見出し画像

『日の名残り』的会社員の社内イベント攻略法|忠誠心はいらない

先日、会社の懇親会向けの動画を作っていたことを書いた。社員の多くがこのイベントの開催をめんどくさがっており、そんななか多大な時間を掛けて準備をしていた背景からまるでプロパガンダ映画製作のように感じてしまったという話である。(日曜日の休日出勤だったことも要因のひとつである)

僕はこういった社内イベントに関わる仕事には斜に構えた姿勢で参加してしまうタイプだが、一緒に作業している社員のなかには素直な気持ちで取り組んでいた社員もいる。

僕が斜に構えてしまう理由は、ただ単にやらされている仕事でめんどいからというのもあるが、実際にこういったイベントに効果があるのかどうか甚だ疑問に思ってしまうからに尽きる。以前、実施した社内バーベキュー大会に参加していた社員の大半が現在はもう既に辞めている事実がある。最近の若い社員は社内イベントに行きたがらない。

あとになって振り返った時に「あの時やってよかった」と思えるかというと少し疑問に思ってしまう。こういった考えにより、あまり感情を入れて仕事に取り組むことができなくなってしまった。

ただ、仕事というのは感情が入っていなくてもできるものだし、嫌いな人とでも一緒に取り組むことができる。だから気持ちが賛同していなかろうと、やるべきことは淡々と遂行することができる。僕はこういう考え方を長年かけて培ってきた。

しかし普通は自分がしている仕事に意義を持って取り組みたいものだと思う。逆効果になるかもしれない仕事に対して熱心に取り組むというのは難しいものなんじゃないか。そして自分が信念を持って取り組んだことが、あとになって意味を成さなかったとわかったとしたら後悔は大きくなるんじゃないか。そんなことを考えることとなってしまった。

会社の評価だけでなく社会が形成する価値観というのも往々にして変わる。数年前までは働き方改革が叫ばれてワークライフバランスが重視されていたが、数年経過するとハードワークで稼げる人間がもてはやされたりしている。ステイホームが叫ばれてから数年経ち、社内イベントとして飲み会が増えたことから結局のところモラハラやパワハラが増えてきている。

目の前のことに一生懸命取り組むのは大切なことではあるけれど「時代は変わる」という事実は忘れずに頭に入れておいた方が良い。

社内イベントの意義が時代で変わるように、個人の仕事観も時代によって相対的に変わってくる。例えば、カズオイシグロの小説に『日の名残り』という作品がある。

『日の名残り』では、主人に仕えるイギリス人執事が第二次大戦を経て社会からの評価が180度変わってしまったあと、自分の仕事と人生を振り返るシーンがある。人生における後悔との向き合い方が描かれた小説だ。執事の名はスティーブンスという、愛国心の強い男性だ。

この作品を読んで、人生における後悔の受け入れ方を考えても良いし、人生で後悔はしたくないと捉えるのも良い。世の中に絶対的な正解は存在せず、正解の基準は時代によって変わるということがわかる。

社内イベントでも何でも一生懸命取り組むのは必要なことだが、あまり気を入れ過ぎてもその結果が自分に帰ってくることはなく、正解だったかどうかもわからないままだ。社内イベントへの熱意も、5年後には無意味に見えるかもしれない。

だから僕は斜に構えた視点を持ちつつ、淡々と作業を続けることにしている。『日の名残り』のスティーブンスのように過去を悔やむ必要はないのだ。

社内イベントに熱意を持てなくても、それは仕事が嫌いなわけじゃない。会社員としての役割とプライベートの線引きができている証拠だ。プロとして淡々とこなし、定時で帰る。『日の名残り』の時代から80年、今は無意味な忠誠心に縛られる時代ではないと思っている。

いいなと思ったら応援しよう!