アレクサンドル・ワン氏「これは文明史上一度きりの機会だ」― Scale AI創業からMetaのフロンティアラボ再構築まで
Meta最高AI責任者(Chief AI Officer)であり、Scale AI創業者でもあるアレクサンドル・ワン氏が、Y Combinatorの「Startup School」に登壇した。19歳での起業から、Meta入社後のフロンティアAIラボ立ち上げ、そして「知性の次に希少になる資源」についての持論まで、幅広く語った内容を紹介する。
1. ニューメキシコの田舎町から、19歳でのScale AI創業へ
ワン氏は、原爆開発で知られるロスアラモス(現在は映画「オッペンハイマー」で有名)出身で、当時は本当に何もない田舎町だったと振り返った。数学オリンピックやコンピューターサイエンスの大会に参加していたものの、「大きなことを成し遂げたい」という思いはあっても、具体的な道筋は見えていなかったという。プログラミングに熱中していた友人(高校卒業後にPalantirでインターンをしていた人物)の影響を受け、高校卒業後にシリコンバレーのQuoraで1年間のギャップイヤーを過ごし、その後MITに進学した。
同氏は、17歳から19歳にかけての期間を、「常に自分が変わり続けているような感覚で、周囲の人々から学び続け、まるで消防ホースから水を飲むような日々だった」と振り返る。企業で実際に働いた経験と、MITでの探究の自由の両方が非常に重要だったとし、MITでTensorFlow(当時発表されたばかりだった)を使ってモデルの訓練を始めたことが、Scaleのアイデアにつながったと説明した。MITを1年で離れYCに応募し合格した経験について、当時は「奇跡のようだった」と振り返り、YCが手厚い支援をしつつも「バカなことをしていれば率直に指摘してくれる」存在だったことが、起業家としての歩みにとって非常に重要だったと述べている。
2. 「間違ったタイミングのアイデア」から本命へのピボット
ワン氏は、当初、共同創業者のJared Friedman氏(YCパートナー)とともに、医療アクセスを支援するAIエージェントの構築を目指していたと明かした。同氏は、このアイデア自体は将来的に実現しうる、良いコンセプトだったとしつつも、当時としては「タイミングが間違っていた」と振り返る。1〜2か月ほど取り組んだ後、Friedman氏から「これはどこにも向かわないかもしれない」と率直な指摘を受け、それがまさに必要な助言だったと述べた。
MITでのモデル訓練の経験を思い返した同氏は、モデルを訓練するために必要な3つの要素――クラウドの計算資源、コード、そして、データ――のうち、計算資源とコードは、ボタン一つで手に入るのに対し、データを効果的に取得する手段が当時は存在しなかったことに気づいたという。当時、自動運転車が台頭しつつありコンピュータービジョンが最初の市場になったが、同氏は、これが将来「明白に必要とされるものになる」と直感したと振り返った。
3. データビジネスへの懐疑 ― 「モデルを訓練したことのない投資家たち」
同氏は、Scale創業後の長年にわたり、データという事業領域が全く「セクシー」ではなかったと振り返った。良好な業績を上げていたにもかかわらず、資金調達のたびにVCや投資家からは、事業の持続可能性を疑問視する声が絶えなかったという。同氏は、これらの投資家の誰一人としてモデルを実際に訓練した経験がなかったため、その重要性を理解できなかったのだろうと述べ、現在では、かつて自分たちを見送った同じ投資家たちが、データこそがAI分野最大級のビジネス機会だとする論考を書いていることの皮肉を指摘した。
4. 「コンセンサス以前の確信」が成功の鍵
ワン氏は、成功する企業を作る鍵は、他の誰も同意していない一連の信念に対して確信を持つことだと述べた。世界で最も成功した企業の多くは、その中核となるアイデアが広く支持される「コンセンサス」になるずっと前から、長年にわたり無名のまま地道に取り組んできたのだという。同氏は、周囲の意見に流されすぎると混乱し、結局どこにも辿り着けなくなるとし、起業家は自分自身の「未来についての羅針盤」を持つ必要があると強調した。
同氏は、また、起業初期に必要となる実務的なスキル――投資家を説得し、意気消沈させられないこと、顧客を説得すること、そして、何より人材に自社で働いてもらうよう口説くこと――について、こうしたスキルは誰も最初から得意ではなく、起業家は皆「最初は全てにおいて下手」なところからスタートするのだと率直に語った。重要なのは、いかに素早く学び、継続的に改善していくかだという。
5. なぜ今が起業に最も良い時代なのか ― 「AIがもたらす非対称性の逆転」
