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『レゼ篇』三つの贈与のかたち:要約版——マキマの支配・デンジとレゼの循環・第三者を介した贈与 

はじめに

映画『チェンソーマン レゼ篇』を観終わった後、 言葉にならない「何か」を感じました。

レゼが駅のホームで一輪の花を見つめ、 デンジのもとへ走り出すあの瞬間—— そこに、マキマの支配を食い破ろうとする、 かすかな希望の光を見たのです。

その光を言葉にしたくて、 マルセル・モースの贈与論と柄谷行人の交換様式論を借りました。 本稿は、先日発表した理論篇本編(8,000字)の要約版です。

レゼの最後の贈りものは「誤配」され、私たち観客に届きました。
それを受け取った一人として、この「贈り返し」を書いています。
(約4800文字 ネタバレ含みます)

1.0 「最初の贈りもの」と贈与の原理

この映画では、物語の重要な場面で、繰り返し「贈る」「受け取る」行為が描かれていました。デンジがレゼに贈る花、レゼがデンジに「教える」時間、そして募金の返礼として二人が受け取る「一輪の花」。

特に注目したいのは、映画の冒頭でマキマがデンジに与える「最初の贈りもの」です。二人だけのデートという時間で「幸せ」を受け取ったデンジは、その「おすそ分け」として募金を行い、白い「一輪の花」を受け取ります。その花をきっかけに、デンジとレゼの交歓ははじまります。

人類学者マルセル・モースは『贈与論』(1925年)において、贈与が三つの義務によって支えられていることを明らかにしました。「与える義務」「受け取る義務」「返す義務」——これらは人々の関係を結びつけますが、同時に社会的な強制力も伴います。

2.0 「三つの贈与」

この物語を「贈与」という視点から整理すると、三つの異なる贈与のかたちが見えてきます。

一つ目は、マキマがデンジに与える贈与
二つ目
は、デンジとレゼが取り交わす贈与
三つ目
は、募金を介して第三者から贈られる「一輪の花」

マキマの贈与は物語の「外枠」として機能し、デンジとレゼの贈与は関係の「駆動力」となり、第三者からの贈与は物語の「転換点」となります。

2.1 「支配的な贈与」

映画の冒頭、元気のないデンジに対して、マキマがデートに誘います。映画館をはしごする中で、自分が「映画」を感じることができているのか不安になるデンジ。「俺に心ってあると思います?」と問うデンジに、マキマは軽いスキンシップと共に「あったよ」と言葉を贈り、デンジは「幸せ」に包まれます。

しかし彼女の贈与は「従順」が絶対条件であり、後にその従順が揺らぐと、レゼを抹殺することで彼の「幸せ」を断ち切ります。マキマが与える贈りものは、支配の為の贈与であり、その許容範囲内でデンジとレゼの交歓はマキマによって管理されていたのです。これは対等な関係ではなく、「支配と保護」の非対称な関係といえるものでした。

2.2 「贈り返しの贈与」

雨宿りの電話ボックスで花を贈られたレゼは、お礼に自分のバイト先のカフェにデンジを誘います。それに応えて来店したデンジに、レゼはコーヒーを贈り返します。カフェで、夜の学校で、夜のプールで、レゼは勉強や泳ぎ方など「教えること」を贈り続けます。

当初、レゼ=ボムの意図はデンジ=チェンソーマンの心臓を奪取することでした。しかしデンジとの交歓を通じて、レゼ自身も変容してゆきます。正体が明らかになった後も、彼女はデンジに「私たちの戦い方」を「教える」ことを贈り続けました。こうした「贈る→受け取る→贈り返す」循環は、比較的対等な関係で行われる「互酬」と呼べるものです。

ところが夏祭りの夜、レゼの告白と逃走の提案を、デンジが「受け取り拒否」したことで、この循環は絶たれます。贈与論では、受け取りを拒否することは、交流そのものの拒絶を意味します。関係は破断し、世界は苛烈な闘争に変貌していくのです。

