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なぜ和菓子屋は「伊勢屋」ばかりなのか?サザエさんどら焼きから紐解く江戸のブランド戦略|食×授業#13

みなさんは知っていますか?
世田谷のおみやげとして親しまれている、「サザエさんどら焼き」を。
外の皮はもちもち、中のあんこは上品な甘さで、手土産にはもってこいなんです。

先日、原作者:長谷川町子さんの美術館がある、桜新町駅近くの和菓子店「伊勢屋」で購入しました。
店の近くにはサザエさん一家の銅像が並び、どこかほっとする空気が流れています。




1・記憶の中の「伊勢屋」とみたらし団子

ふと思い返せば、子どものころ。
家の近くにもあった「伊勢屋」で、よく、どら焼きやみたらし団子、豆大福を買ってもらいました。(この桜新町の「伊勢屋」ではありません)
まだコンビニが誕生する前の時代、これらの和菓子は、日常の中にある、ちょっとした「楽しみなおやつ」でした。

とくに桜が咲くこの季節。
花がほころび始めると、和菓子の記憶はより鮮明になります。
「花より団子」と言いますが、あの言葉は案外、今も昔も変わらないのかもしれません。

2.なぜ和菓子屋には「伊勢屋」が多いのか?

そんな記憶をたどりながら、ふと気になったことがあります。

「東京だけでも、和菓子屋の『伊勢屋』は数十件もあるらしい。でも、なぜ和菓子屋には『伊勢屋』という名前が多いのだろう?」ということです。

「サザエさんどら焼き」を売っている桜新町の伊勢屋


江戸時代の「伊勢屋」は、

「火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞」

そう言われるほど、町にあふれていたといいます。
そう、それだけ、「伊勢屋」は人々の暮らしに溶け込んだ存在でした。
その理由の一つとして考えられているのが、伊勢神宮への信仰です。


3.江戸時代の“ブランド戦略”

江戸時代、「お伊勢参り」は一生に一度の大きな旅でした。
多くの人々が街道を歩き、伊勢を目指します。

その道中で手軽に食べられたのが、団子や餅といった食べ物でした。
だから、和菓子屋は、旅の文化と深く結びついた存在だったのです。

もしかすると、「伊勢屋」と名乗ることで、

  • 伊勢にゆかりがある、縁起がよい、信頼できそう……。 そんな印象を与えることができたのかもしれません。

いわば、江戸時代の“ブランド戦略”ですね。

ただし、他にもさまざまな説はあります。
例えば、

・伊勢から来た人が開いた店という説
・信仰とのつながりがあった説
・あるいは単なる流行として広まったという説 など

さまざまな背景が重なって、「伊勢屋」は広がっていったのでしょう。


4.物語の中の「典型」としての伊勢屋

ここで、最初の話に戻ります。
桜新町で立ち寄った和菓子店も、やはり「伊勢屋」でした。

特別な名前のようでいて、実はとても普通の名前ですね。
だからこそ、今も自然に残っているのかもしれません。

この「伊勢屋」という名前は、当時の物語の中にもよく登場します。
たとえば、落語の『ちきり伊勢屋』。
質屋「伊勢屋」の若旦那が主人公の人情噺です。
さらに、その元になったとされるのが、
『寿々葉羅井(すずはらい)』に収められた「人相見」という話です。
商家の若旦那といえば、やはり「伊勢屋」なのです。

つまり、商いといえば「伊勢屋」…それが典型として通じるほど、この名前は広く知られていたのです。

5.おわりに

桜の季節、どら焼きや団子を手にした、幼いころの記憶。
また、その背後にある江戸の旅と信仰、商いの知恵。
何気ない和菓子の名前にも、長い時間をかけて積み重なった歴史が息づいているのです。

記憶と歴史のこもった、この「サザエさんどら焼き」を食べながら、今日4月1日は、今年度の授業について考えていきたいと思います。


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