ビザンツ化する現代世界(新しい中世ではない)後編・近代社会の変質
後編(最終回)
現代における近代社会の変質
問題意識(現代世界のビザンツ化)の再確認
今回は、これまで(前編・中編)を受けて、「ビザンツで起こったことの現代版」といえる現象について、おもに述べていきます。
ビザンツ帝国という「生き残ったローマ帝国」で起こったことは、現代世界の先進国と似たところがおおいにあります。そこで、ビザンツのあり方は、現代世界の今後を予想するうえで参考になると、私は考えます。
現代の先進国もビザンツ帝国も、世界の中心として繁栄した文明が長い時間をかけて到達した社会です。ビザンツは、古代ギリシアの文明を受け継いだローマ帝国の末裔です。そして、現代の先進国は、ルネサンス以来の近代文明が長い時間をかけて到達した社会です。
ビザンツでは、皇帝による専制(独裁)化がすすみました。最盛期のローマ帝国は、ギリシア的な民主政の伝統を受け継いだところがあったのですが、その伝統は失われていきました。このことは、現代世界における民主主義の動揺・後退と重なります。
また、ビザンツでは、合理的な世界観は後退し、非現実的な観念や虚構を信じる傾向が強くなっていきました。ビザンツは、キリスト教(信仰を持たない立場からみれば虚構)が絶大な影響力を持つ社会でした。これは、現代世界における「ポスト真実」の傾向と重なるはずです。
そして、ビザンツでは、従来からの市民のコミュニティが衰退して個人主義化がすすみましたが、そのようなことは、まさに現代社会でも起こったわけです。
また、ビザンツの首都コンスタンティノープルでは、防御のための大規模な「壁」が築かれ、長く維持されました。騎馬遊牧民やイスラムなどの周辺の新興勢力におびやかされるようになったためです。周辺の諸国に対し「壁」をつくろうとする動きは、現代のアメリカでもみられます。
さらに、文化や技術の停滞ということがあります。ビザンツでは、さまざまな創造・創作が過去の遺産の焼き直しや注釈ばかりになっていきましたが、こうした傾向も現代と重なるところがあるのではないか……
現代の世界のあり方を「新しい中世」と呼ぶ人もいます。しかし、中世というと、一般には西欧の中世(西ローマ帝国崩壊後の世界)を指すはずですが、それは高度の文明社会であるローマ帝国がリセットされたあとの、新興の若い社会です。
それよりも、長い歴史や伝統が続いた末の到達点であるビザンツのほうが、数百年にわたる近代文明の到達点である現代の先進国に近いと、私は考えます。
以上のような意味で、「現代世界はビザンツ化している」というわけです。それは、これまでの近代社会で重要だった、民主主義や科学、市民のコミュニティ、革新や創造といった要素が後退するという意味での「近代社会の変質」です。
「現代世界のビザンツ化」「〈新しい中世〉ではなく〈新しいビザンツ〉」というのは、著名なビザンツ史家の井上浩一氏が述べているのですが(『ビザンツ 文明の継承と変容』)、この記事は、この井上氏の視点を一般向けに、真正面からより大風呂敷に論じたものです。

のちに西ローマは崩壊、東ローマ(ビザンツ)が残る

ビザンツの領土はかなり縮小
(地図は拙著『一気に流れがわかる世界史』PHP文庫より)
8.コミュニティの衰退と個人主義化
現代におけるコミュニティの衰退
「現代世界のビザンツ化」のうち、近年とくに明白な現象としては「コミュニティの衰退と個人主義化」があるのではないでしょうか。人びとが従来のコミュニティのつながりを失って、ばらばらの個人になっていく――これは現代人の多くが感じているはずです。そして、これはビザンツで起こったこととたしかに重なるのです。
現代社会における「コミュニティの衰退」についての古典的な研究に、政治学者ロバート・パットナムの『孤独なボウリング 米国コミュニティの崩壊と再生』(柴内康文訳、柏書房、2006年、原著2000年)があります。
パットナムは、1970年代以降のアメリカで、市民が自発的に参加するコミュニティの活動が縮小していることを、さまざまな調査や統計にもとづいて論じています。選挙活動への参加の減少 、PTAの衰退 、教会出席の減少 、労働組合への所属率低下 、専門職(医師や弁護士など)の組織における会員率の減少 ……
たとえば、教会に通う人は1950年代末から1990年代末にかけて約3分の1減少しました。 労働組合への所属率は1950年代をピークとして、1990年代までほぼ一貫して低下し続けました。
しかし、これらの1970年代以降に衰退した古典的なコミュニティは、1900年代の最初の50~60年間年には成長・拡大を続けていたのです。つまり、アメリカの最盛期とコミュニティ活動の最盛期は重なっているということです。
