『神崎真紀 乗務日誌』ep.04「風街」九十七点。残り三点は、〈風街〉で。
八月の夕方。
真紀が目を覚ましたとき、時計は四時を少し回っていた。
前日の朝に出庫し、長い乗務を終えて帰宅したのは、今朝の九時前だった。シャワーを浴び、陽菜と簡単な朝食をとってから、そのまま横になった。
非番は、休日とは少し違う。
前の乗務でたまった疲れを、次の出番までに身体から抜くための時間だった。
台所へ行くと、冷蔵庫に陽菜の書き置きが貼ってあった。
《図書館に行ってきます。六時には帰ります》
真紀は水を一杯飲み、洗濯機を回した。
夕方、近所のスーパーへ買い物に出た。
制服ではなく、薄手のシャツにジーンズという普段着だった。
野菜と牛乳、卵。それに、陽菜の好きなヨーグルト。
果物売り場には、いちじくが並んでいた。
小ぶりなものを一パック買い、その帰りに〈風街〉へ寄ることにした。
出番の日なら、制服姿で夜の休憩に立ち寄る店だった。
その日は買い物袋を提げ、バッグには洗った保存容器を入れていた。
容器の中には、買ったばかりのいちじくを四つ詰めた。
木の扉を開けると、冷房の風とコーヒーの香りが流れてきた。
「いらっしゃい」
カウンターの中から、大鶴圭介が言った。
「今日は私服なんだ」
「非番だから」
真紀は保存容器をカウンターへ置いた。
「これ、この前の容器」
圭介が蓋を開ける。
「いちじく?」
「買い物に行ったら出てたから。いつものお礼」
「容器だけでよかったのに」
「陽菜の分、いつも持たせてもらってるでしょう」
圭介は一つ手に取り、しばらく眺めた。
「梨花と祐志が喜ぶな」
「玲子さんの分も残してあげてね」
「俺の分は?」
「マスターは味見だけ」
「厳しいな」
圭介は容器を冷蔵庫へ入れた。
「神崎、腹は減ってない?」
「少しだけ」
「新しいのを作ったんだ。食べてみてくれないか」
「容器を返しに来ただけなんだけど」
「少し座っていけよ」
真紀は苦笑して、カウンター席に腰を下ろした。
真紀が〈風街〉へ通うようになったのは、タクシーに乗り始めて間もない頃だった。
夜の休憩場所を探して、偶然この店へ入った。
カウンターの向こうにいた男の顔を見て、真紀は足を止めた。
「……もしかして、大鶴君?」
「え?」
「神崎。神崎真紀」
圭介はしばらく真紀の顔を見つめていた。
「ああ、神崎か。成人式の夜の同窓会以来だな」
「二十二年ぶり」
圭介は、制服姿の真紀を見た。
「今、タクシーに乗ってるんだ」
「うん。最近ね」
「そうか」
圭介はそれ以上何も聞かず、カウンターの椅子を引いた。
「腹、減ってない?」
それだけだった。
圭介は、真紀がなぜタクシーに乗るようになったのかを聞かなかった。
真紀も、圭介がなぜ東京から戻り、父親の店を継いだのかを聞かなかった。
小さな町だから、共通の友人や知人を通して、互いの事情はある程度耳に入っている。
それでも二人は、本人が話さないことを確かめようとはしなかった。
カウンターの一番奥には、先生が座っていた。
フィルムの時代から、雑誌の表紙や広告、写真集で人物を撮り続けてきた写真家だった。
雑誌の部数が落ち、撮影の仕事そのものが減り、多くのカメラマンが現場を離れていくなか、先生は今も第一線に残っている。
かつてはキヤノンのフィルム一眼を仕事に使い、外を歩くときにはライカを持っていた。今はボディもレンズも、SONYのミラーレスに統一している。
先生は月に一度、福岡で行われる撮影のために九州へ来る。
この日の撮影地は、糸島の二見ヶ浦だった。
福岡市内には泊まらず、〈風街〉の向かいにあるシティホテルを常宿にしている。
撮影を終えた夜は〈風街〉で酒を飲み、翌朝、圭介の朝食とコーヒーを口にしてから東京へ帰る。
それが、先生の決めた順番だった。
