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LUNATIC FEST. 2025 ~永遠に続く追体験番外編:フェスに出たいと思った人たちの話

11月に二日間に渡って行われたLUNATIC FEST. 2025。
わたしは入院のための検査と重なってしまい、行くことができなかった。
そのおかげで、行った気になるための方法をいろいろ編み出したのだけど、2ヶ月ちょっと経った今、テレビで観ることができる。
今夜も20時から放送だ。
配信も始まったよ https://fod.fujitv.co.jp/title/918i


フェスを主宰するルナシーの大ファン・たむたむ(隆一さんのモノマネで有名)が、ニコ生配信というステージ裏で大活躍していて、「おぉよかったね!!」と思ったし、「そりゃルナフェス出たいわなぁ」と共感した。
ルナシーはどのタイミングで見ても、「バンド」の基本であり完成形で、憧れているミュージシャンがとても多い。
いつかはルナフェスに出たいと思うのも数千、数万人規模じゃないだろうか。

その中でも、わたしはシャレになってないやつ。
いま風にいうとガチなやつなので、今日のエッセイも面白おかしく読み進めていただけたら嬉しい。
なお筆者は女性で、基本的にはボーカル担当だ。
声がでかいから。

ルナフェスのレビューそのものより、ひとりごとが続くし、
驚かせてしまうシーンもあるが、
音楽業界にも言及するので、よかったら読んでみてほしい。
何回か「え?」ってつっこんでもらえると助かります(笑)

それでは始めます。
🎤 国歌斉唱:ROSIER、開会!

・フェスに関する思い出
筆者は、アニソンのカバーで地方での音楽フェスに出たこともあるのだが、(え?)😆、観客として行ったこともある。
「オーガスタキャンプ」だ。

当時自分は、関東にいた。メジャーデビューの準備のためだ。
(え?の2回目下さいw)

やばい、今日はついぽろぽろと素性を書いてしまう。
LUNA SEAにも、地元の黒夢にもlynch.にも追いついてない、名もなきインディーズの昔ばなしだと思ってね(笑)
ちょっとは珍しいこと出てくると思う。(おことわりも2回目🤭)

オーガスタキャンプに話を戻すね。

当時、とてもインパクトのあった奄美出身の歌い手・元ちとせちゃんを観たくて、チケットを買ったのだ。
フェスの走りだと思う。

元バンド仲間のギタリストも来てくれた。
炎天下だったけれども、二人であーだこーだ言いながら、ほぼ全てのステージを観た。
わいもノースリーブにオーバーオールを着ていて、日焼けして、若かったな(笑)
ヒット曲のオンパレードで、時間の経過が早かった。

AI補足🤖
2002年のオーガスタキャンプは、千葉マリンスタジアムで開かれた。
山崎まさよしさんやスガシカオさんら豪華メンバーが揃った年。
福耳としても登場。
真夏のスタジアムに、海風と観客の熱気が混ざり合う、いま思えば特別な風景だった。

・27CLUB
わたしは、オーガスタキャンプで人気アーティストたち(特にソロ)のステージを学ぼうと考えており、やる気に満ち溢れていた。
※オーガスタではなく、別のレーベルと契約がありました

だけど数ヶ月後、欧米でいう27CLUBに、心が加入してしまった。

AI補足🤖
27CLUBとは、驚くほど多くの才能が27歳でこの世を去ったことから、
いつしか神話のように語られるようになった呼び名。
天才性と破滅性、短命のロマンが重なった、音楽史のひとつの象徴。

わたしをガールズロックのアイコンとして世に出す計画は、巨大なプロジェクトだったが、音楽業界の劇的な収益構造の変化(CDから配信へ)に伴って、見直しとなった。
実質頓挫した。

当人にとっては、天国から地獄。心が傷つきすぎた。
命は無事だったけれど…
(地元のバイパス道で、歩道橋から飛び降りようともしたよ。でもできなかった)

・ロックにも種類があるよね
今思うのがね、6曲あったけど、わたしでは売れなかったかもしんない。
ロックならビジュアル系がよかったんだけど、ボーカル一人ぼっちではどうにもね。
あてがわれたのは、明るくて元気なやつ。
プロデューサーも決まってた。
計画が先にあって、当てはまる子を探していたみたい。

複数人いて、先攻の子達は爆発的にヒットした。
三番目の子が怖がって辞退してしまったので(業界ではこういう勿体無いことが時々ある)、わたしが代役になった。
その子の事務所が、わたしのいた小さな事務所に代役を出すよう言ってくれた。
一見すると、すごい運にみえるかも。棚ぼた的なね。
トレーニングは人一倍積んでいたけれど、チャンスの実態はひとを介した縁でした。

