教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|下巻・第八章 ボーリューのラ・ピュセル/ジェヴォーダンの羊飼い
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アナトール・フランス著『ジャンヌ・ダルクの生涯(Vie de Jeanne d'Arc)』全文翻訳を目指しています。完訳達成。原著は1908年発行。
1920年:ジャンヌ・ダルク列聖
1921年:A・フランス、ノーベル文学賞受賞
1922年:ローマ教皇庁の禁書目録に登録
現在、禁書制度は廃止されてますが、教皇庁は「カトリック教義を脅かす恐れがある禁書だった本を推奨することはできない」という立場を表明しています。
▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか
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8.1 ジャンヌ捕縛の知らせ(1)パリ大学と審問官の反応
ジャンヌがブルゴーニュ軍の手に落ちたという知らせは、5月25日の朝にパリに届いた。[429]
翌日26日、パリ大学はブルゴーニュ公フィリップに召喚状を送り、フランス大審問官の副審問官(Vicaire-général de l'Inquisiteur)に捕虜を引き渡すよう要求した。
⚠️副審問官(Vicaire-général de l'Inquisiteur):パリ大学の総代理(代理総長)だが、異端審問の文脈では「大審問官の任務を代行・補佐」する立場を意味する。
同時に、副審問官自身も手紙で、「異端の疑いがある数々の罪で告発されている若い女を自分の前に連れてくるように」とこの手強い公爵に命じた。[430]
「……偉大なる君主よ、私たちは心からの愛情をもってあなたに懇願します」と彼は語りかける。
「そして、あなたの
高貴な家臣たちにも懇願します。
彼らとあなたによって、
ジャンヌが確実に、速やかに
私たちのもとに送られますように。
あなたが信仰の真の守護者、
神の栄光の擁護者として、
そうしてくれることを願っています……」[431]
フランス大審問官(ジャン・グラヴラン)の副審問官を務めるマルタン・ビロレー修道士[432]は、神学の修士であり、説教者修道会に所属していた。この修道会の会員は、聖なる職務の主要な機能を担っていた。
ローマ教皇インノケンティウス三世の時代(12世紀末〜13世紀初頭)、異端審問がカタリ派とアルビジョワ派を根絶していた頃、ドミニコ会(Dominicani)の修道士たちは、修道院や礼拝堂の絵画の中で「白地に黒い斑点のある大きな猟犬(神の犬:Domini canes)」として描かれ、異端のオオカミの喉に噛みついていた。[433]
15世紀のフランスでは、ドミニコ会は常に「主(神)の犬」であり、司教たちと協力して異端者を追い詰めた。
ただし、大審問官と副審問官は、自らの判断で司法手続き(裁判)を始めたり、訴訟を起こすことはできなかった。司教たちは、教会に対する罪を裁く権利を保持していた。
信仰に関する裁判、すなわち「異端審問」は裁判官2人によって行われた。ひとりは司教自身または司教の代理人が務め、もうひとりは異端審問官または代理人(司祭)が務めた。異端審問の形式が遵守された。[434]
*
乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)を異端審問にかけるように促したのは司教だけではなかった。「国王の娘」あるいは「学問の母」と呼ばれ、フランスとキリスト教世界の輝く太陽「パリ大学」も、だ。
パリ大学は、パリ市内および近郊で発生した異端やその他の教義問題について、独自の管轄権を主張した。「パリ大学の助言」はあらゆる方面から求められ、十字架が立てられた場所であれば全世界どこでも権威があった。
この一年間、パリ大学の教師や博士たちは、豊かな人数と、健全な学識を備えていたが、「乙女(ラ・ピュセル)を異端審問に引き渡すことは、教会の福祉に役立ち、信仰の利益にも資する」と強く主張してきた。
なぜなら、彼らは、「乙女は神から遣わされたのではなく、悪魔の策略によって欺かれ、誘惑されたのだ。神の力ではなく悪魔の力によって行動し、魔術にふけり、偶像崇拝をしている」という根深い疑念を抱いていたからである。[435]
パリ大学の識者たちが熟知している「神に関する知識と推論」は、この重大な疑念を裏付けていた。
彼らは必要に迫られて、または自分自身の意向で「イングランド・ブルゴーニュ派」だった。
彼らはトロワ条約(当時王太子だったシャルル七世を廃嫡し、フランス王位をイングランドに明け渡す条約)の誓約を忠実に守り、彼ら(パリ大学関係者)に深い配慮を示したイングランド摂政ベッドフォード公に忠誠を誓い、世界で最も美しい彼らの街を荒廃させたアルマニャック派を忌み嫌っていた。[436]
彼らは、王太子シャルルがユリの王国(フランス)に対する権利を失ったと考えていた。
それゆえ、彼らは、王太子シャルルの女騎士であるアルマニャック派の乙女が、忌まわしい悪魔の一団に操られていると信じる傾向があった。
大学の学者たちは人間だった。自分たちの利益になることを信じた。
彼らは司祭でもあり、どこにでも悪魔を見出したが、特に女性の中に見出した。
彼らは、ジャンヌの言動を深く吟味することなく、ただちに調査を要求するのに十分な情報を得ていた。
ジャンヌは「神の使者、神の娘」を自称し、おしゃべりで、虚栄心が強く、狡猾で、派手な身なりで現れた。そして、イングランド人に向かって「フランスから立ち去らなければ皆殺しにする」と脅迫した。
彼女は軍隊を操って同胞を殺害する無謀な人物だ。そして、扇動的だ。
反対派を支持する者は誰であろうと、「扇動的」と見なされるのではないだろうか?
