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「会社って何だろう?」→ 「動物園だね」

ただの宇宙人、梅太郎です。

みなさんは働いていて、組織に不満などないでしょうか?
現代で「働く」といった場合、大部分の方が会社や組織に属することになります。

私自身は会社に属していた頃、「なんのために会社ってあるんだろうな」とよく感じていました。

特に疑問だったのが、会社は「前年度よりも業績をよくする」ことを目標にすることです。

業績がよかった年があったとして、

「今年はよかったぞ! よし、社員のみんなに還元しよう! 」
めでたしめでたし!……とは、まずいきません。

実際には、

「今期は業績がよかったので、(ちょっとした)ボーナスを支給します。来年は、今年よりもがんばりましょう。以上!

という程度。

業績がよければ、社員に大きな恩恵があるかと言えば、そうではないですよね。

社員というのは、いいときも、悪いときも、プレッシャーをかけられます。

「今期はよかったから、来期もがんばらないとな」
「今期はダメだったから、来期はがんばらないとな」

いつまでも、がんばらないといけません。

現場からしたら、いや、もうこれ以上無理だって。なのです。

そうなるのは、たしかに「税の仕組み」だとか、「経営とは、現状維持をしようとした途端に業績が下がる」という経験的なものだとか、「経済とは、上向き続けるものである」という経済学的な視点だとか、いろんな面があります。

が、そもそもの問題は、会社という仕組み、その性質が原因です。

今回は、「会社って、なんなんだろうね」という話をしてみたいと思います。


一般的に会社と言った場合、現代では「株式会社」が一般的ですね。

歴史的に言えば、株式会社とは、大航海時代に生まれた「東インド会社」が由来だと言われています。

東インド会社は、オランダが最初につくった会社(システム)で、植民地化したアジア圏でスパイス類を買いたたき、ヨーロッパで売る(貿易をする)ための組織でした。
その事業を行うための資金を、国が提供する。その代わりに、分け前をガッツリもらう。というもの。
そのうちに、ただの貿易会社ではなく、「植民地管理」まで行うようになります。

そんな経緯で会社というシステムは生まれ、この形が世界に普及。現代まで続いています。

すなわち、出資者(株主)がお金を出して、事業を経営者にさせて、その分け前をもらう。

これが、会社という組織です。

ここには、「従業員」という語句が一切出てきませんね

そうなんです。

株式会社に限らず、世の中にあるすべての組織とは、「つくった人のもの」なのです。

小さい会社なら、オーナー社長(とその仲間)のもの。
大きい会社なら、株主(出資者)のもの。
より大きい組織になっていくと、「出資者の正体」とは、「 特定の層の人々」(王族関係者など)に行き着きます。

つまり、「この仕組みをつくった人たち」の元にお金が渡るように、最初からできているんですね。

ゆえに、どこまでいっても「働く人のため」という観点はありません。

ですから、社員が「給料を上げろ!」といくら叫んだって、言うことは聞いてもらえません。

上がったとて、微々たるもの。

それは、「だって、お前の会社じゃないじゃん」だからです。

一般の社員が会社のためを思って改革をしようとしたとて、「それはわかるけどさ……、俺たち(経営者)もつらいんだよ。悪いけど、嫌ならやめてもらうしか」という話になってきます。

日本には約500万の会社があると言われていますが、そのうち99%以上は中小企業。
残りの1%未満の大きな規模を持つ会社が、「大手」などと言われます。

基本的に中小企業というのは、大手の下請け、孫請け的な立ち位置になります。フリーランスも同様ですね。

しかし、肝心の大手企業こそが、税制のスキームによって実はあんまり税金を払っていなかったりとか、さまざまな利権団体などと絡んで、「甘い汁を吸える組織」となっているのが現状です。
(もちろん現場の人は大変なのですが)

経済を「ゲーム」として見ると、その勝ち負けとは、「いかに利権を持つ人に近づけるか」で決するようになっているんですね。

そんな仕組みの中にあるので、経営者にとっても、会社員にとっても、「理想」と「現実」には大きなギャップが生まれやすいのです。



実は昨日、ふいに「動物園」の絵が浮かんできました。

何なんだろうと考えたみたら、今言ったような「会社組織の比喩」でした。

つまり、

・動物・・・社員、契約社員、パート、アルバイトなど
・飼育員・・・経営者(役員)
・観客・・・株主(出資者/つくった人)

という構図です。

ひどい話のようなのですが、リアルなんですよね。

動物の中にも、人気のあるパンダやライオンがいます。
一方で、ふれあいコーナーにいる羊やヤギなどの動物もいます。

これらは、社員ですね。

そうして、がんばって働く社員の面倒を見るのが、「飼育員」や「園長」こと、経営者の面々。

みんなそれぞれ、必死に生きています。

その様子を外から眺めているのが、「会社を持っている人たち(=仕組みをつくった人たち)」なのです。

動物を外から見て、「わーライオンだー」「羊つまんねー」「飼育員なんてよくできるよな」とか、勝手なことを言っているわけです。

私たちは、「飼育員」や「園長」くらいまでならなれるかもしれませんが、「観客」にはなれません。

そもそも会社という仕組みは、国を運営する人たちによってつくられました。日本にある「大手」と呼ばれている会社も、同様なのです。

歴史をたどれば、財閥にルーツを持つ企業グループがその1つ。
また、第二次世界大戦後につくられた、広告代理店などの新しい業態の会社なども、意図的につくられています。

