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一畳半から4,645万円。株が紙切れになり、就職したら?と言われた崖っぷちからの逆転【第3のどん底⑤ 躍進編】

「まだ僕には経験が足りない。
もっと再現性の高いビジネスの仕組みはないのか?」

宮崎の片田舎から始めたブログで100万を稼ぎ、自分の「言葉」と「経験」そのものに、お金を払ってくれる人がいる──その手応えをつかんだ。

けれど同時に、
「もっと、自分の経験そのものを深く・広くしていく必要がある」
と感じ始めていたことを、前回お話しました。

その大きな柱だった収入源「ネット起業大学」の新規会員募集を止めると決めた僕は、
「もっと長く回り続ける、“仕組みとしてのビジネス”は作れないか?」
と、ゼロから探し始めます。

ところが、その矢先に起こった大きな事件をきっかけに、家計も心も、じわじわと破産寸前まで追い詰められていきました。

今回は、そのどん底から「在庫ゼロのネットショップ」にたどり着き、自宅の一畳半から4,645万を売り上げるまでのプロセスをお話します。

3度目のどん底から、もうひとつの「ひとりで稼ぐ仕組み」が形になっていく瞬間です。

もし今あなたが、「いちど失敗して貯金も底をつきかけている」「ひとり起業でなんとか稼ごうとしているけれど、仕組みづくりに行き詰まっている」──そんな状態なら、今回の話は「そこからどう動けばいいのか?」を考えるヒントになると思います。


突然のライブドア事件と、じわじわ始まるお金の不安

「ネット起業大学」の新規会員募集はいったん止めたものの、宮崎の片田舎からインターネットを使い、自分の「言葉」と「経験」でお金をいただけるところまで来た──。

そんなひとつの足がかりを得たことで、「またアイデアさえ浮かべば、勢いを取り戻せる」と感じていました。

僕は、もっと再現性の高いビジネスの仕組みで、長く稼ぎ続けられる方法を探し始めます。

ところが、そんな中で起きたのが、ライブドア事件でした。

僕がライブドアの株を持っていた理由

僕は、ハウスクリーニングの仕事で倒れたあと、株のデイトレーダーに転向しました。

しかし、株の世界の恐ろしさや精神的な不調からデイトレをやめ、その後は株を中長期で持つスタイルに変えました。

そして、手元の資金をライブドア株に振り替えた──という話は、以前の記事でお伝えした通りです。

当時、ライブドアや社長の堀江貴文(ホリエモン)さんに期待し、心から応援していたこともあり、「中長期で株を持つならライブドアだろう」という流れになるのは、ごく自然なことでした。

だから、ブログもライブドアブログで開設したのです。

堀江さんが本を出し始めたのもその頃でした。

そんな堀江さんの本を読んだり、起業家向けのDVDセミナーを見ながら、「インターネットを使った個人起業家の時代がくる」
「既存の仕組みを壊して、新しい働き方が始まる」
と、勝手に自分を重ねながら応援していたのです。

その堀江さんの起業家向けのDVDを紹介するアフィリエイトでは、日本でもトップクラスの成績を出し、主催会社から東京に招待されたこともありました。
それくらい、熱と自信を込めて紹介していたのです。

