない。
また、
お金の相談が来るかもしれない。
そう思うと、
メッセージを見るのが、
少し苦しくなっていった。
私は、
返信を減らした。
完全に無視したわけではない。
でも、
以前のようには返さなくなった。
正直に言うと、
催促されるのが怖かった。
それでも。
ブロックすることは、
できなかった。
18歳の頃から知っている、
遠い国の女の子。
仕事に疲れていた頃、
私を支えてくれた存在。
その人を、
完全に切り離すことは、
どうしてもできなかった。
だから、
誕生日。
クリスマス。
そんな時にメッセージが来ると、
私は、
せめてもの気持ちで、
リアクションボタンを押していた。
それくらいの距離感が、
当時の私にできる精一杯だった。
◆善意と依存の間
今振り返っても、
私は、
自分が正しかったのか、
分からない。
私は、
支援したのだろうか。
それとも、
依存を生んでしまったのだろうか。
善意だけでは、
続かないことがある。
でも、
善意がなければ、
救われなかった人がいるのも、
たぶん事実なのだと思う。
その境界線は、
思っていたより、
ずっと曖昧だった。
そして私は、
この後、
ある形の距離感に落ち着いていくことになる。
完全に縁を切ることもできない。
でも、
以前のように近づくこともできない。
そんな、
少し不思議な関係に。
(続く)
次回予告
フィリピン里親の話⑥|今、彼女とはFacebookだけで繋がっている|
会いたいのかもしれない。でも、この縁を後悔したことはない
今、
私たちは、
ほとんど連絡を取っていない。
でも、
Facebookでは繋がっている。
彼女は私の近況を見ることができるし、
私も、
彼女の投稿を見ることができる。
18歳から始まった縁。
私は、
もし将来、
本当に彼女に会える日が来たら、
どうするのだろう。
そんなことを、
時々考える。
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