そもそも、市民のコミュティ活動が盛んなのは、建国以来のアメリカの伝統でした。
1830年代のアメリカを視察し、『アメリカにおけるデモクラシーについて』という古典を書いたフランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィル(1805~1859)は、アメリカの民主主義の活力を、団体・結社の盛んな活動が支えていると捉えました。トクヴィルは「アソシエーション(結社)の力は、アメリカにおいてその最高の域に達した」と述べています。
また、1910~1920年代にオランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガ(1872~1945)も、アメリカ旅行をふまえた著作で、同じようにアメリカにおける結社の重要性を論じています(トクヴィルやホイジンガの主張は、綾部恒雄監修・編『クラブが創った国アメリカ』綾部による序章、山川出版社、2005年などによる)。
現代は「孤独なボウリング」の時代
そして、パットナムの『孤独なボウリング』では、「リーグボウリングの衰退」というミクロな現象も取り上げ、それが書名(原題『ボウリング アローン』)になっています。
リーグボウリングとは、地域のボウリング場に通って、チーム対抗戦を一定期間行うことで、アメリカでは一般的なボウリングの楽しみ方です。しかし、パットナムが示すところでは《一九八〇年から一九九三年の間に、米国内のボウラーの総数は一〇%増加したが、一方でリーグボウリングは四〇%減少した》というのです。
現代のアメリカ人は、コミュニティの仲間とボウリングを楽しむよりも、一人でプレイするなどの「孤独なボウリング」を好むようになったということです。
パットナムの原著は2000年の出版ですが、その後の現代社会で「孤独なボウリング」の傾向がさらに深まっていることは、明らかではないでしょうか? パットナムは現代人の多くが感じていることを、統計を用いた研究で示したのです。
「インターネットで新しい人間のつながりが生まれている」という主張もあります。しかしインターネットによるコミュニケーションは、それだけでは古典的なコミュニティの代替にはならないのではないでしょうか。少なくとも、十分な代わりにはならないはずです。
パットナムもインターネット(的な世界)について分析していますが、《コンピュータ・コミュニケーションは、情報の共有、意見の収集、解決策の議論にはよい》が、《合意を達成することが難しく、互いに連帯感を感じることが少ない》と述べています。 この見方析は今も通用するはずです。
ビザンツの「孤独なボウリング」と現代アメリカ
600年代の危機(外敵の攻撃などによるもの、前編・中編参照)の時代を経たあとのビザンツ人の生活も「孤独なボウリング」でした。
内風呂が一般化して、公共浴場で世間話をすることは皆無になりました。「青」や「緑」のデーモス(市民のコミュニティ)の活動で、同じ戦車競走(コンスタンティノープルなどで盛んだったイベント、前編参照)のチームを応援して皆で盛り上がることもなくなりました。連帯を育む機会は減ってしまったのです。
そして、かつての公共浴場や競走場には、高官などのエリートもやってきたものです。競走場には皇帝も姿をあらわしました。公共的な場所で互いに接点を持つことで、特権階級と一般市民のあいだでも一定の理解や連帯感が生まれたはずです。しかし、そのような場は600年代の危機の時代を境に失われていったのです(以上の「危機」後の変化は、井上浩一『ビザンツ 文明の継承と変容』京都大学学術出版会、2009年による)。
現代のアメリカでも、似たことが起こりました。パットナムによれば《伝統的な米国市民社会においては、何百万もの普通の男女が互いにやりとりをし合い、特権的立場の人々とも並んでグループに参加》していたのですが、近年はそのようなコミュニティは衰退しています。 特権的な指導者と多数派の人たちが、同志として対話する機会は減ってしまいました。
ただし、アメリカの市民的な団体・結社は1970年代以後、増加傾向ではあります。 そこでは環境保護・福祉の増進・マイノリティの権利拡大などの理想や正義を提唱するものが目立っています。
しかし、そのような現代的な結社は、少数のリーダーと専門家がすべてを仕切る傾向が強いのです。その支持者は会費や寄付で資金を提供しても、会合や活動に参加することはめったにありません。「お金を出して、あとはリーダーにおまかせ」です。
パットナムの研究の流れをくむ、ある研究者はこう述べています――《この新しい市民社会は、専門職と管理職、それに業界エリートによって支配されている》(シーダー・スコッチポル「アメリカ合衆国――会員組織から提唱集団へ」ロバート・パットナム編著『流動化する民主主義 先進八か国におけるソーシャル・キャピタル』猪口孝訳、ミネルヴァ書房、2013年、原著2002年)。
