見出し画像

ミニマリスト母とゴミ屋敷息子の「恥の境界線」

こんにちは、サチです。

私は、ミニマリストです。

ミニマリストといっても、白い部屋に何も置かないようなストイックなタイプではなく、「モノは必要な分だけあればいいよね」くらいの温度感なので「ゆるミニマリスト」ですかね。
家の中がスッキリしている状態がとても好きです。

実は、10年以上行ったり来たりしていた断捨離が、ある日突然“爆速”で進んだ時期がありました。

👇その時の記事はこちら

テーブルの上は、定期的に全部リセット。
床にも、なるべくモノを置かない。

掃除をして空間が整うと、そこにお花を飾りたくなったり、最近はキャンドルを灯しながら仕事をすることもあります。

整った空間って、それだけで気分が良くなるんですよね。

ちなみに夫も、わりと綺麗好きなタイプです。
最近はむしろ私より洗濯機を回してくれるし、シンクに食器が溜まっていたらサッと片付けてくれることもあります。

そんな夫婦から生まれた長男。

……なのですが。


長男だけ、なぜか別の世界の住人

長男は、まじで誰に似たの???というレベルで、綺麗好きとは対極にいます。

今は花粉の季節なので、そこらじゅうに鼻をかんだティッシュの山。
それだけならまだしも、脱いだ服は床に放置。
飲み終わったペットボトルも、食べ終わったポテチの袋も、そこに存在し続ける。

ジュースをこぼした跡もそのまま。
何かの粉まで散乱してるし。(コーンスープの粉かと思われ)
そんな場所に、財布が紛れていたりします。

ハァ………………😑

リビングや寝室はそこそこ整っているのに、長男のスペースだけ、独特のオーラを放っています。。。ここだけ時空が違うのかな?

もちろん、これまで何度も片付けについては話してきました。

いわゆる「お片付け育」的なことも、試してみたことがあります。
モノの住所を決めたり、片付けやすい仕組みを作ったり。
「分からなくなったらコレ見てね」と、片付け手順を書いた表を貼ったりもしています。

…が、長男にはあまり響いていないようで。

結果として、我が家では

リビング → わりと整っている
長男のスペース →ゴミ屋敷オーラ

という、不思議な共存状態が続いています。

スッキリな方だけ載せておきます

事件は、長男が友達を家に連れてきた日に起きた

そんな長男が、ある日突然、仲良くなったお友達を家に連れてきました。
事前連絡なしです。

えーーー!?!?!?と思いました。

というのも、長男はこれまで放課後に遊ぶ友達がいなかったので、友達を家に連れてくるのはこれが初めてだったんです。

👇長男が初めて「友達と遊びに行ってくる!」と言った日

私は、喜び半分・戸惑い半分で、長男に言いました。

「こんなゴミ屋敷見られるの恥ずかしいっしょ。片付けてから遊びに来てもらったら?」

すると長男は言いました。

「全然恥ずかしくないけど。」

私は天地がひっくり返るレベルで衝撃を受けました。

え!?!?

いやいやいやいや。

恥ずかしくないの?????

「え、恥ずかしくない…?」と聞くと、長男は

「なんで恥ずかしいの?」

……え?

なぜだ。
なぜなんだ。
どう考えても恥ずかしい一択だろ。

本当に理解できませんでした。

ちなみにお友達は「うちもまぁまぁゴミ屋敷だから(笑)」と言っていました。

なるほど。
似た者同士だから恥ずかしくないのか?