つい最近、異端者かつ反逆者であるリシャール修道士[437]と共にパリの前に現れて、パリ市民を容赦なく殺すと脅迫し、聖母マリアの降誕祭の祝日に都市を攻撃するという大罪を犯した。
これらすべての言動について、ジャンヌが善良な霊(spirit)に触発されたのか、邪悪な霊に触発されたのかを調べることは重要だった。[438]
8.2 ジャンヌ捕縛の知らせ(2)ボーリューへ移送、脱走失敗と「声」の反応
ブルゴーニュ公フィリップは、教会の利益に強い愛着を持っていたにもかかわらず、パリ大学の切実な要求に応じなかった。
(ジャンヌの身柄を預かっている)リニー伯ジャン・ド・リュクサンブール卿は、コンピエーニュ包囲の前線にある自陣営でジャンヌを3〜4日ほど留め置いた後、数リーグ離れたヴェルマンドワ伯領のボーリュー城へ移送した。[439]
⚠️リーグ/リュー(英:league/仏:lieue):陸上の距離をあらわす単位。徒歩1時間で進む距離のことで、時代・地域・個人によって定義が異なるが、本書の換算基準は1リーグ(リュー)=2.5マイル=4キロ。
リュクサンブール卿は主君(ブルゴーニュ公)と同様に、常に「母なる教会の従順な息子」に見えたが、持ち前の慎重さから、イングランドとフランスの接触を待ち、それぞれが見返りに何を提示するかを見極めるよう助言された。
*
ボーリュー城で、ジャンヌは丁重かつ儀礼的に扱われた。
コンピエーニュでともに捕らわれた執事(従騎士)ジャン・ドーロンは、牢獄でジャンヌの世話をしていたが、ある日、哀れみを込めて言った。
「あなたが深く愛したあの哀れなコンピエーニュの町は、今ごろフランスの敵の手に渡り、彼ら(敵)に従わざるを得なくなるでしょう」
ジャンヌはこう答えた。
「いいえ、そんなことは起こらない。天の王が私を通して征服し、美しいシャルル王への忠誠を取り戻した場所は、敵にひとつも奪われたりしない。王はそれらを熱心に守るでしょうから」[440]
ある日、ジャンヌは板の間をすり抜けて脱走しようと試みた。
衛兵を塔に閉じ込めて、野原へ逃げようとしたが、門番に見つかって阻止された。ジャンヌは「今回は神の意志が脱出を望んでいなかった」と結論づけた。[441]
ジャンヌの気性は、絶望するにはあまりにも自尊心が強すぎた。
ジャンヌの「声」は、これまでに驚くべき出会いや騎士道的な冒険に夢中になったときと同じように、今度は「イングランド王に会わなければならない」と告げた。[442]
このようにして、ジャンヌの「夢想」は不幸が続く中でも彼女を励まし、慰めていた。
8.3 ジャンヌ捕縛の知らせ(3)フランス陣営の民衆の反応
シャルル王に忠誠を誓うロワール川流域の町の人たちが、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)に降りかかった災難を知ったとき、深い嘆きが広がった。
人々は、乙女を聖人として崇拝するばかりか「聖母マリアに次ぐもっとも偉大な聖人」とまで言わしめ、既存の聖人を称える礼拝堂にジャンヌ像を建て、ジャンヌのためにミサを捧げ、教会で祈祷文を唱え、まるで教会がすでにジャンヌを列聖したかのように、彼女の姿を刻んだ鉛のメダイを身につけた。[443]
⚠️鉛のメダイ(médailles de plomb):下巻・巻末「図像学に関する覚書(Appendix IV)」で後述するが、ジャンヌ存命中から聖遺物のように扱われていた代物。パリ大学の聖職者たちが激怒した原因のひとつ。
人々は信頼を失うことなく、ジャンヌを信じ続けた。[444]
