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角田裕毅はなぜレッドブルで成功できなかったのか:イモラのクラッシュと失われた「もうひとつの未来」

角田裕毅のレッドブルでの挑戦は、わずか22戦で終わりを迎えた。数字だけを見れば、マックス・フェルスタッペンに対して396点対33点という圧倒的なポイント差がある以上、この結末は当然のようにも映る。しかし、そこに至るまでの過程には、単なる実力差だけでは説明できない複雑な構造が存在していた。角田の失敗は、一つのミスがきっかけとなり、技術、心理、チーム文化が絡み合い、次第に取り返しのつかない連鎖反応へと変わっていった物語でもある。

開幕直後の彼の走りは、むしろ期待を抱かせるものだった。リアム・ローソンが最初の2戦で苦しんだことを考えれば、角田はより速く、前年終盤のセルジオ・ペレスと同等のレベルに達していた。最初の4戦で3回Q3に進出し、早々にポイントも獲得。フェルスタッペンとの差も実質0.3秒前後に収まり、確かにそのままではタイトル争いなど夢のまた夢だったとしても、限界まで詰めれば“戦えるセカンド”の姿は十分に射程に入っていた。だが、その基盤は5戦目のイモラで崩れ落ちる。多くのドライバーにとって、1回のクラッシュは時間が経てば経験として消化されていく。しかし角田にとってのあの日は、ただのクラッシュではなく、キャリアの方向性を根本から変えてしまう“分岐点”になってしまった。

イモラの予選に向け、レッドブルは角田のマシンに最新仕様のフロアとボディワークを投入し、大幅なセットアップ変更を施していた。しかし角田自身は、その変化を完全に理解しきらないままアタックに入ってしまう。第2シケインでフロントが予想以上に鋭く入り、リヤが一瞬でスナップしたのはまさにその象徴だった。角田は、それが避けようと思えば避けられた種類のミスだったと後に悔やんでいるが、問題はそのミス自体ではなく、その後に生じた連鎖的な副作用だった。自信は大きく損なわれ、そこから数戦にわたってドライビングがぎこちなくなり、フェルスタッペンのスタイルを無理に真似しようとして悪循環に陥っていった。

さらに深刻だったのは技術的な側面だ。角田が壊したマシンに装着されていた新パーツは大物で予算と製造キャパシティの制限により、供給には限りがあり、常にフェルスタッペン向けの新しいパーツ製造が優先され、角田にはその後しばらくアップグレードが与えられなくなった。クラッシュがきっかけで、フェルスタッペンより常にスペックで遅れる状況になり、その結果、マシンの性能にバランスの違いが生まれ、セットアップ変更に対する挙動も異なっていった。

その結果、角田は以降の数戦で常に旧スペックのマシンをドライブすることになり、予選順位の平均は10.5位から16.3位へと激減し、Q1敗退も記録する。セットアップ変更の効果もフェルスタッペン車とは異なる挙動になり、比較の土台が崩れた状態で走らざるを得なくなった。これは単に旧パーツを使わされたという話ではなく、彼の復調を妨げる“構造的な遅れ”を生み出すことになった。イモラのクラッシュがなければ少なくとも2か月は違う姿を見せられたはずだ、という指摘は決して誇張ではない。とはいえ、あのクラッシュが角田を完全に終わらせたわけではない。そこから立て直す時間は十分にあった。

夏休み前にローラン・メキースが主導する新体制が整い、角田にも可能な限りフェルスタッペンと同等のパーツを投入する方針が取られると、その効果はすぐに現れた。スパやアゼルバイジャンではパフォーマンスが明確に改善し、バクーでは予選・決勝ともにシーズン最高の6位を獲得している。この数戦は、角田の中に残っていた“潜在的な速さ”がまだ消えていなかったことを証明し、復活への手応えをつかませた。しかし、それでも長続きしなかった。角田は2戦連続で結果をつなげることができず、フェルスタッペンがマシンのポテンシャルをより深く引き出し始めると、それに追随できなくなった。

特に顕著だったのは、中盤以降の「速さの再現性」の欠如だ。角田はQ1やQ2でフェルスタッペンに肉薄するラップを何度も見せながら、Q3ではその再現ができず、最終的な順位で大きく後れを取ることが続いた。レッドブルが強力な週末にはフェルスタッペンだけがさらに次のステージへ進み、角田はその背中を視界に捉えられなくなった。カタールではスプリントで見事な走りを披露し「これこそレッドブルが求めた姿」と言われた一方、本戦の予選ではQ1敗退。どれほどフェルスタッペンとの差が0.3秒以内であっても、その速さが常に必要な場面で発揮できなければ、レッドブルというチームでは認められることはない。

課題は週末ごとに変化し、一定の改善軌道に乗れないまま時間が過ぎていった。タイヤマネジメントに悩む週末もあれば、リヤの不安定さに対処しきれない週末もあり、さらにはラスベガスでの空気圧設定ミスのようにチーム側のミスで良い走りを潰される場面もあった。

だが全体として、角田自身は「チームが十分なサポートをしてくれなかった」と感じていたわけではないが、「自分には何が必要だったか」を明確に認識していた様子も見られなかった。チームとのコミュニケーション面で角田が“自分に必要な方向性”を明確に提示できなかったことが影響した。レッドブルは「ドライバーがマシンに合わせていく」文化が強く、そこに適応するにはより精密な要求と方向性の提示が必要だった。角田は、必要な場面でその言語化が遅れた。

それでも「もし」を想像せずにはいられない。フェルスタッペンに0.24秒差でついていけた週末水準を年間を通して維持できていたなら、多くのレースでトップ6からスタートし、レッドブルはコンストラクターズ2位争いをより強固にでき、角田自身もシートを巡る評価が変わっていた可能性は十分にある。もちろん保証はないが、それは確かに存在した“別の未来”だった。その未来が消えてしまった理由は、一つのクラッシュだけではない。だが間違いなく、あのイモラが全ての分岐点だった。

結局のところ、角田には残留への道があった。しかし、その道から何度も逸れ、その都度、チームとドライバー双方の要因が重なり、修正の機会を逃していった。ミッドフィールドの競争が激しかったため、順位上の結果が悪く見えてしまったことも、角田には逆風となった。

レッドブルでの22戦は失敗だったと言えるかもしれないが、それは単なる敗北ではなく、F1という競技の残酷さと難しさ、そしてその中で成長しようとしたひとりのドライバーの試行錯誤の記録でもある。この経験は、角田のキャリアを終わらせるものではなく、むしろ今後の彼に必要な“次のステージ”への糧になるはずだ。

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