AI時代に起業することについて問われたワン氏は、現在のボトルネックは、AIモデルの進歩そのものではなく、この技術を世界に浸透させ、世界がそれに適応する手助けをすることにあると述べた。同氏は、たとえ今後モデルの性能が全く向上しなかったとしても、経済や世界の動き方には今後何十年にもわたる大変動が続くだろうとし、これは「おそらく文明史上一度きりの機会」だと表現した。
同氏は、10年前に起業する際は、「ダビデ対ゴリアテ」の構図で、限られたリソースの中で賢く市場への切り口を見出す必要があったが、今やエージェントとAIの力によって、スタートアップ自身が「エージェントとAIによって大幅に強化されたメガ・ゴリアテ」になれる時代だと表現した。AIエージェントを適切に活用し、最も野心的な形でその強みを活かせるスタートアップは、既存の大企業を容易に凌駕できるとの見方を示している。
6. Metaでの「スーパーインテリジェンス」構想 ― エージェンシーの拡張
Metaにおける「スーパーインテリジェンス」の運用上の意味について、ワン氏は、1年前にMark Zuckerberg氏が執筆した「パーソナル・スーパーインテリジェンス」に関するメモに触れ、これが「パーソナルAGI」の概念と非常に近いものだと説明した。同社は、世界中の何十億人もの人々がそれぞれに適応・調整されたスーパーインテリジェンスを持ち、それぞれの目標達成を助け、文脈を理解し、最終的にはその人自身の「主体性の拡張(エージェンシー・エクスパンション)」につながると信じているという。
同氏は、これを世界を支配する単一のAIという「全体主義的」な構想ではなく、広範なエコシステム全体を強化するものとして捉えていると強調した。Metaのプラットフォーム上には、現在2億以上の事業者が存在するが、この数はAIツールの活用による創造性の爆発によって数十億にまで拡大していくはずだとし、最終的には個人エージェントと連携するビジネスエージェントからなる、AIによって完全に強化された複雑なエコシステムが形成されるとの構想を語っている。
7. Meta入社1年 ― 「ゼロベースでのフロンティアラボ構築」
ワン氏は、Metaに入社しておよそ1年になるとし、この1年について「かなり濃密な年だった」と振り返った。入社時点でMetaのAI研究(LLaMAなど)は、必要な軌道に乗っていなかったとし、フロンティアラボをゼロベースで構築し直す作業に着手したという。既存の資産を活用しつつ可能な限り速く動いた結果、入社から9か月で「Muse Spark 1」を発表し、その2か月後には、「Muse Image」と「Muse Spark 1.1」を発表したと説明した。
同氏が、この過程で最も印象に残った点として、「人材密度」への投資が最も重要な賭けだったことを挙げた。人材密度は、自然に複利的に増していく性質があり、優秀な人材が集まるほど、さらに、優秀な人材がそこに加わりたいと考えるようになるという。フロンティアAIの研究は、本質的に科学研究であり、実験と探究、スケーリングを重視する、従来のインターネット企業やプロダクトとは全く異なるマインドセットと運営モデルを必要とすると述べ、能力・計算資源・普及のあらゆる面で指数関数的な成長が同時進行するエコシステムに対応できる、「生命体」のようなラボの構築が重要だと説明している。
8. 「モデルは安価であるべきだ」― Opus比8倍安価な理由
ワン氏は、Metaの新モデルが、特定の用途において最高峰のモデルに匹敵する性能を持ちながら、はるかに低コストである点についても言及した。同氏は、モデルが高価になり、最も裕福な開発者や企業にしか行き渡らないような世界を望んでいないとし、誰もがこの技術を使って作りたいものを作れるようにすることが重要だと述べた。
同氏は、AIエコシステムの歴史を振り返り、自動運転車から始まった第一波が、チャットボット(大規模言語モデル)によって10倍規模に拡大し、その数年後には、コーディングエージェントがさらにその10倍の規模になったと説明した。この急峻な曲線は今後も続き、それぞれの新しい波が前の波よりも劇的に大きくなっていくとの見通しを示し、Metaとしては、こうしたエコシステム全体を解き放つことこそが自社の立場だと述べている。
9. ハーネス開発への言及 ― 「速さ」と「信頼性」
同氏は、開発中のエージェント用「ハーネス」についても言及した。現時点では、Muse Sparkの活用には、OpenCodeを使うのが最も簡単な方法だとしつつ、間もなく自社製のハーネスを提供する予定だと明かした。既存のOpenClawやHermes Agentを「路肩でよく故障するフェラーリ」と評した司会者の問いかけに対し、ワン氏は、特に「速さ」を最重視していると述べ、信頼性の高さや、複雑なマルチエージェント構成にも柔軟に対応できる拡張性も追求していくとした。