ネットで配信されたライブドアの株主総会では、堀江さんが涙ぐむシーンもあり、懸命に頑張っている姿が目に焼き付いています。

僕自身、ライブドア株で大きく儲けたいというより、「この会社はきっと伸びるし、伸びてほしい。その流れを信じてみたい」──そんな気持ちのほうが強かったんです。

だからこそ、「ライブドア株は、このままずっと持っておこう」と決めていました。

応援していたライブドア株が紙くず同然に

2006年1月16日でした。
ニュース速報を見たときの衝撃は、今でもはっきり覚えています。

ライブドアを証券取引法違反の疑いで強制捜査

頭が真っ白になりました。

チャートは一気に急落し、翌日も、その翌日もストップ安。
モニターに映る数字は、みるみるうちに小さくなる。
その速度は、デイトレで見たどんな下げよりも速かった。

「嘘だろ…? あのホリエモンが…?」

心の中に、悔しさや疑問がぐるぐる渦巻く。
けれど、正直いちばん先に出てきた感情は、「またやってしまった」という思いでした。

せっかく、「これで3度目のどん底から這い上がれるかもしれない」という感触をつかみかけていたのに、またしてもお金が溶けていく。

正直、途中で生活費に変えたい気持ちもありながら、それでも僕はライブドア株を持ち続けていました。

株式分割を繰り返していたライブドア株は、1株数百円で買える手頃な人気銘柄でした。

そのライブドア株が、気づけば数十円。
約10分の1の価値になっていたのです。

しぼんでいく起業家の熱──ライブドア・ショック

お金を失ったことはもちろんですが、このライブドア事件は、僕のマインドにも少なからず影響を与えました。

M&Aを繰り返し、ガンガン成長し、キー局まで買収しようとしていた──それまで日本に存在しなかったタイプの、ホリエモンという若い起業家。

そのホリエモンが、「日本の秩序を乱す存在」として排除されていくような空気が、一気に広がっていきました。

「ホリエモンに続け」と燃えていた若い起業家たちの熱や勢いが、目に見えてしぼんでいくのを、宮崎の片田舎にいた僕でさえ感じたほどです。

まるで、「若い起業家が成功するのを、大人たちが歓迎していない国」のような空気感。
飛び出た杭は打たれる──それを、生で見せつけられているような感覚。

このライブドア事件は、のちに「ライブドア・ショック」と呼ばれる株式市場の暴落につながっていきました。

ライブドアが上場していた新興市場・東証マザーズには不信感が広がり、マザーズ指数が事件前の水準に戻るまで、実に6年もかかったのです。

ナポレオン・ヒルのプログラムで「積極的心構え」を学んできた僕は、そのマインドで何度も逆境を乗り越えてきたはずでした。

それでも、日本全体を覆うこの空気、そして自分自身の柱となる稼ぎがない状況の中で、心のどこかで、燃料が少しずつ尽きていくような感覚がありました。

ブログとメルマガの配信を一旦やめる決断

自分のマインドが揺らぎ、さらにお金の不安もじわじわと大きくなるなかで、もうひとつ、僕を追い詰めていったものがありました。

「発信する側としての葛藤」です。

日々、熱量を込めて書いていたブログとメルマガ。
楽しみにしてくれている読者さんがいることも、よく分かっていました。

それまでは、読んだ人が元気になれるような配信を心がけてきました。

けれど当時の僕は、日本全体の暗い雰囲気と、自分のビジネスの模索やお金の不安に苦しんでいる真っ最中。

そんな中で、前向きな言葉だけを並べたブログやメルマガを出し続けても、それはもう「嘘」になってしまう。
次第に、耐えられなくなっていったのです。

「今の自分は、胸を張って“こうすれば大丈夫です”と言える状態じゃない。」

それが、正直な気持ちでした。

そして、ライブドア事件から3ヶ月後の2006年4月24日。
僕はキーボードに向かい、次の文章を打ち込みました。

件名:お知らせ

突然ではありますが、次号より私のメルマガの発行周期を不定期とさせて頂きますm(__)m

毎週楽しみにして下さったみなさま、申し訳ございません。

今後は、私が発行したい時にしていきたいと思います。

まぐまぐ!『24時間ネットで収入を得続ける~自由で幸せな生き方~』発行人 関達也

メルマガの送信ボタンを押し、同じ内容をブログにも投稿しました。