「それが市民社会の新しいかたちなのだから、それでいい」という見解もあるでしょうが、とにかくそれは従来の古典的なコミュニティとは異質なものです。
パットナムは、さまざまなコミュニティや団体などの人びとのつながりや、そこから生じる「互酬性(お互いさま)」や「信頼」の世界を、「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」と呼びました。
彼の研究は、「現代のアメリカで、全体的な傾向として社会関係資本が大きく失われつつある」ことを示したものです。そして、それが社会の安定や民主主義にマイナスになることをパットナムは懸念しています。
パットナム以後、社会関係資本についての研究は盛んになりました。これまでの近代社会において、これまで重要で正統とされてきたものが明らかに壊れてきたという認識が、多くの人に共有されているのです。
なお、この小論では「これまで正統で重要とされてきた価値・権威の影響力が衰えていくこと」を「古典の衰退」と呼んでいます(これについては前編で述べました)。そして、現代の世界では「近代における古典の衰退」が起こっていると私は考えています。それは近代の社会・文明を構成する重要な要素の変化ということであり、「近代社会の変質・変容」といってもいいでしょう。
ここで述べたコミュニティの衰退は、そのような近代における「古典の衰退」「変質」の一部です。
9.民主主義と合理的世界観の後退
現代世界における民主主義の動揺・後退
現代における「古典の衰退」「近代社会の変質」のおもな事例は、ほかにもいくつかあります。
とくに「民主主義の後退・動揺」については、近年は多く論じられています。
ソ連の社会主義体制が崩壊した直後の1990年代には、「民主主義は勝利した」と言われたものです。つまり、「20世紀に台頭したナチズムや社会主義のような、民主主義に挑戦する大きな脅威は敗れ去り、民主主義と自由主義は最終的勝利をおさめた」という見方が有力でした。民主主義と自由主義(まとめて「リベラルな民主主義」)は、欧米の近代社会で「正統」とされた政治体制でした。
ところが21世紀に入った頃から、風向きがあやしくなりました。まず、中国のことがあります。共産党が支配する独裁国家・中国がおおいに経済発展して、2010年代にはGDP(経済規模)で日本を抜いてアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となりました。
そして、かつては「中国のような独裁国家も、経済発展にともなって民主化がすすむ」という見方がかなり有力でしたが、ご存じのように、強権的な独裁体制はかえって強化されて2020年代の現在に至っています。
中国だけではありません。たとえば2010年代後半のレポートで、有名な民主主義の擁護団体(フリーダムハウス)は、「世界の国ぐにで民主制を採用する割合が、過去20数年のうち(つまり冷戦終結以後)、現在は最低水準にある」と指摘しています(ジェニファー・ウェルシュ『歴史の逆襲』秋山勝訳、朝日新聞出版、2017年、原著2016年など)。
こうしたレポートはこれからも(多少のブレはあっても)くりかえされるでしょう。
そして、2010年代後半には、アメリカでも古典的な民主主義の衰退・動揺を示す劇的なことが起こりました。2016年のトランプ政権(第1次)の成立と、それ以降の動きです。
この動きのなかで、トランプ(あるいはトランプ的なもの)を支持する者にとっては、それを批判・攻撃することこそが「反民主的」ということでしょうが、従来からの「正統」の側の人びとは、トランプのやり方を民主主義の破壊だと非難しました。敵を叩くためにはフェイクニュースなどの不正な手段も辞さない、報道の自由をおびやかす、都合の悪い選挙結果を否定する等々――それらをトランプ一派は臆面もなく行ったと言うのです。
私も「こうした批判は基本的に当たっている」という立場です。第2次政権におけるトランプは、権力者を縛る「法の支配」を解体し、独裁的な権力を得ることを志向しているようにみえます(2025年現在)。
そして、トランプ個人が舞台から消えたとしても、トランプ的なものはアメリカの政治で力を持ち続けるのではないか、とも思います。
そして、何より衝撃的だったのは、これがほかでもない、アメリカという「民主主義の総本山」で起こっていることです。
たしかに現代において、古典的な民主主義は世界的に後退の兆しをみせています。少なくとも深刻な動揺のなかにあります。
ポスト真実・合理的世界観の後退
