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理解できない現実、理解されないという苦しみ - 人間関係が苦手でもなんとかやっていくための本 試し読み版 2

シロイブックスより2026年1月に刊行した書籍「人間関係が苦手でもなんとかやっていくための本」の試し読み版です。

「試し読み版 2」の当ページでは、第一章「言葉のラベルを剥がす」の前半部分を掲載しています。


今から何を受け取ってほしいのか

私たちが抱える本当の問題

人間関係、なんとかなっていますか?

なっている方はおめでとうございます。大変素晴らしいので、このまま本を閉じていただいて大丈夫です。なっていない方が来るまで、筆者はここで待つことにします。

タイトルにはっきりと掲げたとおり、私がこの本をお届けしたいと考えている読者像は「人間関係が苦手な人」です。一口に「苦手」といってもいろいろありますね。職場などで毎日接する相手が新しくできたとき、緊張しがちで打ち解けるまでに時間がかかるという人もいますし、事務的・世間話的な距離感ではしっかり者として振る舞うことができても、本音ではどこか心のガードが解けないのだという人もいます。

こうしたいくつかの性質を一種のキャラクターとして擬人化・類型化して、「普通の人たちはこうですよね」「でも私たちってこうですよね」といった調子で話を進めることもできますが、実はそれは本書の行おうとしていることではありません。最初に確認しておきたいのは、この本が何を目指していて、何を目指していないのかという点についてです。

第一章では、これから行っていく仕事の全体像を各章の概要という形で説明する前に、やや長い序論として「問題の根本はどこにあるのか」「私たちが本当に向き合うべき仕事は何なのか」を明らかにしておきたいと思っています。筆者はこの本によって具体的で実行可能なアドバイスを読者にお渡ししたいと考えていますが、それを間違いなく受け取っていただくためには、最初にいくらか抽象的で本質的と思われる議論を通過しておく必要があります。

本書では、人間関係や人の心を扱った本でよく出てくる「こういう性格の人はこれが苦手だからこうしましょう」といった提案をしようとはしていません。世間で見かける人々をタイプ別の一覧表にして、タイプAの人には対策Aで、タイプBの人には対策Bで対応しよう、といったことも言いません。筆者の考えでは、自分や相手を「○○な人だ」「だから○○すればよい」とパターン化しようとする習慣自体が人間関係を失敗させ続ける主要な要因であり、これは解決に至る道というより、むしろ治療すべき悪癖だからです。

この本の筆者は理系の技術者出身なので、何か複雑そうなものがあれば一つ二つの要点からシンプルに説明できないかと考えますし、ばらばらに見える個別の事例がたくさんあるときには、共通の性質や傾向を見つけてグループ化できないかということも普通に考えます。みなさんも職場でプレゼン資料や報告書を作っているときにはそうするでしょうし、それはそれで正しい行動です。業務上の情報整理、伝達、説得などであれば、そこにあるのは短く整理された要点のみで構いません。しかし、人間関係における根本的なスタンスとしては、これは益よりも大きな害を生み出す習慣と言っていいものです。

人間関係というのは常に複雑で、誰にとってもわかりにくく、気まぐれで一貫性がないように見えるものなので、私たちはその不安を解消するために、複雑な現実に対する単純な説明を求めます。「あの人はこういうタイプだ、だからこうしておけばよい」と言い切ってしまえば、原因は一つで対策も一つ、どちらが正義でどちらが悪かという解釈も一つで、何も難しく悩む必要はなくなります。それが上司や同僚への悪口であれ、人間関係のノウハウを扱った一見「ポジティブな」本やネット記事であれ、私たちは常に単純な説明、単純な答え、単純なマニュアルを求めています。そして、需要のあるところには供給が生まれます。私たちが「もう酒でも飲んで現実を忘れたい」と言うのならば、企業は喜んできついアルコールを売るでしょう。

