感動は設計できるのか?②「再現できない」は思考停止かもしれない
前回、感動には共通する“構造”があることに気づいた。
それは、
感情が大きく揺れる“ピーク”で、人の関わりが体験の印象を大きく左右しているということだった。
では、この構造は再現できるのだろうか。
多くの現場では、こう言われる。
「それはあの人だからできる」
「マニュアル化すると形だけになる」
「感動は再現できない」
本当にそうだろうか。
現場で起きていた事実を分解してみると、
感動は単なる属人的な才能だけで起きていたわけではなかった。
そこには、少なくとも共通する要素があった。
・どのタイミングで
・誰が
・何をするか
この3つが揃うことで、
印象に残る体験は再現しやすくなるように見えた。
■ 例外を、構造として定義する
つまり、やるべきことはシンプルだった。
例外として起きていた行為を、構造として定義すること。
ただし、ここでひとつ大事なことがある。
私たちは、最初から「感動を設計しよう」と考えていたわけではない。
現場で向き合っていたのは、
目の前の患者の不安を、どう取り除くかということだった。
手術前の緊張。
手術中の孤独。
結果が出るまでの不安。
そこに丁寧に向き合った結果として、
安心や喜びが生まれ、
あとから振り返ると、それが「感動」と呼ばれていたにすぎない。
■ 不安を取り除くために、役割を定義した
まず、手術前。
不安がピークに達する前室には、
スタッフが配置されるようにした。
役割はただ一つ。
不安をほどくこと。
次に、手術中。
視界が遮られ、孤独が最大化する時間帯に、
「手を握る役割」を明確に定義した。
それは補助ではなく、
不安をひとりで抱えさせないための正式な役割として。
そして、手術後。
視力が回復した瞬間の喜びに対して、
検査員も含めた全員が“共感する側”に回るようにした。
単に結果を伝えるのではなく、
患者の安心と喜びにきちんと反応することを役割として位置づけた。
■ スクリプトは、感動を作るためではない
さらに、それぞれの役割に対して、
トークスクリプトも設計した。
ただし、細かく縛るためではない。
また、感動を演出するためでもない。
不安を取り除くために、何を伝えるべきか。
その意図を共有するためだった。
ここで起きた変化は大きかった。
少なくとも現場では、
どの役割がどの不安を支えるのかが共有され、
対応のばらつきは減っていった。
それまで“たまたま起きていた感動”を、
再現しやすい体験へと近づけることができたのだ。
■ 均一化ではなく、意図を揃える
重要なのは、ここで「均一化」を目指さなかったことだ。
むしろ、逆だった。
最低限の構造だけを定義し、
その中での表現は現場に委ねた。
・やり方は揃えない
・タイミングは揃える
・意図だけを揃える
これによって、
マニュアル化による“形骸化”を避けながら、
再現性を高める方向に進めた。
■ 「再現できない」は、本当にそうか
「再現できない」という言葉は、
しばしば思考停止の言い換えとして使われる。
だが実際には、再現できないのではなく、
分解されていないだけなのかもしれない。
感動とは、最初から狙って作るものではない。
不安を取り除くことに集中した結果として、
あとから立ち現れるものなのだと思う。
だからこそ、設計の対象になるのは
「感動そのもの」ではなく、
不安が取り除かれる体験の構造なのだ。
では、この設計は、組織にどのような変化をもたらすのか。
次回は、
感動が“文化”へと変わっていくプロセスについて書く。