そして、現代世界において「古典の衰退・動揺」を示す、もうひとつの顕著な現象に「ポスト真実(ポスト・トゥルース)」の台頭があります。
ポスト真実とは、「合理的・現実的に世界をみることに背を向け、自分の望むこと、思い描く観念にもとづいて世界をみる傾向」のことです。「合理的世界観の後退」といってもいいでしょう。
ご存じのように、フェイクニュースやウソがインターネットで世界中に拡散して、影響力を持つことが増えました。
人びとがフィルター・バブル(検索傾向をふまえた広告やコンテンツが提示される検索エンジンの機能)に閉じ込められ、自分の志向する観念が強化される。人びとはますますばらばらになる。観念を形成する素材はフェイクを含むことも多く、その場合は事実と虚構の区別があいまいになる恐れがある。
このように「個人主義(ばらばらの個人)」と「ポスト真実」は、深い関係があります。
現代の人びとはこれまで正統とされてきたマスコミ、科学者、専門家などのいうことを以前ほどは信じなくなりました。そして自分にとっての「もう一つの真実」を求める傾向が強くなっている。これはまさに現代における「古典(それまで正統とされてきた価値・権威など)の衰退」です。
インターネット以前のメディアは、専門家や知識人などの権威によるチェックを通過した情報でおもに成り立っていました。しかし、そんな「門番」のいないメディアが発達したことで、従来の権威の影響力は明らかに後退しました。
後退した権威のなかには、科学の成果や民主主義のような、近代文明の重要な要素も含まれます。「ポスト真実」は「民主主義の後退」とも関係があるわけです。そして、「個人主義(ばらばらの個人)」も、そこに関わっています。これらのことは、互いにつながっているのです。
もちろん、既存の権威は絶対に信頼できるわけではありません。ときにはひどいまちがいも犯します。しかし、権威を疑い過ぎるあまり、科学をはじめとする、さまざまな文明の成果に背を向けてしまうこともあるわけです。
世の中にはインターネットで「もう一つの真実」を追求した結果、「地球はほんとうは平らで静止している」という「地球平面説」の信者になる人もいるのです。
そして、「地球平面説」よりもはるかに影響力のあるさまざまなあやしい「もう一つの真実」が、今の世界にはあふれています。
10.ビザンツにおける「ポスト真実」
古代の「ポスト真実」としてのキリスト教
そして、ビザンツで圧倒的権威だったキリスト教は、古代ローマにおける「ポスト真実」あるいは「もう一つの真実」だったのではないでしょうか。
キリスト教は古代ギリシアで生まれ、ローマ帝国に受け継がれた合理的な学問や科学を、強固に否定するものでした。前に(中編で)述べた、500年代におけるユスティニアヌス1世の「異教徒による教育の禁止令」のようなきびしい学問弾圧は、高度の一神教ならではのものです。キリスト教万能の社会で、科学研究は衰えてしまいました。
キリスト教以前のギリシアやローマの伝統的な多神教は、科学と対立することはあっても、もっとゆるやかでした。これに対し、圧倒的権威だった古代・中世のキリスト教は、はるかに原理主義的だったのです。それは近代社会の常識に適応した現代のカトリックやプロテスタントの主流とは、大きくちがいます。
そして、最盛期のローマ帝国の時代までは、ギリシアの学問・科学は少なくとも知識人などのエリートのあいだではかなり有力でした。
たとえば、ローマ帝国最盛期の「五賢帝」の一人で、哲人としても知られるマルクス・アウレリウス帝(在位161~180)は、当時のアテネにあった有力な哲学の講座に補助金をあたえました。プラトン学派、逍遥学派(アリストテレス学派)、ストア学派、エピクロス学派の講座に対してです。
これらの学派では、プラトンやアリストテレスの学派といった観念論(物質を超えた原理を想定する理論)も有力ではありました。しかし、その観念論は、さまざまな現象をふまえ理詰めで世界を説明しようとするものでした。その意味で「神がかり」とは異質なものでした。
そして、この皇帝の補助金の対象にエピクロス学派という、原子論者の学派が含まれていることも重要です。
原子論は「原子や真空の存在を前提として自然現象を説明する理論」です。その原理は近代科学の根幹をなしています。そして原子論は、神を否定する唯物論的な世界観とも深くむすびついています。原子論によって、神をもちださなくても森羅万象が合理的に説明できるからです。
原子論の元祖は、紀元前400年頃のギリシアの哲学者デモクリトスです。古代最大の科学者といわれるアルキメデス(前200年代)は、原子論に近い立場でした。原子論の歴史を研究した科学史家・板倉聖宣氏によれば、アルキメデスの浮力の法則は「〈重さの不滅性〉を前提とした原子論的なものであった」といいます(原子論については、板倉『原子論の歴史 誕生・勝利・追放』仮説社、2004年による)。