その瞬間、胸の奥に「申し訳なさ」と「少しだけホッとした感覚」が、同時に湧き上がってきました。

「楽しみにしてくれていた人を裏切ってしまった」という罪悪感。
「もう、日々の配信に追われなくていい」という安堵感。

どちらも、本音でした。

この「不定期配信」のお知らせは、事実上の「発信を止める宣言」でした。

僕は、復活するためにブログもメルマガもいったん止めて、「ビジネスの仕組みづくり」にフルコミットしました。
一点集中で、そこに賭けることにしたのです。

生活のために、大切なものを手放していく

メルマガとブログという「発信の軸」が止まると同時に、家計の現実はさらに厳しくなっていきました。

固定の売上はない。
入ってくるお金は、以前作ったサイトからのアフィリエイトなどの収入と、不定期で入るサポートの依頼くらい。

こうしている間にも、通帳の残高はじわじわ減っていく。

家賃、食費、光熱費、クレジットカードの引き落とし……。

長女を保育園に入れるお金もありませんでした。

本当は保育園に預けて妻の負担を減らしてあげたかった。
けれど現実にはそれもできず、妻には、当時4歳と2歳だった二人の小さな子どもたちの子育てに専念してもらうしかありませんでした。

「僕が稼いで家族を幸せにし、自由に生きる。」

それが、当時の僕が描いていた成功の定義でした。

やがて僕は、生活費をつくるために、少しずつ手元のものを手放していくようになります。

大切にしていた、頑張って買い、少しずつ自分好みにカスタムしてきた愛車スカイラインGT-R(BNR32)まで手放すことにしました。
ほとんど自分のアイデンティティそのもので、身体の一部のように感じていた車でした。

売ってしまえば、同じGT-Rを買い直すことはできても、「あの1台」は二度と戻ってきません。
それでも、そのときの僕にとっては、家族を守ることが最優先でした。

これまでも何度も選んできた、「全部をゼロにして、そこから再出発する」という生き方。
僕はまた、そのカードを切ることにしたのです。

ひとりネット起業の条件を書き出す日々

前回お話ししたブログとメルマガ、そして会員制ビジネスを通して見えてきた「ひとりネット起業の条件」。

さらに、それまで僕がやってきた、ネットワークビジネス、雑貨店、カーシェアリング、アフィリエイト、ハウスクリーニング、リフォーム、株・デイトレード、ヤフオク転売、中古車ネット販売……

数々のビジネスの「反省・失敗・成功」から浮かび上がってきた「これだけは外せない」という条件を、改めて書き出していきました。

  • 在庫を持たない

  • 初期投資のリスクが低い

  • 固定費がかからない

  • 自宅で完結する

  • どこでもできる

  • ひとりでできる

  • 直接会わなくていい

  • 人間関係のしがらみがない

  • 自分が100%責任を持てる

  • 肉体を酷使しない

  • 精神をすり減らさない

  • ネットを使う

  • 頭と経験をフルに使う

これらのリストを、毎日のように眺める日々。
お金は減っていくのに、答えはまだ見えない。

「この条件を、全部満たす仕組みはないだろうか?」

できるだけ頭をゼロに、できるだけ空っぽにする。
そしてアイデアが浮かんだら、いつものA4の書き殴りノートに、思いつくまま書き出していきました。

「就職したら?」と言われた日

愛車を売ったお金で、なんとかしばらくは持ちこたえていましたが、その蓄えもいよいよ尽きかけていました。

そんな頃、義母や妻からこう言われます。

「そろそろ、就職したほうがいいんじゃない?」

義母は、僕と妻の歴史をよく知っています。

結婚後、雑貨店で一度は成功したものの、そのあとカーシェアリングビジネスの詐欺で全財産を失い、福岡から宮崎の親元に家族4人で居候したこと。

その後も、ハウスクリーニングをやめ、株もやめ、中古車ネット販売はうまくいかず、経済状況が決して安定していないこと。

そんな背景を知ったうえで、「就職」を勧める気持ちは、痛いほど分かりました。

義母が、妻や子どもたちのことを心配してくれているのは、重々承知のうえです。

でも、24歳のとき「生きている意味を見出せなかった自分」が、覚悟を決め、自由な生き方を目指して起業してから、すでに12年。
それでも、まだあきらめきれていませんでした。

