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『レゼ篇』三つの贈与のかたち——マキマの支配・デンジとレゼの循環・第三者を介した贈与

はじめに

劇場版『チェンソーマン レゼ篇』(2025年9月公開)は、藤本タツキ原作のアニメーション映画で、主人公デンジと少女レゼとの束の間の恋と別れを描いた物語です。

公開直後からこの作品に強く惹かれ、noteで感想を執筆してきた中で、この物語が繰り返し描く「贈る」「贈り返す」という行為に、重要な構造があるのではないかと感じていました。

本稿は、それに理論的な補強を加える試みです。
マルセル・モースの『贈与論』を基礎としつつ、柄谷行人の交換様式論を導入し、物語に潜む贈与の構造を明らかにしていきます。
映画の重要なシーンについてネタバレを含みますので、ご了承ください。(本文:約8,000文字/読了時間:約15分)

1.0 「最初の贈りもの」

この物語を見返したとき、ある特徴に気がつきます。
デンジがレゼに贈る「一輪の花」。レゼがデンジに「教える」時間。夜のプールでの不思議な交歓。そして、募金の返礼として二人それぞれが受け取る「一輪の花」。

物語の重要な場面で、繰り返し「何かを贈る」「何かを受け取る」行為が描かれているのです。

特に注目したいのは、映画の冒頭でマキマがデンジに与える「最初の贈りもの」です。
元気のないデンジに対して、マキマがデートに誘います。そこでデンジは溢れんばかりの「幸せ」を受け取り、その「おすそ分け」として「募金」を行い、白い「一輪の花」を受け取ります。その花をきっかけに、デンジとレゼは出会い、関係を紡いでいきます。

一見すると、マキマの贈与は二人の幸せを育む起点に見えます。
ですが、そこには何か別の意図が隠されているようにも感じられます。

1.1 「贈与の原理」

この物語に繰り返し現れる「贈る」「贈り返す」という行為——
それを理解するために、まず贈与のしくみを確認しておきましょう。

人類学者マルセル・モースは、『贈与論』(1925年)において、世界各地の社会を調査し、贈与が単なる善意の行為ではないことを明らかにしました。モースが発見したのは、贈与が三つの義務によって支えられているという事実です。(註1)

「与える義務」  ——贈る
「受け取る義務」 ——受け取る
「返す義務」   ——返礼する

これらの義務は、人々の関係を結びつけ、社会的な絆を生み出します。
しかし同時に、それは社会的な強制力を伴うものでもあります。
マキマがデンジに大きな「幸せ」を与えたとき、あるいは、デンジが夏祭りの夜にレゼの告白を「受け取り拒否」したとき——
それらは、この贈与の原理の中で、どのような意味を持つのでしょうか

2.0 「三つの贈与」

この物語を「贈与」という視点から整理すると、三つの異なる贈与のかたちが見えてきます。

一つ目は、映画の冒頭でマキマがデンジに与える贈与
二つ目
は、デンジとレゼが取り交わす贈与
三つ目
は、募金を介して第三者から贈られる「一輪の花」

どれも「贈る」「受け取る」という行為です。しかし、物語における働きは大きく異なります。

マキマの贈与は物語の「外枠」として機能し、
デンジとレゼの贈与は関係の「駆動力」となり、
第三者からの贈与は物語の「転換点」となります。

なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。
以下で、それぞれを詳しく見ていきましょう。

2.1 「支配的な贈与」

一つ目は、デンジへの「最初の贈与」となった、マキマがデンジに与える贈与です。
実はこのマキマからの贈与が、この映画の始まりと終わりを司る重要な役割を担っています。

映画の冒頭、元気のないデンジに対して、マキマが休日にデートに誘います。憧れのマキマとのデートは、デンジにとってこの上ない贈りものです。その内実は「今(朝)から夜の12時まで映画館をはしごして見まくります」というものです。

デンジにとって憧れのマキマとのデートは楽しいはずでしたが、どの映画も今一つで、自分が「映画」を感じることができているのか不安になります。「俺に心ってあると思います?」と問いかけるデンジに、マキマは軽いスキンシップと共に「あったよ」という言葉を贈ります。

デンジは、それだけで、不安を吹き飛ばすほどの「幸せ」に包まれます。マキマはデンジに「最初の贈与」を贈ったのです。

でも、なぜそれが「支配的な贈与」になるのでしょう?