このような忠誠心はパリ大学の博士や司教たちから怒りを買い、彼らはこのことで不運なジャンヌ自身をさらに非難した。
「ジャンヌはカトリックの人々を惑わしている。多くの人が、彼女を目の前に聖人として崇拝し、今や彼女がいないのに崇拝している」と彼らは言った。[445]
この主張は、多くの人々、多くの場所で確かに事実だった。
トゥール市の評議員たちは、乙女の救出を願って「公の祈り」を捧げるよう命じた。大聖堂の参事会員、町の聖職者、世俗と修道会の両方が参加する「公の行列」が催されて、全員が裸足で練り歩いた。[446]
ドーフィネ地方の町では、ミサでジャンヌのための祈りが捧げられた。
「祈祷文(Collect)
おお、全能にして永遠なる神よ、
あなたは聖なる、言い尽くせない慈悲によって、
フランス王国を回復・解放させ、
敵を撃退し、混乱させ、滅ぼすよう
乙女に命じられました。
そして、あなたが定めた
この聖なる使命を成し遂げるにあたり、
彼女が敵の手中に落ち、
束縛されることを許されました。
聖母マリアとすべての聖人の執り成しによって、
私たちはあなたに懇願します。
彼女が何の苦しみも受けることなく、
敵の手から彼女を救い出し、
あなたが彼女に遣わされた使命を
完遂させてくださいますように。
イエス・キリストのために、アーメン」
「秘蹟文(Secret)
おお、全能なる神よ、徳ある父よ、
この犠牲に、あなたの聖なる祝福を
与えてください。
あなたの驚くべき力が明らかにされ、
聖母マリアとすべての聖人の執り成しによって、
この乙女を敵の牢獄から解放し、
あなたが彼女に命じられた仕事を
完遂できますように。
私たちの主イエス・キリストを通して、アーメン」
「聖体拝領後の祈祷(Post Communion)
全能なる神よ、耳を傾け、
民の祈りをお聞きください。
今、私たちが受けた聖餐の力によって、
聖母マリアとすべての聖人の執り成しによって、
あなたの命令を成し遂げるために
敵の牢獄に囚われ、今も囚われたままの
乙女の鎖を断ち切ってください。
あなたの神聖なる慈悲と憐れみによって、
彼女が危険から解放され、
あなたが彼女に遣わされた使命を
成し遂げられるようにしてください。
私たちの主イエス・キリストを通して、アーメン」[447]
8.4 ジャンヌ捕縛の知らせ(4)ジャック・ジェリュのシャルル七世宛の手紙
当初こそ悪意を疑っていたものの、のちに完全に善良であると認めた乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)が王国の敵の手に落ちたことを知り、アンブラン大司教ジャック・ジェリュは「このような不幸な事態で取るべき行動方針」について手紙を書き、シャルル王のもとに使者を派遣した。[448]
幼少期から王子(シャルル七世)を指導していたジャック・ジェリュは、手紙の冒頭で、ジャンヌが神の助けと彼女自身の偉大な勇気によって王のために成し遂げたことを思い起こさせる。
そして、みずからの良心を吟味し、神の恵みに反する罪を犯していないか確認するよう王に懇願する。もしかしたら、神は王への怒りから、ジャンヌが捕らわれる事態を許したのかもしれないからだ。
王自身の名誉のためにも、彼女の救出に全力を尽くすよう促している。
「私は陛下にご進言申し上げます」と彼は語りかける。
「乙女の救出と身代金を支払うために、
手段も金銭もいかなる費用も
惜しんではなりません。
さもなければ、不当な恩知らずという