「こんばんは、先生」
「こんばんは、真紀ちゃん。今日は休み?」
「非番です。今朝まで仕事でした」
「それで、夕方まで寝てた顔なんだな」
「わかります?」
「写真家だからね」
先生の隣の椅子には、黒いカメラバッグが置かれていた。
圭介が、そのバッグへ目をやる。
「先生、それ、新しいボディですか」
「そう。先月替えた」
「もう仕事で使ってるんですか」
「機材は現場で使わないとわからないからな。仕事用は全部これに揃えたよ」
「レンズも?」
「全部。現場でシステムを混ぜると面倒だ」
圭介はカメラバッグに手を触れず、少しだけ身を乗り出した。
「瞳の追従はどうです?」
「かなりいい。動かれても外さない。逆光にも強くなった」
「僕らがフィルムの残りを数えながら、手でピントを合わせてたのが嘘みたいですね」
「お前はシャッターを切るのが遅かった」
「先生がモデルを動かしすぎたんですよ」
先生は笑い、水割りのグラスを持ち上げた。
真紀には、二人の話している言葉の半分もわからなかった。
それでも、圭介が写真を忘れていないことだけはわかった。
圭介がフライパンを振りながら言った。
「先生、今日は糸島だったんでしょう。暑かったんじゃないですか」
「暑かったよ。モデルより先に、照明の若いのがへばってた」
「先生は平気だったんですか」
「俺は慣れてる」
「熱中症に慣れはないですよ」
「真紀ちゃんまで圭介みたいなことを言うな」
圭介が先生のグラスを見た。
「先生、それで終わりにしてくださいね」
「まだ二杯目だぞ」
「先生の二杯は濃いんですよ」
「水割りだ」
「ウイスキーに水を見せただけでしょう」
先生はグラスを傾け、中を確かめた。
「昔は、このくらい一晩寝れば抜けたんだがな」
「先月は朝の撮影に響いたでしょう」
「十分ほど遅れただけだ」
「仕事に響いてるじゃないですか」
「年には勝てんな。肝臓も年々、正直になってきた」
「自覚があるなら、今日はここまでです」
圭介は氷の入った水を、先生の前へ置いた。
「次はこれ」
「師匠に対する扱いが雑になったな」
「先生の身体を心配してるんですよ」
先生は苦笑し、水のグラスを取った。
圭介が耐熱皿を真紀の前へ置いた。
茄子と挽肉の上に、焦げ目のついたチーズが載っている。
「熱いから気をつけて」
「これは?」
「茄子と挽肉のミートドリア。新メニューの候補」
「夕飯前なんだけど」
「少しくらいなら入るだろ」
真紀がスプーンを入れると、チーズの下から湯気が上がった。
少し冷まして、口へ運ぶ。
圭介がすぐに尋ねた。
「どう? うまいか?」
真紀は口を動かしながら、圭介を見た。
「まだ飲み込んでない」
「一口でわかるだろ」
「じゃあ、顔を見て判断して」
「それじゃ意味ないって」
真紀はもう一口食べた。
「おいしい。でも、少し味が濃いかな」
「夜に酒を飲む客向けなんだ」
「私は飲まないけど」
「神崎に酒を出したら、俺が町じゅうから怒られる」
先生が皿をのぞき込んだ。
「俺にも少しくれ」
「先生は、さっき夕飯を食べたでしょう」
「味見だよ」
「神崎と同じことを言いますね」
「私は頼んでないけど」
近くにいた常連が笑った。
その常連が帰り際、圭介へスマートフォンを差し出した。
「マスター、三人で撮ってくれない?」
「いいよ」
圭介はスマートフォンを受け取った。
三人が壁際へ並ぶ。
圭介は画面を見て、すぐに首を振った。
「そこだと窓枠が真ん中に入るな。もう少し右へ寄って」
三人が横へ動く。
「後ろの人、半歩だけ前へ。そう。隣の人は、少しだけ身体を内側に向けて」
圭介は自分も一歩下がり、スマートフォンを横に構えた。
「はい、撮ります」
三人の顔が、いっせいに固くなった。
「そんなに緊張しなくていいよ。履歴書じゃないんだから」
一人が吹き出した。