そして、アルキメデスと同時代、前200年代のギリシア人の哲学者エピクロスは、原子論に基づく「エピクロス学派」といわれる哲学の流れを生み出しました。そして帝政ローマ時代(前1世紀~)には、エピクロス学派(原子論者)は、主流とはいえないまでも、皇帝も公認する有力な学派のひとつだったのです。
しかし、こうしたギリシアの学問・科学は、キリスト教が圧倒的になったビザンツでは、弾圧を受けました。キリスト教が国教化する前夜の時代(200~300年代)、ギリシアの学問の信奉者たちにとって、キリスト教の勝利は、まさに不合理な「もう一つの真実」のまん延でした。とくに、神を否定する立場の原子論者にとっては、絶望的な状況だったでしょう。板倉氏によれば「二五〇年代後半以降、原子論は急速に衰えた」といいます(板倉前掲書)。
古代原子論者の悲痛なメッセージ
300年代のアナトリア(現在のトルコにあたる、のちのビザンツの中核地域)で、抑圧を受けていた古代原子論(エピクロス学派)の思想を石に刻んで残そうとしたケースがありました(以下、板倉前掲書による)。
カッパドキアという都市にあった柱廊に「オイノアンダのディオゲネス」という人物が刻んだ言葉で、1800年代に発見されたものです。その前文にはこうあります。
《ほとんどの人々は悪疫にかかったかのごとく万物についての誤った考えに一様に蝕まれているので、わたしはこの柱廊を用いて、救済の言葉を公表することに決めた》
ここで悪疫のような「誤った考え」とは、キリスト教のことです。そして、柱廊にはギリシア語でつぎのメッセージが大きく刻まれていたのです。
「神は恐るるに足らず」
「死は恐るるに足らず」
「人は苦しみに耐えうる」
「幸福に達しうる」
石に刻まれたこれらの言葉には、悲壮感が漂っています。それまで有力だった合理的な世界観や思考が衰退してしまったことへの怒りや悲しみ。ひとつの時代が終わろうとしているという認識がそこにはあります。
そして、この言葉は、現代のポスト真実を憂慮する知識人の主張とも重なるのではないでしょうか。それらの知識人も古代末期(一般に西暦200年代以降の数百年間を指す)の原子論者も、自分たちが信頼してきた「古典」といえる合理的な世界観が衰退していくのを嘆いているのです。
ただし、現代のポスト真実は、300年代のローマ帝国におけるキリスト教ほどの優勢にあるわけではありません。まだまだ「正統性」を得ていないところがあります。統一性のある巨大な勢力になっているわけでもありません。
しかし、今の状況をみて「このままどうなってしまうのか?」と不安に思うのは、私だけではないはずです。
今に始まったことではない
「ポスト真実」の台頭を憂慮する知識人のほんの一例ですが、アメリカの文芸評論家ミチコ・カクタニは、自著(『真実の終わり』岡崎玲子訳、集英社、2019年)で古典的著作のつぎの言葉を引きあいに出し、それが今の状況と重なる「身の毛のよだつような鏡」だと述べています。
カクタニが引用するのは、ファシズム体制などを論じた思想家ハンナ・アーレント(1906~1975)の『全体主義の起源』(原著1951年)からの一節です。
《全体主義的統治の理想的な臣民は筋金入りのナチでも筋金入りの共産主義者でもなく、事実と虚構の区別をも真と偽の区別をももはや見失ってしまった人々なのだ》
アーレントのこの本はナチス・ドイツやソ連のスターリンによる独裁体制(これらを指す「全体主義」という言葉がある)を分析した大著です。つまり「ポスト真実」的な現象は、ナチス・ドイツやスターリンの時代(20世紀半ば)にも、すでに強烈なかたちで発生していたということです。
これらの全体主義の体制では、現実を歪めたプロパガンダが積極的に行われました。その意味で、ポスト真実は、決して今に始まったことではありません。
アメリカの「ポスト真実」的な現象を、建国期以来の数世紀にわたって追いかけた、ガート・アンダーセン『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ五〇〇年史(上・下)』(山田美明・山田文訳、東洋経済新報社、2019年、原著2017年)という本があります。
同書でアンダーセンは「建国の頃からアメリカはずっと幻想が力を持つファンタジーランドといえる国だった」と述べています。
アンダーセンによれば、アメリカが「ファンタジーランド」であるのは、ピューリタン(熱烈なプロテスタントの一派)の信仰や民主主義などの強い理念に基づいてつくられた国家としては必然でした。「理念」と「幻想」は兄弟のようなものです。