消すことのできない不名誉を
かぶることになるでしょう」
さらに彼は、「乙女(ラ・ピュセル)救出のために、あらゆる場所で祈りを捧げるよう命じるべきだ」と助言する。もしこの災難が、国王またはその民衆の不正行為によって起こったのであれば、(みんなで祈ることで)神が赦してくれるかもしれないからだ。[449]
これらの助言は、司教というより隠遁者に近い、老齢の高位聖職者による、力強さと慈愛に満ちている言葉だ。
ジャック・ジェリュは、かつて苦難の時代に王太子の顧問を務めていた頃を覚えており、シャルル王とフランス王国を心から愛していた。
⚠️フランス陣営の碩学ジャック・ジェリュが、シャルル七世に送った「ジャンヌ考察」については下記を参照。
▼シノンでの謁見直後:『6.15 ジャンヌの規範「私のオリフラム」』参照
▼オルレアン包囲戦後:『14.2〜14.4 ジャック・ジェリュの意見書』参照
8.5 ジャンヌ捕縛の知らせ(5)ラ・トレモイユとランス大司教の反応
ラ・トレモイユ卿とランス大司教(ルニョー・ド・シャルトル)は、ジャンヌを排除し、彼女の失脚を画策したのではないかと疑われている。
パリ包囲戦、ラ・シャリテ包囲戦、そしてコンピエーニュ包囲戦でジャンヌを敗北させるために卑劣な手段を用い、それを暴いたと考える者さえいる。[450]
しかし、実際にはそのような手段は不要だった。
パリ包囲戦では、ジャンヌ自身も戦友も堀の深さを把握してなかったため、彼女が堀を渡れる可能性はほとんどなかった。頼みの綱だったカルメル会修道士たちが門を開けられなかったことは、国王とその評議会のせいではない。
ラ・シャリテ包囲戦は、ジャンヌの功績ではなく、ドルー伯シャルル・ダルブレ卿と多くの勇敢な隊長によって成し遂げられた。
コンピエーニュからの出撃では、マルニー村でぐずぐずしていれば「ヴネット駐留のイングランド軍」と「クレロワ駐留のブルゴーニュ軍」によってフランス軍は分断され、「クダン駐留のブルゴーニュ軍」にたちまち打ち負かされることは明白だった。フランス軍は略奪の喜びに我を忘れ、必然的に「避けられない結末」を迎えた。
⚠️避けられない結末(l'issue fatale):コンピエーニュでのジャンヌ捕縛は「裏切り」のせいではなく、単に兵士たちが略奪に夢中で撤退が遅れたという「愚かさ(fatale)」によるものだと著者は看破している。
そもそも、侍従長(ラ・トレモイユ)とランス大司教(ルニョー・ド・シャルトル)は、本当にジャンヌを排除したがっていたのか?
ジャンヌは彼らを煩わせたことはない。それどころか、彼らはジャンヌを役立つ存在と見なして起用していた。
彼女が「国王をランスで聖別させる」と予言したおかげで、ルニョー卿は多大な恩恵を受けた。特に、シャンパーニュ遠征では誰よりも大きな利益を得ている。戴冠に成功したがパリとノルマンディーを奪還できなかった国王よりも、だ。
それにもかかわらず、ジャンヌに感謝の気持ちを抱いていない。ランス大司教は冷酷で利己的な人物だ。
しかし、ランス大司教はジャンヌに危害を加えようとしたか?
むしろ、彼は彼女を必要としていなかっただろうか?
ランス大司教はサンリスで国王の大義を守っており、うまく運営していたのは間違いない。なぜなら、王に忠誠を誓った町々と共に、彼はみずからの司教座と公爵領、さらに聖職禄と参事会員(世俗の職を持つ聖職者)の地位を守っていたからだ。
ランス大司教は、ブルゴーニュ軍に対抗するために今後もジャンヌを起用し続けるつもりではなかったのか?