一見ほほえましく見えるデートシーンですが、無論、それはデンジのパフォーマンスの低下を感じ取った、管理者であるマキマとしての冷静な行動でした。(註2)
彼女は、デンジに「贈与」を与えますが、それは「従順」が絶対条件であり、後に、その従順が揺らぎ始めたため、レゼを抹殺するという形で、彼の「幸せ」を断ち切ります。

それは「贈りー贈り返す」対等な関係ではなく、「支配と保護」の非対称な関係なのです。

2.2 「贈り返しの贈与」

二つ目は、デンジとレゼの間で取り交わされる、さまざまな「贈りー贈られる」かたちです。

その関係はデンジからの「一輪の花」の贈与から始まりました。

雨宿りの電話ボックスで花を贈られたレゼは、お礼に自分のバイト先のカフェにデンジを誘います。それに応えて来店したデンジに、レゼはコーヒーを贈り返します。それに応えるようにカフェに通うデンジに、レゼは勉強や泳ぎ方など「教えること」を贈り続けます。カフェで、夜の学校で、そして夜のプールで。

当初、レゼ=ボム(爆弾の悪魔)の意図は「誘惑の戦略」に沿って行われたデンジ=チェンソーマン(チェンソーの悪魔)の心臓を奪取することでした。それゆえ不穏な意図を持った贈与だったことは否めません。(註3)
しかしデンジとの交歓を通じて、レゼ自身も変容してゆきます。次第にデンジとの「贈りー贈られる」関係そのものを求めるようになっていったのです。

そして後半、レゼ=ボムとしての正体が明らかになってからも、彼女はデンジ=チェンソーマンに「私たちの戦い方」を「教える」ことを贈り続けました。(註4)

こうした「贈る→受け取る→贈り返す」という循環は、比較的対等な関係で行われる「互酬」と呼べるものです。(註5)

ところが夏祭りの夜、レゼの告白と逃走の提案という「贈りもの」を、デンジが「受け取り拒否」したことで、この循環は一度絶たれます。

贈与論では、受け取りを拒否することは、友情や交流そのものの拒絶を意味します。
関係は破断し、世界は苛烈な闘争に変貌していくのです。

2.3 「第三者を介した贈与」

三つめは、デンジとレゼがそれぞれ「募金」を行った際に、第三者からの返礼として、贈られた「一輪の花」です

映画の冒頭、マキマとのデートで「幸せ」を受け取ったデンジは、「おすそ分け」として募金を行い、白い「一輪の花」を受け取ります。
一方、物語の終盤、闘いに敗れ、逃亡中のレゼも募金を行い、赤い「一輪の花」を受け取ります。

デンジが受け取った白い花と、レゼが受け取った赤い花――どちらも、見知らぬ第三者から贈られた点で共通しています。(註6)

この募金を介した贈与には、特別な性質があります。
それは「誰から誰へ」という直接的な関係を超えた、匿名のシステムを介した贈与だからです。

贈る人も、受け取る人も、互いの顔を知りません。
このため、通常の贈与につきまとう「優越感」や「引け目」といった感情からも解放されます。

第三者を介した贈与は、その匿名性と偶然性ゆえに、不思議な喚起力を持っています。 何故匿名性が物語の転換点になるのか――それは後の章で明らかになります。

マキマによる「支配的な贈与」、レゼとデンジの「贈り返しの贈与」、そして募金という「第三者の贈与」。この三つの違いを、さらに明確に整理するために、思想家、柄谷行人の「交換様式」という視点を借りてみましょう。

3.0 「交換様式A・B・D」

日本の思想家である柄谷行人は、「生産様式」からではなく「交換様式」から世界史と社会構造を読み解く独自の理論を展開しました。その著書『世界史の構造』のなかで、人類社会を「交換様式(A/B/C/D)」で説明しました。以下、その三つを簡単に説明します。

3.1 交換様式A:互酬(贈与と返礼)

交換様式Aは、原始的な氏族社会や部族社会に見られる「贈与と返礼」の原理で、マルセル・モースが『贈与論』で明らかにした「互酬」の原理に基づくものです。
モースは、贈与交換を支える三つの義務——「与える義務」「受ける義務」「返す義務」——を指摘しました。
「贈る」「贈られる」両者の権力関係は、交換様式Bと比べると比較的対称です。

3.2 交換様式B:略取と再分配(支配と保護)

交換様式Bは、国家権力による「支配と保護」「略取と再分配」の原理で、支配者が被支配者(民衆など)から税や貢納を徴収し、その代わりに保護を提供する交換の形を言います。
この場合の「贈る」「贈られる」両者の権力関係は、圧倒的に支配者が強く、被支配者が弱い、非対称な関係です。

3.3 交換様式D:Aの高次元での回復(純粋贈与?)