10. 「10年後に振り返れば明白になること」― 知性と主体性のコモディティ化
過去10年を振り返って、当時は見過ごされていたが後から明白になることは何かと問われたワン氏は、モデルの性能がどこまで向上するか、超知能がいつ実現するかといった議論の多くは、ある意味で時間の無駄だと述べた。同氏は、非常に強力なモデルが実現することは既に不可避であり、10年後に振り返れば「いつ実現するか」を巡る議論そのものが近視眼的だったと評価されるだろうと述べた。10年前のAIモデルは、YouTube動画の中の猫を認識する程度だったが、今や「デジタルな神」とも言える存在と対話している状況を踏まえれば、この傾向は今後も続くとの見方を示している。
同氏は、人類史を通じて、志を同じくする賢い人々の集団が集まることこそが進歩のボトルネックだったとし、米国建国もまさにその一例だと説明した。しかし、今後は、希少な資源が知性や主体性ではなく、「ビジョンと野心」になっていくと予測した。5〜10年後の世界がどうあるべきかについて明確な視点を持ち、それを実現するためのあらゆる困難を乗り越える意欲と推進力を持っているかどうかが、これからの時代の分かれ目になるという。同氏は、AIによってこうしたビジョンの実現が10倍、あるいは100倍容易になる一方で、それに伴い、より大きな夢を描けるようになるとも述べている。
11. システム思考の重要性は変わらない ― 「抽象化レイヤー」のシフト
一部の大学でコンピューターサイエンス専攻者数が、二桁パーセント減少しているという話題に触れ、ワン氏は、「体系的で厳密な思考」は依然として極めて重要だと強調した。同氏は、自身が起業した当時はコードを書くことが中心だったが、今後はエージェント同士をどう調整するか、さらには、100万、1兆規模のエージェントをどう協調させるかへと、必要とされる「抽象化レイヤー」がシフトしていくだけであり、こうした体系的な思考の必要性自体は決して廃れないと説明した。
同氏は、こうした変化を踏まえ、「Word Cell(言語的思考型)」に全振りするのは間違いだとしつつ、これからより重要になるのは、世界がどう発展すべきかについての深い羅針盤と哲学的な視座を持つことだと述べた。人類は今後10年間で、過去100年よりも大きく変化するだろうとし、そのための一貫した肯定的なビジョンを持つことの重要性がこれまで以上に高まっていると語っている。
12. Meta社内で見えている「近い将来のアルファ」― エージェント的フィードバックループ
具体的にMeta社内で見えている近い将来の応用について問われたワン氏は、「エージェント的ループ」の構築に膨大な機会が眠っていると述べた。トークン消費量を現在の1000倍、あるいは100万倍に増やしても、それが継続的なフィードバックループの中で成果につながるようなシステムを構築できるかが鍵だという。
同氏は、企業活動自体が「人間がそれぞれのエッジを担う大規模なフィードバックループ」であると説明し、こうしたループの内部にある無数の「マイクロフィードバックループ」を最適化できるエージェントシステムを開発することに、大きな機会が眠っていると述べた。Meta社内でも、適切なエージェント的ループと、エージェントが最適化すべき正しい評価指標を設定できれば、エージェントの群れが100人規模のエンジニアチームよりも多くの成果を、はるかに容易に達成できる事例が既に見られているという。
13. 「18歳の自分への手紙」― 内なる羅針盤を持つこと
対談の最後、18歳当時の自分にメッセージを送るとしたら何を伝えるかと問われたワン氏は、「未来がどう発展するかについて、自分自身の内なる羅針盤を育て、それに強い確信を持つこと」だと答えた。若く経験が浅いうちは、周囲からの雑音に埋もれ、自分が本当に信じるものが何かを見極めるのは非常に難しいが、それこそが最も重要なことだと述べた。
同氏はまた、もう一つの助言として、「最も急な曲線を描き、かつ最も長く続く指数関数的トレンドを世界の中に見出すこと」を挙げた。数十年前であればそれはムーアの法則だったが、今の時代はAIの進歩がそれに当たるとし、こうした急峻な曲線は、始まった当初は退屈で取るに足らないもののように見えることが多いと語った。Scale創業当初、YouTube動画の中の猫を検出するという地味な取り組みが、今日の重要な技術の出発点になっていたことを引き合いに、同様の視点を持つことの重要性を伝えて対談を締めくくった。