書店に行けば「○○は○○が九割」「○○するためのたった一つの方法」といった定型句の本は掃いて捨てるほど並んでいますし(「タイトルはハッタリが九割」ということなのでしょうか?)、ネット上の記事も同じかもっとひどいくらいの水準にあります。これはスマホの画面越しに毎日見たくもないのに見せられる、あの浅はかで品のない広告画像に対する苦情とはやや意味合いの異なる話です。その情報は一方的な押しつけとしてではなく、大衆から積極的に求められているからこそ売られているのです。

古来から現実逃避用の鎮痛剤として求められてきたアルコールのように、人間関係における明快な解答集も売れ行きは好調のようです。その場しのぎという自覚があるにせよないにせよ、不安に駆られた現代人の私たちはそこに救いを求めています。それは読者本人の現実の生活、現実の人間関係をよりよい方向へと向かわせてくれるものではないにも関わらずです。

あなたが悩んでいるように、他の人々も悩んでいる

本書の始まりに一つ質問をしておきたいのですが、あなた自身は「○○な性格だから○○をしている」と説明できるほどに単純な人間なのでしょうか? 真面目なら真面目、怠け者ならば怠け者であり、反対の面は何も含まれていない人間ですか? あなたはいつでも白か黒かで割り切れる程度のわかりやすい感情しか持っておらず、毎日の振る舞いや発言内容はすべて明確で自発的な理由、目的、善意か悪意があってそうしているのでしょうか? 本当はやりたくないのにそうしなければならないとか、反対にやりたくてもできないような複雑な事情や制約は何も抱えていませんか?

あなたの周りの人々は、あなたという人間のことを正しく理解していると思いますか?

その答えがノーであるならば、おそらくあなたの周りにいる友人や恋人、上司や同僚についても、それは同じです。他の人々も同じように複雑であり、彼ら彼女らも同じように「理解されていない」と感じていますし、できれば理解してほしいと思っています。あなたの孤独はあなただけの孤独ではないし、相手と自分のどちらが正しいのかという話でもありません。社会が悪いとか政治が悪いといった話でもありません。これは私たち全員に与えられた共通の課題だからです。

この認識が本書のスタート地点になります。特別に「人間関係が苦手」かどうかという点に関わらず、私たちは大抵の場合、全然理解されていないし、周りの人々のことも全然理解できずにいます。人間関係を「なんとかしていく」とは、人間の心という複雑でわかりにくいものを「なんとか理解しようとする」ための長く大変な道のりを歩んでいく覚悟を決めることです。簡単な答えはどこにも用意されていません。それでも、これは前向きにやっていく価値のある道のりです。

今のあなたは、人間関係というこの世の仕事を「喜びや楽しみよりも、苦痛や失望のほうが断然多いものだ」と感じており、結果として他者との関わりを「できれば避けたいこと」という分類の入れ物に投げ込んでしまっているかもしれません。しかし、そこから将来的に得られるであろう深い意味や価値の感覚は、おそらく今これを読みながら想像しているよりもずっと大きく、他では代えがたいようなものになるはずです。

本書の目的は、あなた自身が内面に抱える「人と関わる」ということへの苦手意識を和らげた上で、今はまだ手にしていない温かい人間関係を築くための第一歩を踏み出してもらい、そうした人間関係の中に安心感や幸福といったものを徐々に見つけ出していけるよう、少しでも後押しをすることです。

当然、そこには私たち自身が向き合うべきハードルが存在しており、それを乗り越えるためには「我々が抱えている問題の正体は何なのか」を知っておく必要があります。第一章で今から点検しようとしているのはその点です。

問題の所在

言葉のラベル、思考の牢獄

この本では、あなたや私のような「人間関係苦手族」の生き方を少しだけ楽にしていけるような、前向きなヒントを共有することを目指しています。ただし、このラベルは単なるキャッチフレーズとしての仮の表現であって、人間にラベルを貼るということは本来あまりよくないことです。

