Mercor CPO「オープンソースは中核事業を侵食しない」― データ提供ビジネスの最前線を語る
AI企業向けにデータラベリング・評価データを提供するMercorのCPO(最高製品責任者)であるOswald Nitski氏が、ポッドキャストに出演し、フロンティアモデルへの収益集中リスク、オープンソースモデルとの関係、そして、AI時代のプロダクトマネジメントのあり方について、幅広く語った。
1. 「オープンソースはMercorの中核事業を侵食しない」
司会者は、Kimi K3のような高性能オープンウェイトモデルの登場により、業界内で「クローズドモデルからオープンモデルへの大規模な移行」が起きるとの見方が広がる中、これがMercorの事業を侵食するのではないかと尋ねた。Nitski氏は、これを否定し、「データが最も価値を持つのは、モデル性能のフロンティア(最先端)においてだ」と説明した。同社の顧客企業は、それぞれ独自の目標を持ち、現行モデルの能力の「隙間」を埋めるための評価・訓練データを購入しているのだといい、オープンモデルの進化は、単に「人々が興味を持つ水準の底上げ」をするに過ぎず、顧客が新たに獲得したい能力がある限り、事業成長は続くと説明した。
2. 「エンタープライズ業務の90%が既存モデルで対応可能」論への反論
司会者が、エンタープライズのワークフローの9割は、既にオープンモデルで対応可能だとの見方が広がる中、残り1割の高付加価値領域が、フロンティアに向けてますます遠ざかっていけば、収益成長は難しくなるのではないかと尋ねると、Nitski氏は、この「9割」という前提そのものに懐疑的な見方を示した。同氏は、こうした試算は、現在の需要や、既存のモデル利用者が思い浮かべる用途に基づいているに過ぎず、「まだ誰もモデルにやらせようとすらしていない、潜在的な需要」の一群が存在すると指摘した。具体例として、調達業務を数か月にわたり完全自動化する「調達エージェント」のような、長期にわたるタスクを挙げ、こうした用途への需要を支えるデータ市場こそが成長領域だと説明している。
3. Palantir・カープ氏の指摘 ― 企業のデータ共有への懐疑
司会者は、Palantir CEOのアレックス・カープ氏が、大企業のフロンティアモデル企業へのデータ共有への強い懐疑を語っていた点に触れ、Nitski氏にも同様の懐疑や恐れを見るかと尋ねた。同氏は、企業がどこまで抵抗を感じるかは業務内容次第だとし、人事や調達のような一般的な業務は、機密性が低く、プロプライエタリなモデルに載せることに前向きな傾向がある一方、法律事務所が実際に作成するメモや顧客への助言のような、企業の差別化に関わる中核業務ではより慎重な傾向が見られると説明した。
司会者は、ここで、機密性の高いデータを(主に中国発の)オープンソースモデルに載せ、人事・調達データをクローズドモデルに載せるという構図の「皮肉」を指摘した。Nitski氏は、これに対し、オープンウェイトモデルの利点は、どこでも推論を実行できる柔軟性にあり、そこにミスの余地はあるものの、より高い制御性を得られるのだと応じている。
4. Mercor独自ベンチマーク ― 長期タスク達成率は「約50%」
司会者が改めて「9割」論の妥当性を尋ねると、Nitski氏は、同社独自の「Apex」ベンチマークにおいて、トップモデルの長期タスク達成率は現時点でおよそ50%程度だと明かした。同氏は、さらに、CRM更新のような「十分性(サフィシエンシー)ベース」の業務、つまり、やれば完了するタイプの業務と、法的議論や医療アドバイスのように「常により良くなり得る」業務とを区別すべきだと主張し、後者については、「二値的にできるかできないか」ではなく、「継続的で上限のない報酬(コンティニュアス・アンキャップド・リワード)」という枠組みで考えるべきだと説明した。
5. 「企業ごとの専門特化モデル」の未来
司会者は、Fireworks創業者Lin Qiao氏が「各企業に専用モデルが必要になる」と語っていたことを紹介し、Nitski氏にも同様の見方かを尋ねた。同氏は、これに同意しつつ、「Mercorにとっても都合の良い話だ」と認めた上で、専門特化モデルには、それぞれの企業固有の評価・訓練データが必要になり、その投資対効果(ROI)が正当化されるケースは今後増えていくだろうとの見通しを示した。
6. エンタープライズAIに「ROI問題」はあるか
司会者が「現在のAIにROI問題はあるか」と尋ねると、Nitski氏は、「現時点でROI問題はないと思う」と述べた。現在は、トークン価格や性能の見通しに関する様々な予測が飛び交う中、企業側もROI計算を出すことへの許容度・忍耐が比較的高い「探索と実験の時期」にあるとし、支出への締め付けが一部で見られ始めてはいるものの、状況が急速に変化しているため、しばらくは様子見の段階が続くとの見立てを示した。
7. トークン支出と投資対効果のバランス
具体的な支出の指針については、用途次第だと説明した。成長がすべてに優先される急成長企業では、単位経済性が健全である限り支出を惜しまない一方、コーディングエージェントへの支出は、エンジニアの生産性向上を通じて複利的な利益をもたらしうるため、多少高くても許容されるとした。他方、顧客対応エージェントで得られる収益がトークン支出を大きく下回るような場合は明確に問題だと指摘している。