つられて、三人の表情がほどける。
圭介は、その瞬間にシャッターを切った。
もう一枚だけ撮り、客へスマートフォンを返す。
「すごい。みんな、いい顔してる」
「最近のスマホがすごいんだよ。明るさも色も、ほとんど自動で合わせてくれるから」
先生が画面をのぞき込んだ。
「明るさや色はな」
先生は、画面の中の三人を見た。
「だが、どこまで入れて、何を切るかは機械には決められない。今の顔だって、少し遅ければ消えていた」
「たまたまですよ」
「その一瞬を逃さないのが、写真家だ」
圭介は何も答えず、空いた皿を下げた。
先生も、それ以上は言わなかった。
「それで、何点?」
圭介が真紀の皿を見た。
「八十八点」
「思ったより低いな」
「少し濃いから」
「陽菜なら、もう少し高くつけると思うけど」
「陽菜はマスターの料理に甘いからね」
真紀が食べ終えると、圭介はコーヒーを淹れた。
苦味はあるが、後味は軽い。
出番の日なら、この一杯を飲むと、身体がもう一度仕事へ戻る準備を始める。
その日は非番だったが、真紀はいつもの癖で時計を見た。
「今日は時間、気にしなくていいだろ」
「身体が覚えてるの」
「職業病だな」
真紀が財布を出すと、圭介はコーヒー一杯分だけを告げた。
「料理の分は?」
「試食で金は取れないよ」
「八十八点だったのに?」
「だから、まだ完成してないんだろ」
「便利ね、新メニューの試食って」
真紀はそれ以上言わず、コーヒー代を置いた。
圭介が料理代を受け取らない理由は、わかっている。
圭介も、真紀がわかっていることを知っている。
そのことについて、二人は話さない。
圭介はカウンターの下から、蓋をした容器を取り出した。
「これ、陽菜の分だ」
「もう用意してたの?」
「辛さは抜いてある。明日の朝、温めて食わせてやって」
「陽菜にも点数を聞くんでしょ」
「今度教えてくれ」
「電子レンジでも大丈夫?」
圭介は当然のように言った。
「俺の料理は、電子レンジで温めてもうまいぞ」
「自分で言う?」
「事実だからな」
真紀は容器をバッグへ入れた。
「ありがとう、大鶴君」
「試食だから」
「はいはい」
真紀が帰ろうとすると、圭介が声をかけた。
「神崎、明日出番だったよな」
「うん」
「先生を福岡空港までお願いできるか。七時半に、ここから」
先生が水のグラスを置いた。
「またお願いしてもいいかな、真紀ちゃん」
「もちろんです」
真紀は圭介を見た。
「会社に予約を入れておいて。私を指名してもらえれば、配車してもらえると思うから」
「わかった。あとで電話しておく」
圭介は少しだけ声を落とした。
「先生は、うちにとって大切なお客さんだからさ。神崎なら安心して任せられる」
真紀はうなずいた。
「明日、迎えに来ます」
店を出ると、夕方の熱がまだ道路に残っていた。
向かいのシティホテルのガラスに、〈風街〉の明かりが映っている。
真紀は買い物袋を持ち直し、家へ向かった。
*
翌朝。
電子レンジの音で、陽菜が台所へやって来た。
「何の匂い?」
「マスターの新メニュー」
「食べていいの?」
「陽菜の分だって」
真紀は温めたドリアを、陽菜の前へ置いた。
陽菜が一口食べる。
「どう?」
「お母さんまでマスターみたい」
「点数を聞いてこいって言われてるから」
陽菜はもう一口食べ、少し考えた。
「九十七点」
「高いね。残りの三点は?」
「〈風街〉で、できたてを食べたかった」
「電子レンジでもうまいって、自信満々だったよ」
「うまいよ。でも、できたてなら百点かもしれないでしょう」
真紀は時計を見た。
「マスターに伝えておく」
「三点の理由も、ちゃんと言ってね」
「はいはい」
「今日は何時に帰る?」
「明日の朝」
陽菜は、少しだけ手を止めた。
「わかった」
「夕飯は冷蔵庫に入れてあるから。夜はちゃんと鍵をかけてね」