しかし、かつてのアメリカでは幻想が圧倒的な力を持つことはなく、合理主義の優勢のもとでそれなりのバランスをとってきました。しかし、「近年はそれが崩れてきた」と、アンダーセンはこのように述べています。
《アメリカでは長らく、思考と魔術的思考、理性と希望、現実とフィクション、正気と狂気が動的にバランスを保ってきたが、一九六〇年代および七〇年代以降、そのバランスが永久に崩れてしまった。そしてインターネットが現れるや、出口の見えないトンネルを猛烈なスピードで突っ走っていった》
理性と幻想の「バランス」が崩れてきたのは、おおむね1970年代以降――これは『孤独なボウリング』のパットナムが「1970年頃から古典的なコミュニティの衰退が始まった」とするのと一致します。
1970年代は、たしかにアメリカ社会の大きな転換点だったのです。そこから「古典の衰退」という「ビザンツ化」が始まったのです。
そして、20世紀以降の現代世界をけん引してきた国家における変化は、世界史的な事件です。アメリカの変化は世界に影響を及ぼし、アメリカ的なことは、程度や中身のちがいはあれ、ほかの国でも起こりました。「コミュニティの衰退」「民主主義の後退」「ポスト真実」のどれについても、それはいえるはずです。
11.創造と革新の衰え
ローマ帝国末期における技術革新の停滞
「ビザンツ化」の一側面として、ほかに「創造と革新の衰え」や、「国際社会における新興勢力の台頭」といったこともあります。ここでは「創造の活気の衰え」について述べます。「新興国の台頭」は、国家間の力関係の変化であり、外部の状況が大きく関わります。ここでは、社会の内部的な変化のほうを問題にしましょう。
前に(前編で)「ビザンツでは創造の活気が衰え、革新よりも細かな改良や応用が中心になった」と述べました。そしてそれは、ローマ法のような伝統や先例にこだわる文化や、建築で長いあいだスケールや意匠に根本的な変化がなかったことなどにあらわれていると。
創造や革新が止まると、文化は緻密さや洗練を深める一方で、先例や形式を重視するようになるものです。ただ、文化的な領域で「何が創造的か」は、感覚や主観に左右される余地が大きいです(美術などビザンツ文化の創造性を評価する人たちもいる)。
そこで、文化の創造性については、多くの人に対し説得的な議論をするのが、かなりむずかしいでしょう。それよりも、技術革新という創造のほうがまだある程度は客観的に論じやすいので、こちらに話を絞ることにします。
ビザンツの「創造性の衰え」には、技術革新の停滞ということもありました。それはローマ帝国末期からの停滞を引き継いだものでした。
ローマ帝国末期における技術革新の停滞は、技術史の世界ではよく知られたことです。たとえば技術史家のH・ホジッズは、古代の技術史を大きくみわたした著作で「ローマ支配下の古代世界は、技術の分野では一種の頂点に達していた」と述べています。「頂点に達していた」というのは、そこで進歩が止まったということです。
ホッジズによれば、ローマ帝国の技術者は当時の使用可能な装備を活用して、できるかぎりのことを向上させました。それ以上進歩させるにはもっと大規模で複雑な研究が必要でしたが、ローマ人がそれに取り組むことはありませんでした。
そして、その結果、200~300年代のローマ帝国では《技術的に新しいものはほとんど何もうまれなかった。新しい原料は発見されず、新しい工程も発明されなかった》というのです(H・ホッジズ『技術の誕生』平田寛訳、平凡社、1975年、原著1970年)。
たしかに、最盛期のローマ人が築いた巨大な建築やインフラは空前のもので、これは技術進歩の結果です。そしてローマの技術は、おもに古代ギリシアで発達した技術を受け継いで大規模化したものでした。
たとえば、帝政前期までにローマでは巨大な水道システムが整備されましたが、すでに古代ギリシアでもより小規模ではあるが高度の技術を用いた水道はつくられていました。たとえば紀元前500年代後半には、エーゲ海のサモス島で直径2.5メートル、長さ1100メートルの水道トンネルが建設されています(J・G・ランデルズ『古代のエンジニアリング』久納孝彦監訳。宮城孝仁訳、地人書館、1995年、原著1978年)。
ここで注意してほしいのは、古代ギリシアやローマ帝国の前期が、技術革新の時代だったということです。
私たちは一般に「近代以前には技術の進歩はきわめてゆっくりだった」というイメージを抱いています。たしかに前近代の技術革新は、近代と比べればはるかにゆるやかでした。そして、明らかに停滞していた時期もありました(ビザンツの時代はそうです)。しかし、古代ギリシアやローマ帝国では、技術革新が比較的盛んな時期もあったのです。このことは確認しておく必要があります。しかし、ローマ帝国の末期には技術革新は衰え、停滞がビザンツでも続いたのです。
現代における技術革新の停滞?