これから本書で行おうとしている仕事には「あなた自身が自分に貼ってしまったラベル(レッテル)を剥がす」ということも含まれます。そこに書かれがちな内容は「自分は人間関係が苦手だ、いつも上手にやれない、だから自分はダメなのだ」というものです。

人は言葉を使わないと物事をうまく認識できないので、言葉のラベルというのは生活上どうしても必要な道具ではありますが、その取り扱いは相当な注意が求められるものです。たとえば「内気」というラベルであれば、それは通常「人は明るく外向的であったほうがよい」「人前では努めて社交的に振る舞わなければならない」「そのようにできない人間は劣っている」という暗黙の価値判断とセットで使われています。実際には、今ここに並べた前提はてんで間違っているのかもしれず、私たちは薄々その疑わしさに気づいていたりもするのですが、大抵の人は明確にそれを拒否するまで思考の歩みを進めるということをしません。言葉のラベルが何を歪めているのかという点は意識に上っていなくても、その歪みの悪影響だけはしっかりと受け取ってしまっているのです。

ラベルの問題点は、大きく分けて二つ存在します。第一に、ラベルとして使われる「あの人は○○な人間だ」という短い説明は、現実の人間の心の複雑さと曖昧さ、物事の両面性、環境と状況の強い影響、短期的な変化と長期的な成長といった無数の観点をまったくと言ってよいほどすくい取れていないこと。つまり、単純でない情報は何であれ無視されており、事実は常に複雑なので、事実は常に無視されます。第二の問題点は、ラベルとして使用される言葉の響きの奥底には、さきほど並べたような「○○はよい/○○はよくない」「○○でなければならない/○○であってはならない」という無意識的なジャッジの視点がほとんど常に含まれており、それが他ならぬ私たち自身の思考と感情を誤った方向に誘導し、誤った認識と解釈のパターンを本人の内面に定着させていくという点にあります。

おそらく最大の問題は後者にあって、これに比べれば「どうしたらウケるトークができるようになるのか」といった質問は些末な話でしょう。クラスの人気者になれなかったところで特に不幸になるわけではありませんが、ラベルによる束縛と無言の圧力は現実に、確実に私たちを不幸にします。「魚をさばけない」「音痴である」といった言及が単なる事実の説明である一方で、「根暗だ」というラベルの響きはそうではありません。それは「矯正すべき人格上の欠点」であり、同時に「矯正しようと思ってもどうせ矯正できないとわかっている」という静かな絶望でもあり、もっと程度が進めば「自分に価値がないことの証明」にもなります。第三者的に、冷静に考えればまったく事実とは呼べないような結論だったとしても、ただひとり本人にとってだけは一生かかっても反証できないように見える圧倒的な事実(=客観的事実とは異なる主観的事実)になりうるのです。

言葉のラベルには、どうやら「使われるたびに自らの歪みを強固にしていく」というやっかいな性質があるようです。通常、こうした否定的なラベルは「考える」とすら呼べないような自動的な反応、固定されたパターンとして私たちの心に定着しています。それは世間の言葉、他人の言葉、まだ幼かった本人に対する年長者の言葉として始まったものかもしれませんが、繰り返しによる定着が強固なものとなれば、誰もあなたのことを否定しようとしていないときでさえ、あなただけがあなたのことを否定するようになってしまうでしょう。

これこそが私たちの抱える問題の根本、人間関係のみならず人の幸不幸というもの全体の最も根本の部分であり、多くの人々は「よいとかよくないとか、正しいとか正しくないとか、すべきだとかすべきでないとか言っていない状態」がどのようなものなのかをイメージすることすらできません。私たちの思考と感情はほとんど常に混乱し、動揺させられ、ラベルの圧政とそれに対する反抗という形でいつまでも無意味な言葉を反復し続けています。ただ正気で、平静な心持ちで目の前の物事を見るということができず、誰もが想像上の正解と誤り、空想上の正義と悪の話ばかりをしているのです。