実は、満州の建国に関わった人だとか、スパイ養成機関である陸軍中野学校の出身者だとか、そういう人たちが会社をもらい、トップになりました。

明治時代がそうであったように、日本人ではない人たちや、悪いことをしていた人たちが、経営者となっていったんですね。

最初から、「仕組まれた組織」というわけです。
日本の土地や人を、毒でゆるく染めていく。そのためにつくられてきた会社が、あらゆる領域でトップになっています。

ゆえに、メディア関係には在日の方が多いというのも、ウソではなく現実の話なのです。メディア関係どころか、ほとんどの企業でそうなんじゃないでしょうか。

そして、その仕組みの一番下にいるのが、一般の日本人です。
ゆえに、がんばっても、がんばっても、動物園の外には出られないのです。

たとえば「株価」というものがありますが、めちゃくちゃですよね。
これまで、史上最高の高値だったわけですが、誰がその恩恵を受けたでしょうか。

「日経平均が高い=経済状態がいい」という指標のはずですが、実態は真逆です。

会社って何だろうね。

と言ったとき、「人を閉じ込める仕組みだよ」が答えになります。

私たちは檻の中にいるのです。

独立してフリーになったり、会社を自分で立ち上げたりしても、結局のところ、同じですね。

※なお、実力や血筋的な素養のある人は、既得権益の人たちに誘われやすくなります。そのとき、「悪魔の契約」をするかどうかで、社会で活躍できるかどうかも決まってきます。
突然「時代の寵児」となるような人は、国内外問わず、この契約をした人なのです。


じゃあいったいどうしたら……と思ってしまいますが、簡単です。

自分はこの仕組みの中で、どうしたいのか。
ということだけです。

すべての悩みや恐怖は、他人(=外側)を見るから起きます。

「結果を出して目立ちたい」と思うのも、「経営者となって会社を大きくしたい」と思うのも、「恐怖から生まれる執着」が原因です。

その執着をたどっていくと、家庭の話、魂的な話になってくるわけですが、つまるところ、

自分が「これがいい」という範囲内で商いをすればいいだけの話。
自分が「これがいい」と思える仕事をすればいいだけの話。

これまで社会が宣伝してきたような、「つくられた価値観」にすがらないことが大切です。

あらゆることは「ただの思い込み」なんだと気づくこと。

内としっかりつながること。

その上で、「使えるものは使う」ということ。

「こうしなきゃいけない」というルールは、ありません。

自分がしたいことのために、
会社員として働いていたほうが自由が効く場合もあります。
独立して働いていたほうが気楽な場合もあります。

あくまでも自分本位で選ぶのです。

そもそも、私たちは経済活動(お金になること)を仕事だと洗脳されてきましたが、それは「仕事」の持つ一面に過ぎません。

仕事とは、「すること」から生まれた言葉です。
仕事とは本来、「魂のしたいこと」であり、「生きること」=「仕事」なのです。

つまり宇宙的に見れば、何をしていたって、仕事なのです。

「他の人から見て立派に見える」とか、そういうエネルギーにとらわれているから、どんどんおかしなことになっていきます。

自分の持つものを活かすこと。
それが仕事をする、ということです。
(他の人より秀でる、という意味ではありません。持っているものをちゃんと使う。それだけです)

動物園の例を出しましたが、この動物園の仕組みは、もう崩れています。
「観客」だった人たちは、もういないと言っていいでしょう。

有名な経営者などもまだまだ現役っぽく見えていますが、「いるふり」をしているだけなんじゃないでしょうか。

株価なども「本当はもう終わっている」もので、私たちが「落ち崩れる瞬間」を見るために、残されているものだと言えるでしょう。
(具体的な結末はどうあれ、「株価」というつくられた幻想、大事なものだという設定がなくなっていく、ということです)

いっぺんに終わるとパニック・暴動が起きるので、1つ1つ、おかしな物事が出てきて、「終わっていく様」を見せられる。

今は、そういう時間です。

ですから、動物園という仕組み自体が、これからはもう意味を成さなくなります。

逆に言うと、動物たちも、飼育員たちも、自分の生き方を自分で選ぶ必要がある、ということです。

明治時代にさまざまなことが切り替わったように、これから、さまざなことがまた切り替わっていきます。

そのとき、これまでと同じように、「誰かのつくった設定の中」で生きたいのか? それとも、「自分の思う人生」を生きてみたいのか?

大きな選択があります。

具体的に世の中がどうなっていくのかは、決まっていません。私たち自身が、決めることです。

数限りないパラレル(選択肢/世界線)が待っていることでしょう。

「そうは言っても、お金は大事だよ」。

と思うかもしれませんが、そうした前時代的な観念にとらわれることなく、自分のしたいことに正直でいることが、結果的に、経済的な面でも自由を手にしていくことができます。

手放した人が豊かになれる。そんな時代が、来たのですね。

ワクワクして、日々を過ごしましょう。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました!
それでは、また!

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