「わかってます」
真紀は帽子を手に取った。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。運転、気をつけてね」
「陽菜もね」
「家にいるだけだけど」
「家にいるときもです」
営業所へ着くと、森下が予約票を差し出した。
「〈風街〉から福岡空港。大鶴さんから、神崎指名で入ってる」
「ありがとうございます」
「朝一番からロングだな」
「はい」
真紀は点呼とアルコールチェックを済ませた。
車両を一周し、タイヤと灯火類を確認する。
午前七時十分。
五一七号車で営業所を出た。
*
〈風街〉には、朝から明かりがついていた。
向かいのシティホテルから、先生がキャリーケースを引いて横断歩道を渡ってくる。
店へ入ると、先生の前にはトーストと卵料理、それにコーヒーが置かれていた。
「おはようございます」
「おはよう、真紀ちゃん」
「具合、大丈夫ですか」
「圭介に水ばかり飲まされたから、よく眠れたよ」
圭介がコーヒーを淹れながら言った。
「止めなかったら、まだ飲んでたでしょう」
「もう一杯だけな」
「その一杯が多いんですよ」
先生はトーストを食べた。
「やっぱり圭介の朝飯はうまいな。向かいのホテルは相変わらずまずい」
圭介は苦笑した。
「先生、それを外で言わないでくださいよ」
「ここは店の中だ」
「僕、料理長もマネージャーも知ってるんですから」
「じゃあ、うまくしろって言っておけ」
「僕が言えるわけないでしょう」
真紀が尋ねた。
「それでも毎月、同じホテルなんですね」
「〈風街〉に近いからな。寝るだけなら十分だ」
「朝食は?」
「付けてない。圭介の飯を食う」
圭介が先生のカップへコーヒーを注いだ。
先生は一口飲み、ゆっくり息をついた。
「やっぱり、お前の淹れるコーヒーはうまいな」
「昨日も飲んだでしょう」
「朝の一杯は別だ」
先生はカップを眺めた。
「このコーヒーを飲ませてくれるなら、お前が写真をやめたことも否定できないな」
圭介は皿を下げながら答えた。
「否定される覚えもないですけどね」
「そうだったな」
先生が笑った。
圭介も、わずかに笑った。
それ以上、写真の話はしなかった。
圭介が真紀を見る。
「神崎。陽菜は何点だった?」
「九十七点」
「三点は?」
「〈風街〉で、できたてを食べたかったから」
「電子レンジで九十七なら合格だな」
「自分に甘いね」
「陽菜の採点は正確だから」
先生が席を立った。
「そろそろ行こうか」
圭介がキャリーケースを車まで運ぶ。
真紀はトランクを開けた。
「神崎、先生をよろしく」
「はい」
「気をつけてな」
「行ってきます」
先生を後部座席へ案内し、真紀は運転席へ座った。
「福岡空港、国内線でよろしいですか」
「お願いします」
車は、朝の〈風街〉を離れた。
*
高速道路へ入ると、先生は座席へ深く身体を預けた。
「真紀ちゃんの車は安心できるな」
「ありがとうございます」
「運転も丁寧だし、余計なことを話さない。圭介が真紀ちゃんに頼む理由がわかるよ」
「マスターは、大切なお客様だから、私に任せれば安心だと言っていました」
「圭介がそこまで言うなら、よほど信用してるんだな」
しばらく車内が静かになった。
先生は窓の外を眺めていた。
「圭介は昔から、人を見る目があった」
「写真のですか」
「人のだよ。写真の腕もあったけどな」
「そうなんですね」
「惜しいとは思う。でも、戻ってこいとは言わない」
「どうしてですか」
「戻りたい人間なら、自分で戻るからな」
先生は座席へ頭を預けた。
「写真を続けることだけが、正しいわけじゃない」
真紀は前を向いたまま答えた。
「今は、いいマスターです」
「料理の自信だけは一流だな」
「電子レンジで温めてもうまいそうです」
