通知表の数字より嬉しかったこと
こんにちは、サチです。
長男の修了式の日、担任の先生から電話がかかってきました。
通知表を、学校に忘れて帰ったらしい。
その瞬間、頭に浮かんだのは、
はい、出たー。
でした。笑
しかも雨。
夕方。
正直、めっちゃめんどくさい…😑
でもその一方で、「あ、でもこれ、担任の先生に最後、直接ご挨拶とお礼ができるチャンスかもしれない」とも思いました。
行ってみたら、思っていたよりずっとよかった
結果から言うと、行ってよかったです。
しかも、思っていたよりずっと。
担任の先生に最後にきちんと挨拶できたことももちろんよかったのですが、私にとってそれ以上に大きかったのは、長男の「私の知らない顔」が少し見えたことでした。
私が職員室に着いた時、先に行っていた長男がある先生2人と親しげに話していました。(2人とも、私は初対面の先生)
「え、担任の先生以外にも、親しい先生がいるのか」と、ちょっと驚きました。
しかもそれだけじゃなくて、長男は保健室の先生のところにも自分から挨拶に行ったんです。
その先生は退職されるそうで、私も一緒にお礼を伝えることができました。
学校の中での、私の知らない長男
そのやりとりを見ながら、なんだかじわっと嬉しくなりました。
長男は、学校の中でいろんな関係を築いていたんだな、と。
私は、長男の学校での様子を全部知っているわけじゃありません。
むしろ、知らないことの方がずっと多いんだと思います。
でもいろんな先生と話している長男は、すごく自然で、ニコニコしていて、見ているこちらまで少し安心する感じがありました。
学校そのものに安心している、というより、先生たちとの関係の中に安心があるんだろうな、というのが伝わってきた。
それが、すごく嬉しかったです。
担任の先生だけじゃなかった
長男の不登校が解消された一番大きな要因は、小5の担任の先生との相性の良さだったと思っています。
でも今回、学校に行ってみて分かったのは、支えてくれていたのは担任や副担任の先生だけじゃなかった、ということでした。
私の知らないところで、長男が話せる先生がいて、自然に挨拶できる先生がいて、ちゃんと関係ができていた。
それって、思っていた以上に大きなことでした。
不登校だった頃の私なら、この「ちょっとした安心」がどれだけ嬉しいか、たぶんすごくよく分かります。
学校に行けるかどうか、だけじゃなくて、そこで誰とどう関われているのか。
そこが見えない時期が長かったからこそ、なおさら。
そして、肝心の通知表はというと
で、肝心の通知表の中身はどうだったのか。
……通知表の中身は、見事に1と2が幅をきかせていました。笑
(5段階評価です)
「わざわざ雨の中取りに行って、これかい!」とツッコミたくなる気持ちがゼロかと言われたら、まあ、ゼロではありません。笑
でも、私がいちばん受け取ったものは、通知表の数字とは全然別のところにありました。
長男、ちゃんと学校の中で関係を築いてたんだな。
そっちの方が、ずっと大きかった。
目に見えるものだけじゃ、分からない
私はつい、目に見えるもので判断しがちです。
学校に行けているか。
授業を受けられているか。
通知表はどうか。
でも、本当にその子を支えているものって、案外そういう表に見える部分だけじゃないのかもしれません。
誰と話せるか。
どこで安心できるか。
自分から挨拶したいと思える相手がいるか。
そういう小さな関係の積み重ねが、長男の今を支えてくれていたんだろうなと思いました。
数字では見えないけど、たしかに育っていたものがある。
今回、私が見たかったのは、通知表じゃなくて、そっちだったのかもしれません。
面倒な出来事にも、意味があることがある
通知表を忘れたと聞いた時は、ただただ面倒だと思いました。
雨だし、夕方だし、わざわざ取りに行くのか〜…と。笑
でも、その瞬間だけ見ると「面倒な出来事」なのに、あとから振り返ると、ちゃんと意味があったと思えること。
長男が通知表をしっかり持ち帰っていたとしたら、私は直接担任の先生にご挨拶をすることもなかったし、長男が学校の中で見せている顔を垣間見ることもなかった。
面倒な出来事のはずだったのに、結果的に私は、長男の今を少しだけ見せてもらった気がしています。
そういう意味では、通知表を忘れたことにも、ちゃんと意味があったのかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
親として見えていることなんて、ほんの一部なのかもしれない。
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