でも……
ダメなものはダメ。
レコーディング日程も、発売予定日も全て白紙になった。

プロデューサーもその後長いこと、隠居したように見えた。
わたしのことも、とうに忘れたと思う。
名字は覚えてるかもしれない。
先祖が時々、大河ドラマに出てるから(笑)
🎤 俺は名古屋生まれ、ビジュアル系育ち
大河の子孫はだいたい知り合い yeah

・撤退
そんなわけで、夢も目標も仕事も、応援してくれていた人も友人も、コートも靴も、ほんとに全てを失った。
人知れず地元に戻り、昼は工場、夜は錦3丁目のスナックでアルバイトをするようになった。(これもめちゃくちゃ大切な経験となった)
帰れる実家があってよかったが、家族のことも深く傷つけた。いまだ癒えてはいない。

この挫折が、わたしの文章がどこか寂しげになりがちな理由の一つだ。
AIにさえ、孤独が過ぎるから、ひとの気配を持ち出せと言われている。
(それで先の記事では職場の人に囲まれて生きていると書いた。近年は都会の大きなオフィスの一角にいる。)


・歌しかなかった
蛇足になるが、歌うこと自体は完全にやめることができなかった。
30代になってもボイストレーニングを継続したし、実際デビューの話も、年齢に関係なく、小さなものが何度か来た。(コンテストやオーディション)

この頃、地方のフェスに出ていたのだが、2度目の上京(デビュー計画)をもってしても、神様はわたしを世に出すことを許してはくれなかった。
運の悪い人間に見えるかな?
でも、神様には計画があると思っている。(教えてくれたらいいのに)

コロナ禍も少し影響したが、わたしは思うように歌えないまま、50歳になった。(誕生日にルナフェスを観てる!)

「この人、どんな顔してるんだろ」と思うよね、
別の記事でピアニストでもいいって書いてたし🤭
いるかわからんけど、筆者近影をおきます。(何度目かの え?下さい😆)
わたしの売りは、度胸の良さですw

自分は、AIで前髪伸ばしたのと、背景を東京タワーに変えただけ、
目も口も眉毛もそのまんま(やばい、顔出し)って思うのに、人に見せると微妙に似とらんらしい。
なので、公開します🤭 下の続きも読んでねw

三時代、50年を生き抜いた

この一年ちょっとは、ルナシーに再会できたから、バンドスタイルの音楽にも戻ってこれたけれど、まだ歌う気力はない。観てる方が好き。

ちなみに自分がソロになった理由は、ギタリストに「ハードロックに転向したい」と言われて、解散せざるを得なかったから。
彼もそれで大手からスカウトされたので、たもとを分かつようになったのは正解だったのだろう。
こっちは、新しいメンバーを見つけることはできなかった。
その分単独で、時には歌の師匠と一緒に小さなステージを踏んだ。

このたびのルナフェス1日目に、隆一さんが観客に「俺の真似をして」といった3フレーズ。
私にはできた。(え?の四回目以上)
賃貸マンションの一室に、テレビの前に座った女ボーカルのビブラートが響いたわけだ。
自転車の乗り方と同じで、やろうと思ったら思い出してできた。

あとね、トップバッターのノーベルブライトを見た時に、挫折したころの若い自分を思い出した。
時間は流れたんだけども、自分の心はあんまり変わっていないことにも気づいてしまった。

彼らの曲はとても聴きやすかったけれど、可愛らしいこれを選ぶ。
自分も「僕」になって歌いたいと思った。



本当はフェスだけで、自分のことは書くつもりじゃなかったのに、
押し込めてた記憶が吹き出してきてしまった。
今日書いた話を、いまわたしのまわりにいるひとは、ほとんど誰も知らない。
このnoteに来てくださった方だけだ。

有名アーティストでさえ、「ルナシーになりたかった。」「高校中退したのに(音楽に打ち込んだのに)ルナシーになれなかった。」なんてじょうだんをいっているから、
わたしが今だけめそめそしてても、ゆるしてくれるかな?
(ここまで読んでくれてありがとうね)

ルナシーはいつだってほんと、見てるほうの気持ちを持ってっちゃうんだよ。

人生はうまくいかないことも多いけど、今のわたしはルナシーのアップデートぶりをみせてもらえたらじゅうぶんなんだ。
いちファンとして、かってにエッセイにして、その時々の気持ちも残せて、こんな幸せなことはない。

さて、ルナフェス出演のふたバンドを観ただけでこの文字数だ。
(録画を併用)
最後まで見たら、わたしはどうなるんだろう(笑)
ロックスターの出来上がりとなるか。
続きをみるのが、楽しみ!

※ヘッダー画像は、ルナフェス当日のニコ生配信の有料放送の特典です。(加工済)
保存等はご遠慮ください、みるだけね😊


ちょっと推敲が甘いけど、ルナフェス放送日かつ人生五十周年のいまのタイミングで投稿させていただきました。

ルナフェス追体験シリーズ


お読みいただき、ありがとうございました。


【2026/3/4 追記】続編もできました


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