言葉の重圧、固定的で自動的な思考の牢獄からどうすれば解放されるのかという点は、本書全体の裏のテーマの一つでもあります。そして、表のテーマである「人間関係をなんとかやっていく」という点に対しても、ラベルの歪みと有害性を認識することはやはり重要なのです。

人前でどう振る舞えばうまくいくのかについてあれこれ言う前に、私たちは現にあるものをきちんと見ることができるようになっておく必要があります。ラベルが現実をねじ曲げ、本来価値があったはずのものを覆い隠し、人々を道に迷わせているのだとしたら、それは取り払われなくてはなりません。

変化できるとしたら、それはどこからなのか

何か困りごとを解決したいときには、その問題が実際には何で、どこにあるのかということを詳しく知る必要があります。私たちの「悩む」という時間そのものに焦点を当てるなら、人間関係の問題とは、他人の中に存在するのではありません。世の中にはいつでもやっかいごとを持ち込んでくる人がいて、嫌なことを言ってくる人もときどきいて、それは明らかな事実ではあるのですが、問題の本体はそこではないのです。

そこで、他人が問題でないなら自分の能力の問題なのかというと、それも少し違います。あなたは人付き合いに苦手意識を持っていて、それは客観的に見てもある程度はそうなのかもしれませんが、この点も問題の本体ではありません。仮に難しい資格試験の勉強をしているなら、その道のりは大変ではあるとしても、私たちが人間関係という言葉から即座に連想するようなタイプの「悩み」にはならないでしょう。人間関係は現実的で実際的な外の世界の課題ですが、言葉のラベルという指摘から考えたとおり、私たちの問題の本体はむしろ心の内側にあって、そこには「自分は何ができるのか」「何ができるようになったほうがよいのか」という能力的な観点、「何をしていくべきなのか」という選択と行動のレベルとは異なるアプローチが必要になってくるようです。

さらに、誤解なく確実に受け取ってほしいポイントとして、これは「何事も自分の気持ち次第、考え方次第だ」というよくある発想とも異なります。筆者は「このように考えよう」「ポジティブに捉えよう」とは言っていません。「何かを誤って見ているなら、誤りは除去されなければならない」と言っています。仮にあなたがネガティブで引っ込み思案だ(と自分では思っている)として、それは本当は特に問題視するようなものではなく、たまたまそういう気質に生まれついたというだけの話なのですが、「だから自分は人として劣っているし、人から大切にされないし、その価値もないのだ」と結論することには問題があります。今出てきた「だから」という接続詞はいったい何と繋がっているのでしょうか。「明るく社交的でなければ愛されない」というのは、繁華街を歩きながら「みんなジャンクフードしか好きじゃないんだ」と考えるようなもので、単純に事実ではありません。

「引っ込み思案な性格を変えよう」と思うなら、たぶんそれは失敗するでしょう。本書は「スキルはスキルとして頑張って身につけていく必要がある」という前提を無視しませんし、学びや成長ということに対して「前向きにやっていこう」と言おうとはしていますが、あなたを変えようとしているわけではないのです。正しくもなければ必要でもないものを捨てていくということが本書の中心的な意図であって、その不要品リストには「このままではいけない、人から受け入れてもらえない、だから変わらなければならない」というラベル由来の感情も含まれます。しかし、これらの不要物のすべてを無事に捨てられたなら、そのとき実際に何かが変わるでしょう。

これは他人の言葉による「(Aでなければ)ならない」が正しく捨て去られ、純粋に自分自身の言葉としての「(Bのように)なりたい」が発せられたとき、初めて実現の可能性が見えてくる変化だと言えます。そして、このAからBへの動きの中間地点には「AであってもBであっても別に何も問題ない」「自分は今ある自分でしかない、それでよい」という肯定の境地が存在している必要があります。「AよりもBのほうが正しいし立派だ、Aではいけない、Bになるべきだ」と考えているうちは、そのBはあなたにとっての本物には決してなり得ないからです。