3月末頃、彼がラ・トレモイユ卿に「シュリーから立派な軍隊と共にジャンヌを派遣し、イル・ド・フランスでの戦いに備えるよう依頼した」と考えられる根拠はすでに指摘した。
この仮説は、ジャンヌが不幸にも捕らわれた後、ランス大司教と侍従長ラ・トレモイユが、「《《幻視の恵みを受け取り》》、《《神から遣わされたと主張する人物》》」をジャンヌの代わりに起用しようと試みたことによって、裏付けられる。
彼らは少女を見つけられなかったので、少年で間に合わせなければならなかった。そして、ジャンヌ捕縛の数日後にこの決断を下し、実行した。
その経緯は、次の通りである。
8.6 ジェヴォーダンの羊飼い(1)乙女の後継者となった少年
ジェヴォーダンで羊飼いをしていた少年ギヨームは、ロゼール山地の麓で羊の群れをオオカミやオオヤマネコから守っていたとき、フランス王国に関する啓示を受けた。
⚠️ジェヴォーダン(Gévaudan):フランス中央高地の南部、オーベルニュ地方とラングドック地方にまたがる険しい山地。この名は王政時代の地名で、現在はロゼールの一部だが、後世(1764〜1767年)に現れた未確認生物「ジェヴォーダンの獣」事件により、この古い地名は現在も知られている。
この羊飼いは、主イエスの愛弟子ヨハネと同じく童貞だった。
聖人プリヴァ・ド・マンドが断食して祈りを捧げた山の洞窟のひとつで、若き羊飼いは天の声を聞き、神が自分をフランス国王のもとへ遣わそうとしていることを知った。
ジャンヌが活動初期にヴォークルールへ向かったように、彼も国王のもとへ連れて行ってもらうためにマンドへ向かった。そこで信心深い人たちに出会い、人々は彼の聖性に心を打たれ、彼に力があると確信し、彼の装備を整えて旅費を援助した。もっとも、実際に用意された食料はごくわずかだったが。
彼が王に語った言葉は、乙女が語った言葉とほとんど同じだった。「陛下」と彼は語りかけた。
「私はあなたの民と共に行くよう命じられました。イングランド人とブルゴーニュ人は必ず打ち負かされるでしょう」[451]
王は彼を親切に迎え入れた。
かつて乙女(ラ・ピュセル)を尋問した聖職者たちは、「この羊飼いの少年を拒絶すれば、聖霊の助けを拒絶することになるのではないか」と恐れたに違いない。アモスは羊飼いであり、神は彼に預言の賜物を授けた。
「天地の主である父よ、あなたを褒め称えます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者に示したからです」
(新約聖書『マタイによる福音書』第11章25節)
⚠️アモス(Amos):旧約聖書『アモス書』に登場する預言者。南ユダ王国テコア出身の羊飼い。
しかし、この羊飼いが信じてもらうためには、彼は「しるし」を示さなければならなかった。
ポワティエの聖職者たちは、悲惨な時代にひどい貧困に苦しんでいたが、しるしの要求には厳格ではなかったようだ。彼らはジャンヌのときも、使命のしるしとして「オルレアンを救う」という口約束だけで、彼女を受け入れるよう国王に助言した。
ジェヴォーダンの羊飼いは、口約束以上のことを主張した。
自分の体を見せて、驚くべき「しるし」を示したのである。
聖フランチェスコのように、彼は聖痕を受けており、両手、両足、そして脇腹に血を流した傷跡があったのだ。[452]
托鉢修道士たちは、自分たちの新たな「霊的な父(指導者)」がこのように主イエスの受難にあずかったことを喜んだ。同様の恵み(奇跡)は、聖ドミニコ修道会の聖カタリナ・デ・シエナにも与えられていた。
しかし、イエス・キリスト自身によって刻まれた奇跡(miraculous)の聖痕がある一方で、悪魔のしわざである魅惑(enchantment)の聖痕もまた存在し、この二つを区別することは非常に重要だった。[453]
見分けることは、深い知識と深い敬虔さによってのみ可能だ。
ギヨームの聖痕は悪魔のしわざではなかったようだ。なぜなら、ジャンヌやカトリーヌ・ド・ラ・ロシェル、リシャール修道士の「霊的な娘」である下ブルターニュ出身の女性2人と同じように、羊飼いギヨームも扱われることが決定されたからである。
8.7 ジェヴォーダンの羊飼い(2)王国の運命とジャンヌの運命を区別する