交換様式Dは、交換様式Aの「高次元での回復」として構想される未来の様式です。これは、互酬性(交換様式A)の強制を伴わないかたちです。
柄谷は直接言及していませんが、今回は「純粋贈与」(見返りを求めない自由な贈与という意味)で読み替えます。
こちらの権力関係は、自由で平等です。(註7)(註8)

表1:『レゼ篇』における贈与の類型と交換様式

4.0 「『レゼ篇』という物語」

モースの『贈与論』が明らかにした贈与の原理を、柄谷の「交換様式」論は交換と権力の視点から整理し直しています。
この理論装置を用いることで、「三つの贈与」の違いがより鮮明になりました。それを用いて、『レゼ篇』という物語を振り返ってみましょう。

三つの贈与は、それぞれ物語の「外枠」、関係の「駆動力」、そして物語の「転換点」として機能しています。

4.1 「マキマによる支配」(交換様式B―物語の外枠)

映画の冒頭、元気のないデンジに対して、マキマが休日にデートに誘います。このデートによってデンジが受け取った「幸せ」が、物語全体の起点となります。

そして中盤、闘いの中でレゼはデンジにこう告げます。 「マキマ――デンジくん、あの魔女に飼われちゃってるのか」「なら一緒に逃げても無駄だったか」この言葉は、交換様式B(支配)の本質を鋭く突いています。

そして映画の最後、マキマはレゼを抹殺します。デンジとレゼの贈与の循環を遮断し、彼らの「幸せ」を断ち切るのです。

映画は、マキマによる「最初の贈与」によって始まり、レゼの命を奪うという最後の「死の贈与」によって閉じられます。こうして交換様式B(支配)は、物語全体を「枠づける」機能をはたしているのです。

4.2 「デンジとレゼの循環」(交換様式A―関係の駆動力)

電話ボックスに始まり、カフェ、夜の学校、夜のプールで、二人の「贈り―贈られる」関係は深まっていきます。

しかし、夏祭りの夜、レゼの告白をデンジが「受け取り拒否」することで、贈与の循環は断ち切られます。映画は叙情的な世界から激烈な戦闘へと急転します。

その後の激闘は、すべてを破壊しつくすほど苛烈なもので、街を破壊し、多くの殺戮を伴います。
ですが、敵対関係が明らかになり、その必要がないにもかかわらず、レゼ=ボムはデンジ=チェンソーマンに対して「私たちの戦い方」を「教え」=「贈り」続けます。
デンジ=チェンソーマンは、レゼ=ボムから贈られた「私たちの戦い方」を会得して、激闘を収束に導きます。そして二人は海の底に沈んでいくのです。

その後、海から引き上げられた浜辺で、レゼは自分が敗北したことを自覚します。
彼女はデンジを裏切り、殺そうとして、街を破壊し、殺戮を繰り広げたのです。しかし彼は、レゼを蘇生させ、シャツを着せ、「一緒に逃げよう」「オレはまだ好きだし」と告げます。

これは夏祭りの夜に、レゼが贈った「一緒に逃げよう」という言葉の「贈り返し」でした。
裏切られたにもかかわらず、デンジが贈るこれらの「贈与」によって、レゼは戸惑いを覚えます。
しかし、彼女は合理的判断によって、単独での逃走を選択するのです。

4.3 「第三者を介した贈与」(交換様式D―物語の転換点)

映画の中で、第三者を介して贈られた「一輪の花」は、デンジとレゼの関係において特別な意味を持っています。
この贈与は、匿名のシステムを介することで、通常の贈与とは異なる特別な性質を持ち、物語の転換点となるのです。

二人が贈られた「一輪の花」は、誰から贈られたのか?
その曖昧性が、この何気ない「一輪の花」に不思議な力を与えたのではないのでしょうか。

4.3.1 デンジの募金→白い花→レゼとの出会い―「匿名性」の機能

デンジはマキマから贈られたデートの時間によって、あふれんばかりの「幸せ」を受け取ります。その「幸せ」の一部を、街中で行われていた悪魔被害者への「募金」に贈ります。
その返礼としてデンジは白い「一輪の花」を受け取ります。
その直後、雨宿りの電話ボックスで、レゼと出会い、彼女に「一輪の花」を贈ります。
これがデンジとレゼの物語の起点となります。
白い「一輪の花」は彼らの関係を起動する重要な着火点でした。