いや、、、違う気もする。
たぶん長男は、誰に見られても恥ずかしくない。


私の「恥」のライン

私は正直、かなり「恥」を意識して生きてきたタイプです。

空気を読む。
迷惑をかけない。
約束は絶対に守る。
人に「ちゃんとしている」と言われる。
いわゆる、優等生タイプです。

だからこそ、あの日、長男に言われた言葉が、ずっと頭から離れませんでした。

「なんで恥ずかしいの?」

その場では、うまく答えられませんでした。

「いや、だって恥ずかしいじゃん…?」
くらいのことしか言えなかった気がします。

でも、その日ずっと、私はその言葉を考えていました。

なんで私は、これを恥ずかしいと思うんだろう。

部屋が散らかっているのが恥ずかしい。
人にだらしないと思われるのが恥ずかしい。
ちゃんとしていないと思われるのが恥ずかしい。

つまり私は、「人からどう見られるか」という基準で、恥のラインを作っているんだなと気づきました。

でも長男は違う。

部屋が散らかっていても恥ずかしくない。
習い事を当日キャンセルしても恥ずかしくない。

👇習い事を当日キャンセルした話

私が「ありえない」と思うラインが、長男には存在していない。

恥の境界線が、まるで違う。

それが、あの日ずっと頭の中をぐるぐるしていました。


社会は「恥」という見えないルールで回っている

よく考えると、社会ってかなり「恥」で回っている気がします。

例えば、

・遅刻する
・約束を破る
・人に迷惑をかける

こういう行動は「恥ずかしいこと」とされている。
だからこそ、多くの人がある程度ルールを守るし、社会の秩序も保たれているのだと思います。

もし「恥」という感覚がまったくなかったら、社会はかなりカオスになるはずです。
そう考えると、ある程度の「恥の教育」は必要なんだろうなとも思います。

ただ一方で、以前の私は、こうした社会的なルール以上に、たくさんの「恥」を背負っていました。

・失敗するのは恥ずかしい
・目立つのは恥ずかしい
・友達の数が少ないのは恥ずかしい
・変わったことをするのは恥ずかしい
・空気を読めないのは恥ずかしい
・だらしないと思われるのは恥ずかしい
・期待に応えられないのは恥ずかしい
・親としてちゃんと子育てしていないと思われるのは恥ずかしい

気づけば私は、「人からどう見られるか」という基準で作られた恥を、たくさん背負って生きていました。

でも今は、そこからほんの少しだけ距離を置いて見ることができるようになりました。

だからこそ、長男の「なんで恥ずかしいの?」という言葉は、単なる子どもの発言というより、「恥」の境界線を考えるきっかけになった気がしています。


優等生ほど「恥」を背負う

私はずっと、「ちゃんとしている人」であろうとしてきました。

ちゃんとする。
迷惑をかけない。
期待に応える。

その生き方は、社会の中では生きやすい部分も大きい。

でも同時に、

・失敗できない
・挑戦できない
・本音を言えない

そんな生き方にも繋がる気がしています。

そういう意味では、
「やりたくないものはやらない」
「散らかってても気にしない」
そんな長男の感覚は、ある意味とても自由です。

正直ちょっと羨ましいし、これからの時代にはすごく強みになる感覚だなと思っています。(「この子は将来大物になるに違いない」と思っています。笑)


親はどこまで「恥」を教えるべきなのか

とはいえ、親としてやっぱり悩みます。

どこまで教えるべきなんだろう。
どこまで放っておくべきなんだろう。

例えば

・身だしなみを全く整えない
・不潔、不衛生
・ゴミをポイ捨てする
・トイレを流さない(まじで勘弁して…)
・最低限のマナーを守らない

こういうことは、社会の中で困ると思うので厳しく伝えないといけない。

でも

・目立つこと
・挑戦すること
・失敗すること
・人と違うこと

まで「恥ずかしい」と思うようになってしまったら、それはそれで窮屈な生き方になってしまう気もします。

私はかなり「恥」を意識して生きてきた人間です。
だからこそ、「なんで恥ずかしいの?」とまっすぐ聞いてくる長男は、私の当たり前を揺さぶる存在でもあります。(揺さぶりすぎィ…😇)


恥の境界線は、人によってこんなにも違う

長男の恥のラインは、私とは全く違う場所にある。

でもそれは「間違い」ではなく、単なる「違い」なのかもしれない。

ミニマリスト母と、散らかし息子。

同じ家に住んでいても、見ている世界は全然違う。
それを面白がれるくらいの余裕を、親として持てたらいいなと思っています。

あなたにとっての「恥のライン」は、どこにありますか?
もしよかったら、少しだけ考えてみてください。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

「人からどう見られるか」という基準で作られた恥をたくさん背負っていたところから、少しだけ距離を置けるようになった。その試行錯誤のプロセスや気づきは、別の記事にまとめています。

👇3ヶ月で「意図して変わる!」シリーズ


「ごちゃついた部屋を見せるのは恥ずかしい」気持ちは依然としてありますが、それよりもと自分の「心地よさ」の感覚を優先させたら断捨離が急に楽に進みました。その時のことを詳しくまとめています。

👇断捨離シリーズ


👇この記事を書いてる「サチ」って誰?


いいなと思ったら応援しよう!

サチ|40代ワーママ、本音で生き直すノート あなたの応援が、私の創作のエネルギーになります。 チップは「思考の旅」「豊かさの探求」を続けるための原動力として、大切に循環させていきます✨