本をたくさん読めるようになるには―
先日、大学生の月平均の書籍費が1,000円を切り、読書離れが叫ばれているというニュースを取り上げた。ここでは、読書離れの原因は読書の必要性が減ってるからじゃないかという持論を書いている。
さて、僕自身は月平均の書籍費は1,000円では収まっていない。毎月10,000円以上の本を買っており、全部読み切れないとしても毎日の読書は欠かさない生活を10年以上続けている。2年前くらいから仕事で管理職になり、多忙で飲酒に逃げてしまい読書量が一時的に減ったけれど、ここのところ禁酒が功を奏して再び読書ができるようになってきたところだ。
僕が憧れて尊敬するような読書家の人は年間で200冊~300冊、場合によってはそれ以上読んでいるケースもあるので、それに比べると僕は人並みかもしれない。それでも僕も年間で数十冊は読んでいるので、読書離れが進んだ現代では「どうしたらそんなに本が読めるの?」と聞かれることもある。その「コツ」を知りたいという人もいるみたいだが、速読の技術などはなく「ただ読んでいるだけ」なのが正直なところだ。
だから、結局のところ本をたくさん読む方法は「いかに時間を掛けるか」に集約されると思う。もっと言えば「人生における読書の優先順位をどれだけ高めるか」となる。
例えば、食事をする時間、睡眠時間、家族や恋人と過ごす時間、これらの時間を自然と作り出している人の場合、この時間は人生において「本当に重要な時間」だということだろう。それは人生において譲れない時間であり、意識せずとも生活に組み込まれている。
じゃあ、読書をする時間は?この位置づけを考えれば、自ずと本が読めるようになる。
本を読んだことによって、悩みや課題が解決されたことがある場合、大して深い話をするわけでもない友人と一緒に時を過ごすよりも、ひとりで読書をする時間の方が有意義になることがわかる。本を読んで得た知識が、仕事の役に立った経験がある人は、会社で生じる無駄な残業をするくらいならすぐに帰って本を読んだ方が有意義になることもわかる。少し前の僕の場合は、飲酒によって曖昧になった日常の記憶よりも本を読んで身に付いた知識の方が有意義だと思った。
こうして考えると、読書はあらゆる生活のアクティビティよりも「本当に重要な時間」になり得ることがわかってくる。食事をするように、睡眠を取るように、家族や恋人と過ごすように、本は自然と読んでいればいいのだ。
ただし、それは読みたい時に読むような感覚ではなく、少しでも時間があれば本を読むような感覚でもある。
気が向いたから本を読むのではなくて、一瞬でも時間ができたら本を開いて読み進める。電車に乗っている時、スマホをいじるのを辞めて本を読もう。病院の待ち合室でも、仕事の休憩中でも、常に本を持ち歩いて少しでも時間ができたらとにかく読めばいい。
上述の書籍費の記事に話を戻すと、本を買うにもお金が必要だという人がいるかもしれない。確かに高額な書籍も一部あるけれど、大抵は高くとも数千円だ。Amazonでは小銭のようなレベルで本を買うこともできる。
生活必需品や食費を「金がない」と言って買わないわけにはいかないように、気になる本があった時に「金がない」と言って買わないことは辞めにしている。読書は知識を蓄積して投資にするものだから、ケチってしまった時点で機会損失を生んでいることを意識しておきたい。
読書をすることで人生観は深みを帯びて豊かになる。そして時に裕福になることだってある。ウォーレン・バフェットは「知識は福利を生む」と言い、エラスムスは「私は、少しお金が入ると本を買う。そして、もし残れば食べ物と服を買う」と言った。金持ちになりたければ、実は本を買うために金を払うのが大切だったのだ。
薄情に思われるかもしれないけれど、僕は最近飲み会に誘われた時は「ひとりで読書をした場合よりも有意義かどうか」を参加の判断軸にして、結構な割合で飲み会を断るようになった。
家庭を優先して飲みに行かない人と同じで、要は読書の優先順位は極めて高く、人生において必要な営みだと考えているわけだ。
だから「どうすれば本をたくさん読めるか?」を問われた時、それに対して技術的な回答をすることはない。時間を作ってただひたすら読んでいるだけだからだ。