人間は「かくあるべき」の鋳型で変化できるようにはできていません。「べき」は現に存在するあなたとは関係がないし、あなたの周りに実在しているあの人やこの人とも関係がありません。現実に向き合うことだけが現実を変えられるとしたら、言葉のラベル、そこに含まれる暗黙の価値判断、その自動的な受理といった動きを認識して拒否することは、問題解決のための最低条件なのです。

最初の心がけは「貼らない」こと

言葉のラベルというのは、今考えたように自分で自分に貼っていることもあるし、自分が他人に貼ってしまっていることもあるし、他人から自分に貼られることもあります。ラベルは私たちの日常であり、ここで指摘したような暗黙の価値判断が含まれない言葉がどこかで行き来しているとしても、それは特定の学術分野や職業分野において相当に訓練された人たちの専門的な会話くらいでしょう。そして、こうした賢い人たちならばプライベートの人間関係でもあらゆる偏見や感情的混乱から自由なのかというと、どうやらその点も怪しいように見受けられます。

人からいいかげんなラベルを貼られるということは困ったもので、それはそれとして上手なかわし方を考える必要はありますが、最初にすべきなのは「自分からは貼らない」という心がけを身につけることです。自分に対しても、他人に対してもです。少なくとも、誰かかあなたに勝手にラベルを貼ってきて嫌な思いをしたという記憶が思い当たるのなら、あなたも他の人に同じことをするべきではないということになります。

ラベルというキーワードからまず指摘したのは、言葉は自動的な思考(実際には「無思考」)を作り上げるものであり、自らの内側にそのようなガラクタ製造機が二十四時間体制で稼働していることを私たちの多くは自覚していないという点でした。「何が真実で、何が真実でないのかを正しく理解する」という哲学寄りの話は本書全体で時間をかけて掘り下げていくとして、ひとまず今覚えておきたいのは「ラベルの存在と影響力を認識して、それを使わないように意識しよう」ということです。言い換えれば、これは「人に何かもっともらしい用語や説明を当てはめてしまったら、その時点でちょっとまずいことを行ってしまったと自覚しよう」という指針になります。

いつも人の輪に囲まれて明るい顔をしているような人を見ると、反射的に「この人は周囲とうまくやっていける恵まれた人だから、自分の苦労なんてわかってくれない」という壁を感じてしまったりはしないでしょうか。これもラベル由来の感情の一例であり、必要のない分断や機会損失を生むものです。全員とわかり合えるとは言いませんが、周りの人間はあなたの人生上の対戦相手や意地悪な敵キャラではないので、相互理解の可能性をわざわざ潰してしまう必要はありません。自分とは相当に異なる性格や属性を持っているように見える相手でも、ちゃんと話してみれば共感し合える部分は意外とあるものです。というか、そもそも人生は競争やコンテストではないので、こうした比較は最初から無意味です。

単純すぎるラベルを避けましょう。一つか二つの概念で説明がつくほど単純なことなどこの世には何もないのです。もちろん、そこに「全然精密でないし間違ってるかもしれない」という自覚さえきちんと持っているなら、人間関係の場面での「こういうパターンはありがちかも」「この区別で対応を変えたらよさそう」といった視点は状況整理のために有効なケースも多いので、本書もそうした「思考と感情の整理整頓」「考えるための道具の提供」は積極的に行っていくつもりです。

しかし、それはあくまで現実のわかりにくくて微妙な人間関係、その向こう側にある人の心というものを理解しようとするための仮の道具であって、言葉の表現だけを見て「つまりはこういうことだな」「こうしておけばよいのだ」と決めつけないことが肝心になります。言葉は現実ではないし、説明や解釈は事実とイコールではないからです。

 
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