ジャンヌがブルゴーニュ軍の手に落ちたとき、ラ・トレモイユ卿は国王と共にロワール川沿いにいた。そこではラ・シャリテ包囲戦の惨敗以来、戦闘は止んでいた。
彼は、羊飼いの少年をオワーズ川流域にいるランス大司教(ルニョー・ド・シャルトル)のもとへ派遣した。大司教はそこで、ブルゴーニュ公フィリップがみずから指揮するブルゴーニュ軍と対峙していた。
おそらく、ルニョー卿がその少年を必要としていたのだろう。
いずれにせよ、ランス大司教は喜んで少年を歓迎し、ボーヴェに留め置いて監視と尋問をおこない、好機が訪れた時にいつでも起用できるように準備していた。
ある日、彼を試すためか、あるいは実際に噂が広まっていたのか、若き羊飼いギヨームは「イングランド軍がジャンヌを処刑した」という知らせを受けた。
「そうなると、それは彼らにとってさらに悪い事態になるだろう」[454]
*
この頃までに、フランス陣営のベギン会修道女たちの集団はあらゆる対抗心と嫉妬の末に分裂し、修道士リシャールのもとには、隠された宝を発見する才能を持つ聖女カトリーヌ・ド・ラ・ロシェルだけが残っていた。[455]
⚠️ベギン会(béguine):中世ヨーロッパで生まれた半聖半俗の姉妹団体。修道会とは異なり、正確にいえば修道女ではない。望まぬ妊娠をした人や行き場のない独身女性など、ある意味、教会が取りこぼした弱者の駆け込み寺のような互助組織・共同体。フランス革命を契機に衰退したが、かつてフランス王国だったオランダやベルギーに残っている。
若い羊飼いは、カトリーヌと同じく、ジャンヌをほとんど評価しなかった。
「神はジャンヌが捕らわれることをお許しになった」と彼は言った。
「なぜなら、彼女は傲慢になり、豪華な衣服を身につけていたから、そして彼女が神の命令ではなく自分の意志に従って行動したからだ」[456]
これらの言葉は、ジャンヌの敵(ライバル)によって彼に示唆されたのだろうか? そうかもしれないが、ギヨーム自身が霊感によって発言した可能性もある。聖人たちは必ずしも互いに親切ではない。
⚠️「聖人たちは必ずしも互いに親切ではない」について補足:
羊飼いギヨームはジャンヌに対して辛辣だが、思い返せば、ジャンヌももうひとりの聖女カトリーヌ・ド・ラ・ロシェルをあからさまに嫌っていた。
当時の自称・聖人が、王侯貴族に雇われる「聖人稼業」だったと解釈すると、彼らはお互いに競合する「商売敵」ということになる。
だとすれば、日ごろから険悪だったのもうなずける。
その一方で、ランス大司教ルニョー・ド・シャルトル卿は、失った奇跡(ジャンヌ)をはるかに上回る奇跡(羊飼いギヨーム)を手に入れたと信じていた。
彼はランスの住民に手紙を書き、ジャンヌがコンピエーニュで捕らわれたことを伝えた。
「この不幸は、彼女自身の過ちによって降りかかった」
「彼女は助言に耳を貸さず、自分の意志に従った」
それゆえに、神は彼女の代わりとなる羊飼いを遣わされた。
「ジャンヌと何ら変わらない言葉を語る者を」
神は彼(羊飼いギヨーム)に、イングランド人とブルゴーニュ人を打ち負かすよう厳命した。
さらに大司教は、ジェヴォーダンの預言者がジャンヌについて「傲慢で、豪華な衣装を身につけ、反抗的な心を持つ者」と表現した言葉を、手紙の中で繰り返すのを忘れなかった。[457]
敬虔な神父であるルニョー卿は、異端者や魔術師を起用することに決して同意しなかっただろう。
彼はジャンヌを信じたのと同じように、羊飼いギヨームを信じた。「悪魔に由来しないものはすべて神に由来する」という意味で、ジャンヌもギヨームも神に遣わされた者だと信じていた。
彼からすれば、その子供の中に悪が見つからなかっただけで十分であり、ギヨームがジャンヌと同じ働きをしてくれると期待して、彼を試すつもりだった。
ランス大司教がやったことが正しかったか間違っていたかは後述するが、殉教の危機が迫る聖女(ジャンヌ)を否定することなく、若き羊飼いを称えることもできたはずだ。
おそらく大司教は、王国の運命とジャンヌの運命を切り離す必要があると考えたのだろう。彼は、非情な決断を下す勇気を持っていた。
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