『チェンソーマン レゼ篇』感想 「届かなかった贈りもの」 第一部 「一輪の花」から始まる物語
全三回の連載です。(第一部:約2900文字)ネタバレ含む
▶︎ 第一部:「一輪の花」から始まる物語
「何か」を贈られる
「贈り・贈られる」物語
「断ち切られた」関係
「相反する」世界
「何か」を贈られる
映画を見て、その映画が素敵だなと思ったとき、その魅力を他の誰かに伝えたくなる。映画から贈られた「何か」を受け取った人が、別の誰かにそれを伝える。それを贈られた誰かが、別の誰かにそれを贈り、伝え続ける。
『チェンソーマンレゼ篇』は藤本タツキ原作による少年ジャンプ+連載の少年漫画で、アニメーション劇場映画としてMAPPAにより制作され、2025年9月に劇場公開された。公開後100日を超えた12月末になってもロングラン興行が続いている。同時に、この映画のオープニングとエンディングを飾った、米津玄師による『IRIS OUT』『JANE DONE』の二曲もヒットチャートを賑わせ続けている。良好な興行成績のおかげか、続編の製作もアナウンスされた。
普段たまにしか映画館に足を運ばない僕も、たまたま目にした映画のPVにひかれて劇場に足を運んでから、その不思議な魅力に取りつかれて、そしてこんな文章を書いている。
この映画に引き付けられた多くの人々が、その理由はわからないけれど、僕と同じように劇場に足を運び、その魅力を他の人に伝えている。
この映画の徐々に浸透してゆくような広がりは、それを見た人々が、その魅力を誰かに伝え、誰かがそれを受け取り、それを確認するために劇場に足を運ぶ、そしてまた誰かに伝え、さらに他の人が劇場へ・・。そんな連鎖が続いているからこそ、静かに広がっているのかもしれない。
それにしても、僕は、この映画の「何に」に引き付けられたのだろう?
「贈り・贈られる」物語
この作品の主人公デンジは16歳の青年だ。彼は幼い頃、親の借金を返済するため、三度の飯も欠くような貧しい生活を送っていた。あるきっかけで「チェンソーの悪魔」と契約し、悪魔の心臓を宿した武器人間「チェーンソーマン」に変身する能力を身につける。そして他の悪魔を狩る「デビルハンター」として、公安対魔特異4課のマキマにスカウトされ、現在の職と生活を得ている。
デンジ曰く「一日3回食えるし布団で寝れる」今の生活は「素晴らしき日々」であり、幸せな日常を送っているという。
ある日、急に降りだした雨の街中で、デンジは一人の美しい異性に出会う。名前はレゼ。よく笑う美しい女性だ。二人はお互い雨宿りのために逃げ込んだ電話ボックスで偶然出会った。唐突な出会いに大笑いしながら涙するレゼに、デンジは「一輪の花」を贈る。これがこの『チェンソーマンレゼ篇』という物語の始まりである。
レゼは自分がバイトしている小さなカフェ「二道」にデンジを誘う。そこで、デンジから贈られた一輪の花のお礼に、一杯のコーヒーが贈り返される。
「一輪の花」をきっかけに、「贈り・贈られる」連鎖がはじまる。レゼは「一輪の花」のお礼に「コーヒー」を贈り返す。デンジはそれに答えるようにカフェに一週間続けて通い続ける。そんな彼に、笑顔とスキンシップを交えながら勉強を「教えること」を「贈り返す」レゼ。
そんな二人の関係は、様々な印象的な場面で取り交わされていく。
海宿りで出会った電話ボックスで、
日当たりの良い静かなカフェで、
忍び込んだ夜の教室で、
そして二人だけの夜のプールで、
デンジとレゼとの関係は、そうした場所で「贈り・贈られる」連鎖を紡ぎながら、より深まっていった。
「断ち切られた」関係
「贈り・贈られる」関係は、二人の仲を深めてゆく。
それは「贈る」「受け取る」「返礼する」という三つのかたちをつなげながら。
そこで「贈られる」のは、花や、コーヒーや、笑顔や、スキンシップや、勉強や、様々なモノやコトだったりするけれど、三つのかたちが流れるように循環していくことによって成立している。だが、あるきっかけで、その流れが断ち切られることになる。
夏祭りの夜、レゼは「今の生活はおかしい」と、デンジが所属する公安という組織と彼の立ち位置への疑問を投げかける。その上でデビルハンターや公安という組織から離れて、一緒に逃げないかとデンジを誘う。突然の誘いに当惑するデンジ。
彼は、現状の生活に満足していることなどを理由に、レゼの申し出を断る。それは、レゼが贈った「贈りもの」を、デンジが受け取らなかったことを意味する。
それまで二人の間にゆるやかに流れていた「贈り・贈られる」循環が、デンジの「受取の拒否」によって断ち切られたのだ。
そして物語は急転する。
レゼは、打ち上げ花火が弾けるタイミングで、デンジの舌を噛み切る。
更にチェンソーマンに変身しようと胸のスターターに手を伸ばしたデンジの手首を躊躇なく切り落とす。
「痛いね?ごめんね?デンジくんの心臓もらうね?」
以降、前半の静かな叙情的な世界とは真逆の、壮絶な破壊と殺戮を伴った戦いが繰り広げられる。街が破壊され、多くの人々が惨殺されるその描写は、前半の淡い世界を忘れさせるほど、激しく、苛烈なものだった。
「相反する」世界
物語世界の急激な転換は、この作品の大きな特徴となっている。
前半の明るい日差しがさす静かなカフェや、夜の学校やプールで交わされるデンジとレゼの穏やかな時間は、ソフトフォーカスがかかったような柔らかな世界で展開される。そこで交わされる二人の会話とスキンシップを通じて描かれる穏やかな世界は、まるで古いヨーロッパ映画のような叙情的な空気感を漂わせて描かれている。
ところが後半、その世界は反転するかのように装いを変える。漆黒の都会の夜を舞台に「武器人間」に変身したデンジ=チェンソーマンとレゼ=ボムによる激しいバトルシーンは、「ボム=爆弾の悪魔」による爆発と、同じく「チェンソーマン=チェンソーの悪魔」という人外の衝突として激しく描かれる。
ボムは爆発の反動を用いて高速移動し、チェンソーマンとビーム(サメの魔人)は、サメの悪魔状態のビームに馬乗りしたチェンソーマンが、ゴキブリのようにビルの壁面を這い回りながら移動する。高層ビルの林立する地上と空中の間を、縦横無尽に飛ぶように移動しながら展開するその戦いは、ボムと共闘する「台風の悪魔」の参戦もあって激しさを増してゆく。
「ボム」が発する爆発と、「台風の悪魔」のあらゆるものを吹き飛ばす暴風も相まって、戦いはヒートアップし、街を崩壊させ、災害級の被害と殺戮を及ぼすことになる。すでに人外となった悪魔や魔人を含めた戦いは、人間の関与を受けつけない、まるで「怪獣バトル」と化す。
前半の静かな抒情的な世界と、まるで反転するかのように、動的で攻撃的なB級アクション映画のような世界の対比は、その効果音や音楽の対比も相まって、分裂的な印象を僕たちに与える。
(第二部へつづく)
▶︎ 第二部:「水の記憶」プールから海へ
▶︎ 第三部:「届かなさ」の向こうへ
この感想は続きます。次の記事で、さらに『チェーンソーマンレゼ篇』の魅力を探ります。全3回の連載です。