では、現代や未来の世界で、「創造の活気の低下」「革新から細かい改良・応用へ」という「ビザンツ化」はあるのでしょうか? つまり、これまでの近代社会の特徴だった「進歩」が、これからどうなっていくかということです。非常に大きな問題ですが、ざっと述べておきます。
美術・音楽・文学などのさまざまな表現で、20世紀末以降「新しいものが生まれにくくなっている」ということは、専門家やマニアのあいだでもたまに言われます。ただ、先ほど述べたように、文化的な領域で「何が新しいか」は、感覚的・主観的なところがあります。そこで、現代における「創造の活気の低下」についても、技術革新のことに話を絞ることにします。
「技術革新が今後どうなっていくか」については、識者のあいだではっきりと対立があります。この問題を論じる識者のうちの多数派は、「技術革新は今後さらに加速する」と言っています。そして驚異の未来技術や、その影響などについて語るのです。
しかし一方で、技術革新について「この数十年間でペースダウンしている」と指摘する比較的少数の論者もいます。
たとえば経済学者のタイラー・コーエンは「アメリカ人の暮らしは、インターネットを別にすれば、1950年代以降たいして変わっていない」と述べています。
自動車・冷蔵庫・電気照明といった現代的な暮らしの基本的な道具は、1950年代にすでにありました。その後数十年で《生活は便利になったし、身の回りのモノの種類も増えたが、変化のペースは祖父母や曽祖父母の世代に比べて緩やかになった》とコーエンは言います。
またコーエンは、中世末期から現代までのイノベーションを集計してグラフ化した研究(ヒューブナーという在野の研究者による)を引用し、《今日の世界は一九世紀の世界に比べてイノベーションの発生率が低い》ということも指摘しています (『大停滞』池村千秋訳、NTT出版、2011年、原著2011年)。
そして経済学者のロバート・J・ゴードンは、アメリカにおける技術革新の停滞と、今後の経済成長の低下の可能性を、コーエンよりもさらに詳しく大著で論じています(『アメリカ経済 成長の終焉(上・下)』高遠裕子・山本由美訳、日経BP社、2018年、原著2016年)。
ゴードンによれば、1870年から1970年は急速な進歩や成長が起こった「特別な世紀」でした。その「世紀」でアメリカは世界をけん引しました。そして1870年以降のアメリカについて、ゴードンはこう述べています。
《わずか一〇〇年で、日常生活は様変わりした。屋外での肉体労働は空調の効いた室内での仕事に代わり、家事は家電製品が担うようになり、暗闇には灯りがともった。人びとは孤立して生活するのではなく、移動できるようになった。……カラーテレビで届けられる世界各地の映像を居間で楽しむこともできる。何より重要なのは、新生児の寿命が四五歳ではなく七二歳に延びたことだ》
そして、このような重大な革新は1970年頃には終わったのだと、ゴードンは言います。それ以降の現代の進歩・成長は、限定的で「期待外れ」なものになったというのです。
《一九七〇年以降の経済成長は、目をみはるものである反面、期待外れでもある。一九七〇年以降の進歩が、娯楽、コミュニケーション、情報の収集・処理といった人間の狭い活動領域で起きてきたことに気づけば、このパラドックスは解消する。人々の関心が高い、食料、衣服、住居、交通、健康、自宅内外での労働環境といった分野では、一九七〇年以降、定性的にも定量的に進歩のペースは鈍化している》
ゴードンは、1970年代以降の技術革新は、経済や生活を根幹から変えるものではなく、枝葉のきめ細かい改良にすぎないというのです。こうした見解を、有力な経済学者の一人が述べているということです。そして、技術革新においても「コミュニティの衰退」や「ポスト真実の台頭」と同じく1970年代が転換点になっています。
「進歩の終わり」を視野に入れる
ただし、今はこれに賛同しない意見のほうが多数派でしょう。現代の情報技術の革新を軽視するのは、旧世代のたわごとだと強く否定する人も少なくありません。情報技術などの新しい分野に革新の重点が移っただけだ、という見解もあります。「進歩や成長が終わるという悲観論はまちがいだったことが、これまで歴史によって何度も証明されてきた」ともよく言われます。
また、仮に「近年は進歩が緩やかで限定的になった」のが正しいとしても、情報分野のような、ゴードンにいわせれば「狭い活動領域」での革新が、今後さらに巨大な地平を切り開く可能性は否定できないでしょう。たとえばAI技術や量子コンピュータにその可能性をみる人たちがいます。情報分野のほか、生命科学に期待する人たちもいます。
ただし、これだけは言えるはずです――たしかに未来はわからない。それでも私たちは「進歩や成長の終わり」を、「あり得ること」として視野に入れていいのではないか。「急速な進歩が続くのは当然」と決めつけるのは、狭いものの見方ではないか。
これまでの近代における進歩は、たしかに一貫した力強いものでした。だから、私たちはその経験にとらわれているのかもしれません。本来は、もっと幅広い視野で世界史をふり返ることが必要なはずです。
相当な期間続いた古代ギリシアやローマの「技術革新」「進歩」は、ある時期から失速して、その後は長い停滞が続きました。
近代の文明では、そのような「進歩の終焉」は、ほんとうにあり得ないことなのでしょうか?
