アラフォーで欲しいものがない。これって、終わりなのか?筋トレで気づいた「静かな満足感」の正体
こんにちは!家トレを7年継続している、とりむねです。
最近、こんなことばかり考えます。
欲しいものが何もない。
20代の頃は「あれが欲しい、これが欲しい」って常に何かに憧れていたし、「あそこに行ってみたい」って旅行の計画を立てるだけでワクワクしていたんです。
でも今、アラフォーになって
新しい服や家具家電、雑貨を見ても「まあ今のでいいか」と思うし、SNSの旅行投稿を見ても「子連れでの移動大変だしな」って考えてしまう自分がいる。
…困惑しました。刺激がない。このまま何もワクワクしない人生が続くのか。
「向上心がなくなったのでは?」という不安まで感じているんです。
でも、深く内省していくうちに別の考えも浮かんできました。
欲がなくなったのではなく、欲の形が変わっただけなのかと。
今日はその話をしてみたいと思います。
若い頃の「欲しい」は、何を満たしていたのか
振り返ってみると、20代の僕が欲しがっていたものにはちゃんとした理由がありました。
旅行に行きたかったのは、非日常を味わいたかったから。同じことが続く日常が怖かったから。
服やアクセサリーを買っていたのは、他人の目が気になっていたから。周りと比較して、「良い立ち位置にいる」と思いたかった。
つまり、モノや体験は、不足している感情を埋めるためだったのかと。
自分を満たすため。他人と比較して安心するため。
若い頃は「外側の刺激」がないと、満たされなかったんでしょう。
それだけ、自分の内側に自信がなかったということかもしれません。
でも、めちゃくちゃ楽しかったことは確かです。
アラフォーで起きる、欲望のシフト
じゃあ今、満たされているのか?
その考えもまた違うと思ってしまう。
一通り経験してしまったという感覚。
新しいモノを買っても、結局は慣れる。
旅行に行っても、帰ってきたら元の生活。流行りの服を着ても、来年にはもう着ない。
「刺激」は消えてしまうものだと、体が知ってしまったんです。
代わりに、今の僕が勝手に価値を感じてしまうのは「安息でいられること」。
変化や刺激を求めるより、日常が平穏であることの方を思考が勝手に重視してしまう。
家族と過ごす時間、変わらず続けている筋トレの習慣。
欲望が「外」から「内」に移動したのかもしれません。
この価値観の変化。喜ぶべきかつまらないと思うべきか。いまだ自分の気持ちとしては決着がついていません。
ただ、筋トレを続けることで感じる、確かな手ごたえがあります。
筋トレが教えてくれた、「欲を減らす」という生き方
ここで、筋トレの話をさせてもらいます。
僕が筋トレを7年続けてきて気づいたのは、筋トレって「欲を満たす行為じゃなくて、欲そのものを小さくする行為」なんだということ。
筋トレは、買わない。行かない。見せない。
誰にも評価されなくても、ただ自分の体に向き合うだけ。地味で、華やかさのかけらもありません。
でも、それが積み上がる。体が変わる。自分の存在そのものが満たされる感覚がある。
この感覚は、モノを買った時の一瞬の満足感とは全く違うんです。
ドーパミンのような「ドン!」という刺激ではなく、静かな手応え。
「自分はちゃんと前に進んでいる」という、深い納得感です。
僕の場合、年齢もありますが、筋トレを続けてきて、「欲しい」という感情が自然と減っていったんです。
なぜなら、自分の中に満たされているものがあるから。
外側から何かを取り入れなくても十分かなと思えるようになる。
これは、「諦め」じゃなくて、むしろ、自分の内側に豊かさを見つけたということなのかもしれません。
僕と同じように感じるあなたへ
あなたが僕と同じように、「欲しいものがない」と感じているなら、おそらくそれは人生が停滞しているんじゃないと思います。
むしろ、新しいフェーズに入ったのかもしれません。
・深める
・続ける
・静かに満足する
そういう価値に気づいたということは、きっと良いことなんでしょう。
僕は今、筋トレで扱う重量が少し上がることに喜びを感じます。フォームが改善されることに充実感を覚えます。
誰にも見せなくていい達成感です。
若い頃のような派手な刺激はない。でもその分静かな満足がある。
そんな生き方も悪くないかもしれませんね。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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