Salesforce CEOのマーク・ベニオフ氏が、Anthropicに年間3億ドル(エンジニア給与平均の約3.8%相当)を支出していると発言した点についても問われ、Nitski氏は、支出の割合は、今後全体として3%を超えて増加していくとの見方を示した。同氏は、Mercor自身の実例として、AI関連支出が、既に人件費を上回っていることを認め、「(将来的に)100%というのも十分ありえる数字だ」と述べている。同氏は、Mercorが、ヘッドカウントを前年比10倍以上に拡大させ、収益も同程度に伸びている急成長企業であるため、需要をさばききれないほどの支出加速が理にかなっていると説明した。
8. AIはプロダクトマネージャーの仕事を「楽に」ではなく「難しく」する
AIによって開発スピードが上がる中、プロダクトチームがより多くの製品を作れるようになったのかと問われたNitski氏は、意外にも「このパラダイムはプロダクトマネジメントの仕事をずっと難しくしている」と述べた。誰もが「これなら数千行のPR(プルリクエスト)もすぐ作れる」と考えることで、製品の表面積(フィーチャー数)が急拡大しがちになり、それを絶えず簡素化し、最もスケーラブルなワークフローを見極める「戦い」が常態化しているのだという。同社では、エンジニアリングのボトルネックが緩和された結果、PM対エンジニアの比率がむしろ上昇しているとも説明している。
9. 「Figmaからクラウドデザインへ」― ツール淘汰の実態
Nitski氏は、同社が、「Figmaから離れ、ますますクラウドベースのデザインツールへ移行している」と明かした。これは同氏が観察する限り、ほぼ全ての企業に共通する傾向だといい、ツールの種類を絞り込みライセンス管理の手間を減らせる点も背景にあると説明している。
10. サイバーセキュリティ ― 「決して90%に到達しない」データ市場
同社が直近経験した自社のセキュリティインシデントについても言及があり、Nitski氏は、自身がセキュリティの専門家ではないとしつつ、専門家を大量に採用してその知見に学んだことが最大の変化だったと述べた。その上で、AI生成コードの急増によって脆弱性も増え、サイバー攻撃の脅威は今後さらに大きくなるとの見方を示し、「サイバーセキュリティは、攻撃側と防御側が常にいたちごっこを続ける領域であるため、CRM更新のような『十分性ベース』の業務とは異なり、決して(需要が飽和する)90%には到達しない」と説明した。同社はこの分野を、報酬に上限のない「ゲームのような」データ領域として捉え、需要が急速に伸びているという。
11. 最も急成長しているデータ種別 ― 「RL環境」
同社にとって最も成長が速いデータ種別として、Nitski氏は、「環境(エンバイロンメント)」、いわゆるRL(強化学習)環境データを挙げた。これはエージェントが使用するアプリのシミュレーションと、豊富な初期状態(ラップトップ上の全データを再現したような「世界」)、そして、そのツールを使って有用なタスクを達成する訓練課題から構成されるという。例えば、Salesforceの使い方を学ばせるには、実物同様に機能する高精度な模擬環境が必要であり、これは数年前にSFT(教師ありファインチューニング)やプリファレンスランキングの構築が困難だった時期と同様、現在まさに業界が試行錯誤している最前線の領域だと説明した。
12. 「創業者主導の内製アノテーション」という奇妙な競合
データ提供の世界における特異な競合形態についても語られた。Nitski氏は、VCから多額の資金を調達したスタートアップの創業者自身が、アノテーション作業を行い、その安価な労働力でラボに営業をかけるという「コテージ産業」的な状況が既に存在すると指摘した。こうしたケースは、いわば「VC補助金付き」の仕事であり、スケールしないものの、業界がより高スキルな専門家を必要とする方向に向かっていることの表れだとの見方を示した。
13. 収益集中リスクへの対応 ― 「エンタープライズ市場」への拡大
フロンティアモデル企業への高い収益依存というリスクについて問われたNitski氏は、Mercorが最も注力しているのは、「ダウンマーケット」への展開、つまり、あらゆる企業が、効率的に自社データプロジェクトを実行できるようにすることだと説明した。ラボ向けの案件は運用チームによる手厚い伴走が必要な「ホワイトグローブ」サービスである一方、AIによるプロジェクト管理を活用してこの過程を効率化できれば、より多様で小規模な案件にも対応できるようになり、結果として収益の集中を緩和できるとの見通しを示している。
14. 採用方針の変化 ― より「シニア」な人材へ
AI時代の採用について、Nitski氏はツールの使い方といった技術的なスキルの重要性は薄れつつあり、事業へのインパクトをより高いレベルで考えられる人材が重視されるようになったと説明した。同社は結果として、より経験豊富な候補者を重視する方向にシフトしているという。面接プロセスについても、テイクホーム課題は、AIツールへの習熟度を測る1回のみに絞り、それ以降はホワイトボードを使った議論を重視するようになったと明かした。
15. 収益20兆ドル企業への道筋
司会者から「Mercorが2000億ドル企業になる強気シナリオ」を問われたNitski氏は、同社の本質は「テック活用型サービス企業」であり、評価・訓練データがモデル性能向上のボトルネックであり続ける限り、需要はなくならないと説明した。今後3年で大きく成長すると見ている領域としては、ロボティクスをはじめとする「実世界の物理データ」を挙げている。