むずび・もしも世界がビザンツ化したら
最後に「もしもこれからの世界、とくに先進国が、きわめてビザンツ的な方向にすすんでいったらどうなるか?」を、思いつくままにざっと考えてみましょう。これまで論じなかった、やや特殊な側面についても空想してみたいと思います。「こうなるだろう」という予想ではなく、あくまで「もしもこうだったら……」というSF的空想です。
ビザンツ化した未来の世界では、あらゆるジャンルで、文化はますます過去の遺産の焼き直しや再編集ばかりになっていくでしょう。そして、生み出された作品・コンテンツの多くが、インターネットかそれに代わる何かを通して無償の「サーカス」として人びとに提供され続けるのです。孤立したばらばらの個人はそれに熱中し、その楽しみがますます生活の中心になっていく。
無償の「サーカス」を享受する人たちは、「パン」の配給も求めるにちがいありません。つまり、ベーシックインカム(国民全員に一律的に生活費支給をする)のような、手厚い福祉への欲求はますます高くなり、国家(とくに先進国では)は無理をしてでも対応しようとするはずです。そのような「ばらまき」が、政治権力者にとって自己保身のために有効だからです。最盛期のローマ帝国で行われ、初期のビザンツでも続いたパンの配給は、ベーシックインカムの先駆なのです。
そして、ビザンツにおける「パンとサーカス」が、穀倉地帯であるエジプトの支配を失うなどの経済基盤の弱体化によって終わりを迎えたように、未来においても、そのような手厚い福祉(ばらまき)もいずれは限界が来るはずです。
しかし、コンスタンティノープルが相当な繁栄を長く続けたように、未来の先進国でも、それなりの経済による高度の文明生活は続くでしょう。ただ、以前ほどの大量消費社会ではないだけです。
また、未来においては、ビザンツの官僚たちのように、自分たちを偉大な何かの「奴隷」だと考え、そこに喜びを感じる少数のエリートたちが、社会を細かく管理するようになるかもしれません。また、そのようなエリートと周辺的な大衆のあいだの格差や断絶は、さらに進んでいく。
そして、こうしたエリートのあり方は、情報化が極端に進んだ社会と親和性があります。あるいは、民主主義が後退した果てにそうなるのかもしれません。
では、その場合の「偉大な何か」とは、どんなものか? キリスト教などの伝統宗教がそのままの形でかつての影響力を復活させることは、もうないでしょう。しかし、ビザンツ化した未来の世界では、多くの人を惹きつける新たな観念や幻想が「神」のような位置を占めるかもしれません。
それは現代の「もう一つの真実」のなかから、何かが発展した結果生まれる可能性があるのではないか。「もう一つの真実」と高度の科学の成果が、なんらかのかたちで深く結びついて化学反応を起こすこともあるかもしれません。
では、ビザンツ帝国の600年代における「危機」に相当することが、今後の世界に起こる可能性はあるのか? あるとしたら、まず考えられるのは、先進国と新興国のあいだの大きなあつれきや戦いです。これは、現在の世界情勢のなかでも危惧されていることです。ほかに環境破壊のような文明の副作用による危機もあり得ます。
そのような大きな危機が重なれば、アメリカ合衆国やそのほかの先進国では、コンスタンティノープルを守った巨大な壁にあたるものが、未来のテクノロジーによって建設されるかもしれません。
それは、制度的な「壁」(入国の規制や関税など)にとどまらない、文字通りの物理的な「壁」ということです。それも、現代の国境にあるような簡単に破られそうなものではなく、強力な軍隊や高度の兵器でも突破できない防御のシステム。SFに出てくる「バリア」のようなものかもしれません。それは、「危機」から国家や社会を守る究極の手段です(なお、小松左京の1977年作のSF短編「アメリカの壁」は、まさにこのような「バリア」を描いています)。
そして、こうした「危機」によって社会インフラは荒廃し、近代の古典的な価値観である、民主主義、科学、ヒューマニズといった要素は、すっかり形骸化してしまうかもしれない……
もちろん、以上のような「ビザンツ化」にはならないことを願っています。
しかし、こんなふうに未来についていろいろと想像してみることは、よりよい未来を築くうえで、基礎や出発点として有効なはずです。現代社会のなかにある、さまざまな可能性や問題点をイメージし、とらえなおすことになるからです。
そして、歴史は「未来を考える」ための材料を豊富にあたえてくれます。歴史を知らずに未来を考えても、狭い常識で凝り固まったことしか浮かばないのではないでしょうか。
ビザンツのことは、一般にはややマイナーではありますが、現代世界とその未来を考えるうえで重要な素材です。
(終わり)
全3回のおもな参考文献