しかも、第2のどん底で味わった「裏切り」からの人間不信が、逆に燃料になっていました。

「絶対にあきらめない。
今度こそ成功する。」

そういう、意地とも言えるような決意が、心の奥に残っていたのです。

だから僕は、
「これを最後の挑戦にする。
ここで成果を出せなかったら、本当にもうやめよう。」
と心の中で覚悟を決めました。

そして、「いま選んだ道を進ませてほしい」と義母や妻に伝えました。

覚悟だけは決まった。
けれど、現実は容赦なく進んでいく。
新しいビジネスアイデアは生まれない。
お金だけがどんどん減っていく。

「このままだと、本当に破産するかもしれない」──そんなギリギリの頃でした。

「売れた分だけ仕入れる」という発想

そのとき、ふとこんなアイデアが浮かびました。

「自分で在庫は一切持たない。
お客さんから注文が入ってから、メーカーや卸に発注する。
商品は、メーカーや卸から直接お客さんに送ってもらう。
僕は、その間をつなぐ役割に徹する。」

雑貨屋やヤフオク、中古車販売で学んだ「安く仕入れて高く売る」という感覚。
同時に、身をもって味わってきた在庫リスクの怖さ。

そして、ホームページやブログ運営、アフィリエイトでつかんできた「集客と販売の流れ」。

それらが、一本の線でつながったような感覚がありました。

ノートに挙げた条件が、ひとつ、またひとつと埋まっていく。

「もし、これが本当に成立すれば、僕がずっと探していた“仕組みとして回るビジネス”になるんじゃないか?」

そんな予感が、じわっと湧き上がってきました。

在庫ゼロのネットショップで初月の売上206万円

ネットショップ自体は、自分でつくることができます。
あとは、その中身と流れをどう設計していくか──そこから、具体的な工程を考え始めました。

そこから僕がやったのは、ノートに書き出したアイデアを「現実の設計図」に落とし込む作業。

  • どんな商品なら、在庫を持たずに売れるのか?

  • どこのメーカーや卸と取引するのか?

  • 支払いの流れはどうするのか?

ひとつひとつ条件を書き出しながら、取引してくれそうなメーカーや卸を探し、電話をかけていきました。

その中の一社の責任者と話がまとまり、「お客さんから注文が入ってからこちらが発注し、先方から直接お客さんに商品を送ってもらう」という形で、ショップをスタートすることになったのです。

当時の僕は、まだそれが米国発の「ドロップシッピング」と呼ばれるビジネスモデルだとは知りませんでした。

頭の中で組み立てた「在庫ゼロのネットショップ」を思い描くだけで、ただただワクワクしていました。

一畳半のスペースで、ひたすらサイトを作りオープン

ビジネスモデルの骨組みが決まったら、次は「お店」をつくる段階です。

当時の僕の作業場は、宮崎の片田舎にある、家族4人で暮らす1LDKの自宅。
その一角、一畳半ほどのスペースがすべてでした。

そこに小さな机を置き、その上にはモニターとキーボード、マウス、A4の書き殴りノート、積み上がった本や資料が並び、足元にはデスクトップパソコンを置いていました。

モニターは2枚。
デイトレ時代に使っていた4枚のうち2枚は、すでにヤフオクで手放していましたが、残った2枚でのデュアルディスプレイ環境だけはなんとか死守。
この頃から、「作業はデュアルディスプレイ」が僕の定番になっていきます。