2.3 「第三者を介した贈与」

映画の冒頭、マキマとのデートで「幸せ」を受け取ったデンジは、「おすそ分け」として募金を行い、白い「一輪の花」を受け取ります。一方、物語の終盤、闘いに敗れ、逃亡中のレゼも募金を行い、赤い「一輪の花」を受け取ります。

この募金を介した贈与は、匿名のシステムを介した贈与です。贈る人も、受け取る人も、互いの顔を知りません。このため、通常の贈与につきまとう「優越感」や「引け目」から解放されます。第三者を介した贈与は、その匿名性と偶然性ゆえに、不思議な喚起力を持っているのです。

3.0 「交換様式A・B・D」

思想家・柄谷行人は「交換様式」から世界史と社会構造を読み解く理論を展開しました。この理論を用いることで、「三つの贈与」の違いがより鮮明になります。

交換様式A

原始的な氏族社会に見られる「贈与と返礼」の原理で、モースが明らかにした「互酬」に基づきます。権力関係は比較的対称です。

交換様式B

国家権力による「支配と保護」「略取と再分配」の原理です。例えば支配者が税を徴収し、その代わりに保護を提供します。権力関係は非対称です。

交換様式D

交換様式Aの「高次元での回復」として構想される未来の様式で、互酬性の強制を伴わないものです。本稿ではこれを「純粋贈与」(見返りを求めない自由な贈与)として扱います。権力関係は自由で平等です。

『レゼ篇』における三つの贈与は、それぞれこの交換様式に対応します。マキマの贈与は交換様式B(支配)、デンジとレゼの贈与は交換様式A(互酬)、そして第三者を介した贈与は交換様式D(純粋贈与)の性質を持っています。

表1:『レゼ篇』における贈与の類型と交換様式

4.0 「『レゼ篇』という物語」

この理論を用いて、『レゼ篇』という物語を振り返ってみましょう。

4.1 「マキマによる支配」(交換様式B)

マキマがデンジに与えた「最初の贈与」が物語全体の起点となります。中盤、闘いの中でレゼはデンジにこう告げます。「マキマ――デンジくん、あの魔女に飼われちゃってるのか」。この言葉は交換様式B(支配)の本質を鋭く突いています。

映画の最後、マキマはレゼを抹殺し、デンジとレゼの贈与の循環を遮断し、二人の「幸せ」を断ち切ります。映画は「最初の贈与」で始まり「死の贈与」で閉じられます。こうして交換様式B(支配)は、物語全体を「枠づける」機能をはたしているのです。

4.2 「デンジとレゼの循環」(交換様式A)

電話ボックス、カフェ、夜の学校、夜のプールで、二人の「贈り―贈られる」関係は深まっていきます。しかし夏祭りの夜、デンジの「受け取り拒否」で循環は断たれ、映画は叙情的な世界から激烈な戦闘へと急転します。

その激闘は、街を破壊し、多くの殺戮を伴います。ですが、敵対関係が明らかになってもなお、レゼ=ボムはデンジ=チェンソーマンに対して「私たちの戦い方」を「教え」=「贈り」続けます。

海から引き上げられた浜辺で、レゼは自分が敗北したことを自覚します。しかしデンジは、レゼを蘇生させ、シャツを着せ、「一緒に逃げよう」「オレはまだ好きだし」と告げます。これは夏祭りの夜に、レゼが贈った言葉の「贈り返し」でした。

4.3 「第三者を介した贈与」(交換様式D)

第三者を介して贈られた「一輪の花」は、匿名のシステムを介することで、通常の贈与とは異なる特別な性質を持ち、物語の転換点となります。

デンジが受け取った白い花は、雨宿りの電話ボックスでレゼに贈られ、彼らの関係を起動する重要な着火点でした。

一方、デンジとの壮絶な戦いの後、一人での逃走を選択したレゼは、逃走途中の駅のホームで「募金」を行い、赤い「一輪の花」を受け取ります。彼女は、この花を見つめながら、今までのデンジとの時間や関係を思い出します。

そして、合理的判断で決定した一人での逃走を取りやめ、たとえ非合理的でもデンジと「一緒に逃げる」ために、彼の待つカフェに向かうのです。

匿名性によって「引け目」や「優越感」が排除されたからこそ、二人はこの花を純粋な贈りものとして受け取ることができました。そして匿名性こそが「遅れた気づき」を促すのです。