4.3.2 レゼの募金→赤い花→デンジのもとへの帰還―「匿名性」+「遅延」

デンジとの壮絶な戦いの後、一人での逃走を選択したレゼは、街中で「募金」を行います。その返礼として赤い「一輪の花」を受け取ります。

彼女は、この花から、今までのデンジとの時間や関係を思い出します。

そして、合理的判断で決定した一人での逃走を取りやめ、たとえ非合理的でもデンジと「一緒に逃げる」ために、それを伝えるために、彼の待つカフェに向かうのです。

この赤い「一輪の花」はレゼの転身を促す、物語の再起動を促す重要な要素だったのです。

4.3.3 「匿名」がもたらす純粋性

通常の贈与関係は、相手が「贈った人」「受け取った人」「返礼された人」それぞれの顔が見えることで位置関係(権力関係)が明確になります。

それゆえに、「贈った人」は施したという満足感と共に「優越感」を感じたり、「受け取った人」も感謝と同時に、時に「引け目」と感じることさえあります。

その点、この募金システムは、「匿名性」によって、位置関係(権力関係)が見えにくくなるため、通常の贈与にありがちな「引け目」や「優越感」を排除します。
だからこそ、デンジもレゼも、この第三者から贈られた、誰からのものでもない「一輪の花」を、純粋な贈りものとして受け取ることができたのです。

4.3.4「遅れた気づき」の力

そして、その匿名性こそが、「遅れた気づき」を促すのです。(註9)

レゼは赤い「一輪の花」を見つめることで、忘れていたデンジとの出会いと二人の時間ーーその「幸せ」な記憶を思い出しました。

そんな「遅れた気づき」が、彼女をデンジのもとに走らせたのです。

「遅れた気づき」は、出来事が後になってから新たな意味づけや気づきが生じることを指します。
贈与が即座に認識されず、時間を経て事後的に意味が立ち現れる――

第三者を介した贈与は、授与者が曖昧になることで認識が遅延し、直接的な返礼の義務から解放されます。
この時間差が、レゼのように過去の出来事の意味を再発見する契機となるのです。

5.0  「支配」からの逃走――「合理的判断」から「遅れた気づき」へ


マキマの支配(交換様式B)によって枠づけられた物語の中で、レゼは一度、合理的な判断によって単独での逃走を選択します。
しかし、第三者から贈られた「一輪の花」が、その判断を覆すことになります。
交換様式D(純粋贈与)の力は、支配された世界を開く可能性を秘めているのです。

作戦に失敗したレゼが、戦いの後に単独での逃走を決意したのは、極めて合理的な判断でした。 デンジはマキマに飼われてしまっている以上、彼と共に逃げることは不可能――そう冷静に判断したのです。

しかし彼女は、逃走途中の駅のホームで、その合理的な判断を覆してデンジのもとに向かいます。それはどう考えても「非合理的」な判断でした。
ですが、その転換をもたらしたのは「一輪の花」です。

逃走途中で「募金」を行い、赤い「一輪の花」を受け取ったレゼは、その花を見つめることで、今までの様々な時間と思いを受け取り直します。
デンジとの出会いから 贈り贈られたモノコト、積み重なった時間、そして、浜辺で「一緒に逃げよう」と贈り返された言葉。

私はすでに贈られていたのだ――

そのことに気づいたレゼは、様々なしがらみや合理性、身の危険さえ振り払って、走らざるを得ませんでした。 レゼの「遅れた気づき」は、マキマに「支配」され「管理」された空間を食い破り、その閉じた世界を開く契機になるのです。

5.1 「交換様式D(純粋贈与)」の力

合理的な判断を破壊してしまうほど、「遅れて気づいた」贈りものは強力でした。
それをなし得たのは、「一輪の花」という形を借りた「第三者からの贈与」=交換様式D(純粋贈与)の不思議な力ではないでしょうか。