その一畳半のスペースで、僕はひたすらサイトを作り続けました。

ブログやメルマガで培ってきた「文章力」と「伝え方」。
アフィリエイトやホームページ制作で積み上げてきた「見せ方」と「導線の作り方」、そして「SEO対策」。

これまでの経験を総動員しながら、ひとつひとつページを組み立てていきました。

当時、ネット上ではあまり見かけない商品。
しかも、単価が高い。

「これは、絶対にうまくいく。」

そんな手応えを感じながら、僕はついにショップをオープンしました。

初月の売上206万円。数字を見て、しばらく固まった

そして迎えた、ネットショップとしての最初の月。

絶対にうまくいくという感触はあったものの、正直なところ、
「まずは生活費さえなんとかまかなえれば御の字だろう」
──そのくらいの感覚でした。

とはいえ、在庫を持たないとはいえど、状況としては破産寸前。
勝負をかける必要もあり、Google広告(当時のGoogleアドワーズ)を使うことにしました。

不安はありましたが、リスクの大きい実店舗と比べれば、広告はまだコントロールの効く投資です。

月末、売上の集計をした瞬間──思わず固まりました。

「売上206万円。」

もちろん、すべてが僕の利益ではありません。
それでも、まさか初月から200万円という数字が出るとは思っていなかったので、何度も何度も計算し直しました。

取引先の責任者も、「ひとりでここまで売り上げるとは」と、かなり驚いていました。

ひとまず、この1ヶ月目で生活費は余裕でまかなえた。
破産だけは免れた──高揚感とともに、ホッと胸をなでおろしたのを、今でもよく覚えています。

勝負を賭けたGoogle広告

僕の勝算は、Google広告にありました。

当時は、Google広告を積極的に使っている企業は、今ほど多くありませんでした。
そもそも存在を知らない企業も多かったはずです。

だからこそ、個人の僕でも、初月から大きな売上を上げることができたのだと思います。

自宅から、ひとりで月206万円を売り上げた。
当時の僕にとっては、とてつもない金額でした。

ほんの1年前まで、ハウスクリーニングで汗だくになりながら、必死で現場を回っていた頃とは、まったく別世界の感覚です。

体を酷使することもない。
在庫リスクに怯えることもない。
家族と一緒にいる時間を確保しながら、ひとりで、自宅で完結する。

探し続けてきた「再現性の高いビジネスの仕組み」が、ようやく現実として目の前に現れた瞬間でした。

一畳半から、1年で売上4,645万円へ

とはいえ、「これで一生安泰だ」とは、まったく思っていませんでした。

取引先が契約を解除すれば、その瞬間に売上はゼロです。

  • アクセスが落ちたらどうするのか?

  • ライバルが増えて値崩れしたら?

  • 売れなくなったら?

  • 広告費が高騰したら?

  • クレームが増えたら?

不安要素はいくらでもある。
日々、試行錯誤と微調整の連続。

それでも、「在庫を持たない」という前提があったおかげで、大きなリスクを取らずに軌道修正できたのは事実でした。

取引先も、1社から2社に増やすことができました。
サイトも、日々少しずつ改善を続けます。

日を追うごとにSEO対策が効き始め、検索結果の上位に出てくるようになりました。
それに伴い、広告費も徐々に削減できるようになっていきました。

そんなサイクルを地道に回し続けるうちに、売上も利益も、少しずつ、確実に伸びていきました。

初月206万円だった売上は、10ヶ月後には、最高で月1,000万円を超えるようになっていました。

そして、1年が終わる頃には、合計4,645万円の売上になっていたのです。

宮崎の片田舎。
一畳半のスペースから。
ひとりで、在庫を持たずに。

「本当に、ここまで来てしまったのか……。」

通帳の数字と、売上を眺めながら、僕はしばらく言葉を失っていました。

ただ、ひとつだけハッキリ分かっていたのは、この第3のどん底で味わった

  • ハウスクリーニングで倒れたことも

  • 株のデイトレードで心をすり減らしたことも

  • ライブドア事件でお金を失ったことも

  • メルマガとブログを一旦やめたことも

そのすべてが、このドロップシッピングというビジネスモデルと出会うまでの、長い長いプロセスだった──振り返るとそう思います。

とはいえ、この時点ではまだ、本当の意味でのブレイクスルーは起きていませんでした。

ここから、もうひとつ大きな決断をし、僕の人生をさらに大きく変えていく出来事が待っていました。

──つづく。

おわりに

次回は、いよいよ第3のどん底の最終章。

ここからどのようにして1億円という数字にたどり着いたのか。
そのプロセスとその後の変化についてお話したいと思います。

続きはこちら。
👉 【第3のどん底⑥ 人生逆転編】どうやって破産寸前から1億円を稼いだのか?三度のどん底が教えてくれたこと

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

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初めて僕の記事を読んでくださった方へ──
よければ、最初に書いた自己紹介の記事も読んでみてください。

せきたつや

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