レゼは赤い花を見つめることで、忘れていたデンジとの出会いと二人の時間――その「幸せ」な記憶を思い出しました。この「遅れた気づき」が、彼女をデンジのもとに走らせたのです。

5.0 「支配」からの逃走

マキマの支配によって枠づけられた物語の中で、レゼは一度、合理的な判断によって単独での逃走を選択します。しかし、第三者から贈られた「一輪の花」が、その判断を覆します

私はすでに贈られていたのだ――そのことに気づいたレゼは、様々なしがらみや合理性、身の危険さえ振り払って、走らざるを得ませんでした。

合理的な判断を破壊してしまうほど、「遅れて気づいた」贈りものは強力でした。それをなし得たのは、「一輪の花」という形を借りた「第三者からの贈与」=交換様式D(純粋贈与)の不思議な力ではないでしょうか。

それは、合理的な判断で単独で逃げようとしていたレゼ自身を転進させ、組織の支配からも役割からも解放された、自らの意志で選択する主体への変容を促したのです。

しかし、この純粋贈与は、マキマの手によって遮断されてしまいます。
彼女はレゼを抹殺することで、交換様式D(純粋贈与)を排除したのです。映画はマキマによる最初の贈与から始まり、マキマによる最後の贈与(死の贈与)で終わります。

6.0 「誤配」を届ける贈与

レゼの最後の贈りものは、デンジには届きませんでした。マキマの支配によって、物語は閉じられてしまったように見えます。
しかし、それは私たち観客に届いています。

本来の宛先に届かず、別の受取人に届いてしまう——これを「誤配」と呼びます。

「誤配」による効果は、本来の宛先に届かなかったという喪失と、別の場所で受け取られたという可能性――その両方を同時に抱え込んだ、宙吊りの状態を生じさせます。支配によって閉じられた世界は、予期せぬ経路によって、部分的に開かれ得るのです。

この物語を通じて私たちが受け取ったものは、デンジとレゼが交わした「贈り・贈り返される」時間の記憶です。その記憶は、レゼの死によって消えることなく、むしろ私たちの中で新たな意味を持ち始めます。

募金の返礼として贈られた「一輪の花」が、レゼに「遅れた気づき」をもたらしたように、この物語もまた、私たちに何かを贈り続けているのかもしれません。贈与の連鎖は、「誤配」という予期せぬ経路を辿りながら、それでも続いてゆくのです。

おわりに

レゼがデンジに贈ろうとした最後の贈りものは「誤配」され、私たち観客に届きました。
この要約版は、それを受け取った一人としての「贈り返し」です。
届かなかったからこそ、贈与の連鎖は止まらず、私たちを通じて更に別の誰かへと手渡されていく——
それが悲哀によって閉ざされたように見えるこの映画の、小さな希望に思えるのです。そして、この文章が、それを少しでも掬い取れていることを願います(了)

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お読みいただき、ありがとうございました。
より詳しく知りたい方のために、以下の記事も用意しています:
理論篇本編(8,000字):『レゼ篇』三つの贈与のかたち——マキマの支配・デンジとレゼの循環・第三者を介した贈与 詳細な理論展開と註を含む本格的な論考です。
理論篇キーワード集(全3回・各3,000字):
第1回:理論編 ——贈与の原理、三つの贈与、交換様式B/A/D
第2回:具体例編 ——マキマの支配、デンジとレゼの循環、一輪の花、募金
第3回:仕組み編 ——匿名性、遅れた気づき、支配からの逃走、誤配
感想版(三部合計12,000字):『チェンソーマン レゼ篇』感想「届かなかった贈りもの」 理論ではなく、物語への感情的な応答として書いた三部作です。
おすすめの読み方
理論から入りたい方:要約版(ここ)→ 理論篇本編
感情から入りたい方:感想版三部作 → 感想版要約理論篇本編
今後は、番外編という形で、この映画の様々な側面を探っていきたいと考えています。お楽しみに。


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