純粋贈与は様々なしがらみを超えて、物語世界を変容させるほど不思議な力を秘めています。

それは、合理的な判断で単独で逃げようとしていたレゼ自身を転進させ、「カフェの女の子」でも「ソ連の兵器ボム」でもない「第三の女」——組織の支配からも役割からも解放された、自らの意志で選択する主体への変容を促したのです。(註10)

5.2 マキマによる遮断

しかし、この純粋贈与は、マキマの手によって遮断されてしまいます。
彼女はレゼを抹殺することで、交換様式D(純粋贈与)を排除したのです。

映画はマキマによる最初の贈与から始まり、マキマによる最後の贈与(死の贈与)で終わります。

確かに、レゼの命は絶たれ、彼女がデンジに贈り返そうとした最後の贈りものは、彼には届きませんでした。 この「届かなさ」こそが、深い悲哀を生み出しています。

果たして、物語は、本当に閉じられてしまったのでしょうか。

6.0 「誤配」を届ける贈与

『チェンソーマンレゼ篇』では、三つの異なる贈与=交換様式が織りなす構造が読み取れました。

贈与には常に両義性があります。
それは関係を深める力であると同時に、支配や負債の源にもなりえます。この物語は、その両義性を三つの贈与のかたちとして描き分けています。

「マキマの支配」=交換様式B(物語の外枠・閉じるもの)
「デンジとレゼの循環」=交換様式A(関係の駆動力)
「第三者を介した贈与」=交換様式D(純粋贈与)(転換点・開くもの)

この三つの相互作用が、この物語に独特の陰影と深みを与えていたのです。

6.1 届かなかった贈りもの

レゼの最後の贈りものは、デンジには届きませんでした。
マキマの支配によって、物語は閉じられてしまったように見えます。

しかし、それは私たち観客に届いています。

本来の宛先に届かず、別の受取人に届いてしまう——
これを「誤配」と呼びます。

「誤配」による効果は、本来の宛先に届かなかったという喪失と、別の場所で受け取られたという可能性——その両方を同時に抱え込んだ、宙吊りの状態を生じさせます。(註11)

支配によって閉じられた世界は、予期せぬ経路によって、部分的に開かれ得る。
ただし、それは完全な開放ではなく、届かなさと届くことの間で揺れ動く、不安定な「開かれ」なのです。

6.2 贈与はつづく

レゼが命をかけて届けようとしたものは、デンジには届きませんでした。 その喪失の重さは、そう簡単に拭い去れるものではありません。

しかし同時に、それは私たち観客に届いています。
本来の宛先に届かなかったという悲しみを抱えながらも、それでもなお、贈られたものは受け取られ、新たな循環を生み出す可能性を持ちます。

支配によって閉じられた世界は、完全には閉じきれない。 誰かが受け取った贈りものは、形を変えながら、また誰かへと手渡されていく。

この物語を通じて私たちが受け取ったものは、デンジとレゼが交わした「贈り・贈り返される」時間の記憶です。
その記憶は、レゼの死によって消えることなく、むしろ私たちの中で新たな意味を持ち始めます。

募金の返礼として贈られた「一輪の花」が、レゼに「遅れた気づき」をもたらしたように、 この物語もまた、私たちに何かを贈り続けているのかもしれません。

贈与の連鎖は、「誤配」という予期せぬ経路を辿りながら、それでも続いてゆくのです。
たとえそれが、本来届くはずだった場所には届かなかったとしても。
(了)

おわりに

お読みいただき、ありがとうございました。
本稿は、以前noteで発表した三部作「届かなかった贈りもの」で触れた贈与のモチーフに、柄谷行人の交換様式論を適用し、マキマの贈与という新たな視点を加えて再構成したものです。
もしよろしければ感想版もご覧ください。 「贈与」「教育」「誘惑」といった視点から『チェーンソーマンレゼ篇』を読み解いています。
 第一部:「一輪の花」から始まる物語  
 第二部:「水の記憶」プールから海へ  
 第三部:「届かなさ」の向こうへ

【「三部作」キーワード版・要約版のご案内 】
 
初めて読む方や、より簡潔に理解したい方向けに、キーワード版と要約版も用意しています。ご覧ください。
 三部作キーワード解説版:11のキーワードで物語の構造を整理

 三部作の要約版    :三部作のエッセンスを4400字で凝縮

【 今後の予定 】
 
今後、理論版の理解を助けるために
理論版キーワード解説」や「理論版の要約版」の執筆も予定しています。


註:

【註1】『贈与論』と三つの義務 
 マルセル・モース(1872–1950)は、『贈与論』(1925年)で、原始社会における贈与交換が単なる経済行為ではなく、義務を伴う「互酬的システム」であることを明らかにしました。モースは、ポリネシア、メラネシア、北米先住民の「ポトラッチ」などの民族誌を比較分析し、贈与交換を支える三つの義務を指摘しました。「与える義務」「受ける義務」「返す義務」。これらは、贈与が単なる任意の行為ではなく、社会的強制力を伴うことを示しています。特に「返す義務」は重要で、受け取った贈り物には「ハウ」と呼ばれる霊的な力が宿り、これが返礼を促すとされます。

【註2】「管理者としてのマキマ」
マキマは「支配の悪魔」であり、デンジの所属する公安部対魔四課の上司として、彼に衣食住を与える代わりに、デビルハンターとしての仕事に就かせています。彼女は、様々な生物(人間を含む)を支配する能力を持ち、小動物などを媒介にして諜報活動を行うごとができます。作中に登場する猫やねずみなどを通じて、デンジとレゼの交歓はすべてマキマに把握されていました。マキマは物語の始まり(最初の贈与)から終わり(レゼの抹殺という死の贈与)まで、一貫して物語世界を「枠づけ」る存在として機能しているのです。それは映画のオープニング主題歌、米津玄師『IRIS OUT』の映像の中でも象徴的に描かれています。

【註3】「誘惑の戦略」について
「チェンソーマンの心臓を奪う」という「真の目的」を達成するために、まず「仮の目的」として、デンジを恋愛状態に陥らせることで彼の隙を作ります。その「仮の目的」を達成するために用いられたのが「誘惑」=「教え」という方法であり、そうした二段階によって構成されたのがレゼが用いた「誘惑の戦略」でした。 しかし、この戦略は彼女自身をも変容させていきます。デンジに「教える」過程で、レゼは自分自身の立ち位置に疑問を抱き、やがてその戦略は彼女自身の変容によって崩壊してきます。詳しくは「届かなかった贈りもの」第二部:「誘惑の戦略」参照。

【註4】「私たちの戦い方」について
「私たちの戦い方」とは、レゼ=ボムやデンジ=チェンソーマンの「武器人間」としての特殊な戦い方を指します。体の一部を切り離して爆弾化したり、爆発の反動を利用した高速移動など、その戦い方は個々の特性により異なり、実践を通じて「教える」しか伝えられません。注目すべきは、レゼ=ボムとしての正体が明らかになってもなお、彼女は自分の不利になる「私たちの戦い方」を「教え」続けたことです。武器人間という異形に変わっても、前半のレゼとデンジの交歓と同じかたちが繰り返されていました。詳しくは「届かなかった贈りもの」第二部:「誘惑の戦略」参照。なお、この「私たちの戦い方」によって、原作11巻96話でデンジはマキマに「勝利」します。彼女の「教え」は、結果的に「マキマの支配」を打ち壊す契機となったのです。

【註5】「互酬」の両義性について
 マルセル・モースの『贈与論』が明らかにしたように、互酬には本来的な両義性があります。贈られたものは受け取らねばならず、受け取ったものは返さねばならない。この「ねばならない」という強制性が、時に重圧となり、関係を歪めることもあります。本稿でデンジとレゼの贈与を「比較的対等な互酬」と表現しているのは、当初のレゼの不穏な意図や、夏祭りの夜にデンジが「受け取り拒否」した事実を踏まえてのことです。これは互酬の重さに耐えきれなかった表れかもしれません。ただし、交換様式Bの非対称性と比較すれば、Aの対称性は相対的に関係を深める力を持つと言えるでしょう。

【註6】「白い花と赤い花」
 物語で登場する白い花と赤い花は、実際の英国で募金の返礼として贈られるポピーの花を想起させます。歴史的に、赤いポピーは第一次世界大戦の戦没者追悼と退役軍人支援のシンボルとして。一方、白いポピーは平和運動のシンボルとして、すべての戦争被害者を追悼し、戦争そのものへの反対を表明するものです。『レゼ篇』では、デンジが受け取った白い花は二人の関係の「始まり」と平和な出会いを、レゼが受け取った赤い花は戦いの後の「再起動」と犠牲を象徴しているように読めます。この対比が、二人の関係性の変化と物語の転換を視覚的に示しています。