「それは言いすぎだ」
二人は少し笑った。
やがて先生は目を閉じた。
真紀はラジオの音量を下げ、一定の速度で福岡空港へ向かった。
*
国内線出発口へ着くと、真紀は車を寄せた。
トランクからキャリーケースを下ろす。
「来月も頼むよ、真紀ちゃん」
「お待ちしています」
「陽菜にもよろしく」
「伝えておきます」
先生はキャリーケースを引き、自動ドアの向こうへ入っていった。
真紀が運転席へ戻ると、業務用端末が鳴った。
『五一七号車、応答願います』
「五一七号車です」
森下だった。
『高瀬社長の迎えが、九時四十分着で入ってる。神崎、今は福岡空港だな』
「はい。国内線です」
『ちょうど時間が合う。そのまま迎えを頼む』
高瀬は地元企業の社長で、仕事の移動に真紀の会社をよく利用している。
空港への送り迎えも、いつもの依頼だった。
「承知しました」
『便名と到着口を端末へ送る。時間まで休憩を入れておいて』
「了解しました」
通話が切れると、予約情報が端末へ表示された。
真紀は空港近くの待機場所へ車を移し、業務端末に休憩を入力した。
シートへ身体を預ける。
フロントガラスの向こうには、青い夏空が広がっていた。
滑走路の向こうから、白い旅客機が浮かび上がった。
陽射しを受けた機体が、青空の中で眩しく光る。
翼をわずかに傾けながら高度を上げ、薄い雲の向こうへ消えていった。
しばらくすると、入れ替わるように別の飛行機が降りてきた。
大きな機体が夏空をゆっくりと横切り、熱で揺れる滑走路へ近づいていく。
真紀はエアコンの風を少し弱めた。
スマートフォンを見ると、陽菜からメッセージが届いていた。
《残りも食べていい?》
真紀は返信した。
《どうぞ》
続けて、圭介へ送る。
《先生を福岡空港までお送りしました》
すぐに返事が来た。
《了解。ありがとう》
真紀は画面を閉じた。
*
到着口から、高瀬社長が小型のキャリーケースを引いて出てきた。
真紀を見つけると、軽く手を上げた。
「神崎さん、今日は迎えだったの」
「お帰りなさい、高瀬様。お荷物をお預かりします」
「よろしく。飛行機が少し遅れてね」
「大丈夫です。私も、先ほど空港までのお客様をお送りしたところでした」
「それなら、ちょうどよかったね」
真紀はキャリーケースをトランクへ載せた。
高瀬が後部座席へ乗る。
「今日は会社まででよろしいですか」
「いや、自宅へ頼むよ。午後から会社に出る」
「承知しました」
真紀はメーターを入れ、車を発進させた。
高速道路へ入ってしばらくすると、高瀬は目を閉じた。
真紀はラジオの音量を下げる。
東京へ帰る先生を乗せてきた道を、今度は東京から戻った高瀬を乗せて走っている。
どちらも後部座席で眠っていた。
人を送り、人を迎える。
真紀は前方との距離を保ち、来た道を町へ戻った。
高瀬を自宅へ送り届け、営業所へ終了を報告する。
森下が応答した。
『高瀬社長、終了だな』
「はい。ご自宅までお送りしました」
『了解。朝から空港往復、お疲れ。営業所へ戻って休憩に入って』
「了解しました」
〈風街〉のある通りへ入ると、信号が赤になった。
真紀は車を停めた。
向かいのホテルの玄関。
〈風街〉の木の扉。
昼の店内では、玲子が客へ料理を運び、カウンターの中で圭介がコーヒーを淹れている。
圭介は、客の顔を見ていた。
昨夜、三人の表情がほどける瞬間を待っていたのと同じ目だった。
写真をやめても、人を見ることまでやめたわけではないのかもしれない。
胸ポケットで、スマートフォンが震えた。
圭介からだった。
《今度は陽菜も連れてきてくれ。作りたてを食わせる》
真紀は画面を閉じた。
返事は、営業所へ戻ってからでいい。
信号が青に変わった。
真紀は前を向き、静かにアクセルを踏んだ。
ep.04 End