【註7】本稿における「純粋贈与」の用法
 柄谷行人は交換様式Dを「互酬の高次元での回復」と表現していますが、「純粋贈与」という用語は直接使用していません。本稿では読者の理解を助けるため、D的性質を持つ贈与を「純粋贈与」と呼んでいます。これは、見返りを求めない自由な贈与を指す概念として、贈与論研究で広く用いられている用語です。中沢新一や岩野卓司の論説も参考にしています。本稿で注目する「匿名性」は、この純粋贈与の本質的特徴です。贈り手と受け手が互いに顔を知らないことで、通常の贈与につきまとう権力関係(優越感や引け目)から解放され、真に自由で平等な贈与が実現します。このため「匿名性による純粋贈与」という形で、交換様式Dの具体的な現れ方を捉えることができるのです。

【註8】「交換様式C」を扱わない理由
 柄谷行人は四つの交換様式(A/B/C/D)を提示していますが、本稿では三つ(A・B・D)のみを用います。焦点を絞るためと、交換様式C(貨幣による商品交換)は等価交換を原理とするため、等価を超えた「過剰さ」を持つ贈与の分析には適さないと判断したからです。ちなみに交換様式Cは劇中でも間接的に描かれています。マキマとデンジが見る映画代、食事代、そしてデンジがレゼに渡せなかった「花束」も、交換様式Cを通じて、貨幣による商品交換で入手されたものと言えるでしょう。交換様式Cだからこそ、「花束」は届かない運命だったかもしれません。

【註9】「遅れた気づき」について
「遅れた気づき」は、精神分析におけるジークムント・フロイトの「事後性」の概念に関連します。出来事が後になってから新たな意味づけや気づきが生じることを指します。贈与論の文脈では、贈与が即座に認識されず、時間を経て、事後的に意味が立ち現れる現象を表します。第三者を介した贈与は、授与者が曖昧になることで認識が遅延し、直接的な返礼の義務から解放されます。この時間差が、レゼのように過去の出来事の意味を再発見する契機となるのです。この「事後性」=「遅れ」に関しては、『機動警察パトレーバー2』論「あきらめの風景」(1994年:シマリス著)の主要なテーマでもあることから、今後もフォローしていく予定です。

【註10】「第三の女」
「第三の女」とは、劇場版エンディング主題歌、米津玄師「Jane Doe」(身元不明の女性を意味する法医学用語)とも呼応する概念です。レゼには三つの存在様式がありました――「カフェでバイトする女の子」(仮象)、「ソ連で訓練された兵器ボム」(現実)、そして「平和に暮らしたいと願う女」(理想)。「第三の女」は、前二者から解放され、自らの意志で選択する主体としてのレゼを指します。レゼは純粋贈与の力によって、束の間ではあれ、組織の支配を超えた自由な存在として現れたのです。レゼの三つの存在様式については「届かなかった贈りもの」第二部:「三匹のねずみ」参照。

【註11】「誤配」
「誤配」は東浩紀『存在論的・郵便的』(1998)が示した概念で、宛先に届かなかった郵便物が別の受取人に届いてしまうことを指します。本稿では、レゼの「最後の贈りもの」がデンジではなく観客に届いた現象を、この概念で捉えています。東氏の論議は思想家のジャック・デリダの思想を対象にしたもので、デリダ自身も『贈与論』に関する論説を行っていますが、今回は当方の力不足もあって取り上げることはできませんでした。

参考文献

作品
『チェンソーマン』藤本タツキ #1~#11集英社、2019~2021年
『恋・花・チェンソー・ガイド』 藤本タツキ、2025年
贈与論
『贈与論』マルセル・モース(森山 工訳)岩波文庫、2014年
『贈与論―資本主義を突き抜けるための哲学』岩野卓司、青土社、2018年 『愛と経済のロゴス』中沢新一、講談社、2003年
交換様式論(柄谷行人)
『世界史の構造』岩波書店、2010年
『力と交換様式』岩波書店、2022年
『探究I』講談社学術文庫、1992年
関連理論
『贈与と交換の教育学』矢野智司、東京大学出版会、2008年
『誘惑論』立川健二、勁草書房、1994年
『存在論的・郵便的』東浩紀、新潮社、1998年
劇場版公式サイト
劇場版『チェンソーマン レゼ篇』2025年
感想文
『レゼ篇』感想「届かなかった贈りもの」シマリス、note、2026年


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