AI時代の知とは何か:Google DeepMind CEOが描くAGIと学術・社会のあり方
人類はこれまで、哲学や科学、芸術などさまざまな方法で知識を獲得し、世界を理解してきました。しかし、近年の人工知能(AI)の急速な進展は、知識のあり方そのものを大きく変えようとしています。本記事では、2024年ノーベル化学賞を受賞し、Google DeepMindのCEOであるサー・デミス・ハサビス(Sir Demis Hassabis)氏が、プリンストンのInstitute for Advanced Study(IAS)で行った講演「The Future of Knowledge」をもとに、AIがもたらす可能性と課題をわかりやすく解説します。専門的な内容にも触れつつ、具体例や引用を交えて解説することで、「AI時代の知識とは何か」を考える素材にしていただければ幸いです。
1. IASとAIの歴史的文脈
1-1. IASにおける計算機へのまなざし
IAS(Institute for Advanced Study)は、1940年代から“知識のフロンティア”を探求してきた研究機関です。講演冒頭で司会のデイヴィッド・ネルムバーグ(David Nermberg)氏が触れたように、J. ロバート・オッペンハイマーやジョン・フォン・ノイマンらがIASで活動し、現代のコンピュータ構造(フォン・ノイマン型アーキテクチャ)を確立しました。
彼らは原子爆弾と並んで、計算機の影響力を「歴史を変えるほど大きいモンスター」と呼びました。フォン・ノイマンの妻クラリーは、「人類は作ったものに追いつかねばならない」と語り、その不安を象徴するエピソードとして、彼が眠れないほど興奮したエピソードが伝えられています。
オッペンハイマーは、「国家の安全は技術だけではなく、倫理や社会組織、感情にも依拠する」と述べ、IASを学際的な場にすることで「人類性の維持」を目指しました。これらの背景があったからこそ、IASは芸術や物理学のみならず、コンピュータサイエンスやAI研究の歴史的な聖地となったのです。
1-2. AIと人間の知の接点
講演では、「AIはまだ“人間の発見”の一形態である」としつつ、その名称が示すように「人間のカテゴリーを破壊するほどの可能性を秘めている」と強調されました。
ハサビス氏は、「計算機の力はどれほど深く、人間の知識や人類をどう変えるのか」という問いを投げかけ、IASの歴史と現在のAI研究をつなげて考える視点を示しました。
2. デミス・ハサビスの半生とAIへの道
2-1. チェス少年からゲーマーへ
デミス・ハサビス氏は、4歳でチェスを始め、イギリスのジュニア代表として活躍するほどの実力者でした。講演の中でハサビス氏は「ゼロサムゲーム(勝者と敗者が明確なゲーム)は単純すぎる。13歳のときに『もっと知性を究めたい』と感じた」と語っています。
幼少期から「思考のプロセスそのもの」に興味を持ち、鍵となったのが初期のチェスコンピュータでした。80年代の物理的なチェスボード形コンピュータを間近に見たことで、「このプラスチックの塊が人間と同じようにチェスを指している」ことに衝撃を受け、以後、プログラミングへの関心が芽生えます。
2-2. ホームコンピュータとゲーム開発
13歳前後の頃、勝ち取ったチェス大会の賞金でZX SpectrumやCommodore Amigaなどのホームコンピュータを購入し、自らプログラミングを開始。高校・大学時代には、シミュレーションゲーム(テーマパークなど)の開発に携わり、AIを活用したゲームキャラクターを作り上げていきました。
当時のゲームは、「CPU性能が極めて低く、AIが非常に原始的」ではあったものの、「プレイヤーの行動に応じてキャラクターの反応が変化する」仕組みを実装し、プレイヤーごとに異なる体験を生み出すことに成功。ここで「スケールさえできれば、AIは驚くほど強力なツールになる」と確信したといいます。
2-3. 神経科学とDeepMind創立
大学・大学院では、神経科学とコンピュータサイエンスを専攻し、博士課程では、「記憶と想像力の神経基盤」を研究しました。記憶が映像ではなく“構成的”に再構築されるプロセスと、想像力が同様の仕組みを使うという仮説を提示し、当時から「人工知能と人間の知性の比較」に興味を抱いていました。
2010年、ハサビス氏は、ロンドン大学(UCL)在籍中に共同研究者とともにDeepMindを設立。代表的なミッションは、「知能の問題を解き、その知能を使ってあらゆる困難を解決する」という野心的なものです。研究資金もほとんどなく、当初は「学術界では学べないスピード感を追求したい」という思いから企業として立ち上げました。
3. DeepMindの主要成果と科学への応用
3-1. AlphaGo:囲碁AIの衝撃
AlphaGoは、2016年に初めて世界チャンピオンの李世乭(Lee Sedol)氏に打ち勝った囲碁プログラムです。この勝利は「コンピュータが人間の戦略思考の頂点にも到達しうる」という衝撃を与えました。
講演でハサビス氏は、「囲碁は数千年の歴史を持ち、人間が開発した最も複雑なゲームのひとつ。優れたメトリクス(勝敗条件)があり、大量の自己対局データを生成できるため、AI開発の登竜門だった」と説明しています。実際、AlphaGoは「畳み込みニューラルネットワーク+強化学習+モンテカルロ木探索」の組み合わせで、既存の囲碁理論を超える新戦略を発見しました。
3-2. AlphaFold:タンパク質構造予測革命
AlphaFoldは、タンパク質の三次元構造予測において50年以上の大課題を解決したAIシステムです。これまで実験的手法(X線結晶構造解析やNMRなど)で1つの構造を解析するには大学院生1人が数年かかっていたのに対し、AlphaFoldは「既存の15万構造を学習し、追加で約100万構造の予測と選別を行ったうえで学習セットに加えた」といいます。
講演では、「AlphaFoldは、最終的に自然界のすべてのタンパク質構造をわずか数年で予測できるレベルに到達した。これは1億人年以上の人間の努力に相当する」という言及があり、公的研究資金(NSFやNIHなど)による膨大な実験データを活用したことの重要性が強調されました。AlphaFoldの成功は、“科学のためのAI”というDeepMindの最初の目標を具現化しました。
3-3. Isomorphic Labs:創薬への展開
AlphaFoldの技術をさらに応用し、Isomorphic Labsを設立。創薬プロセスの「タンパク質構造解析→薬剤候補設計→毒性予測」をAIで統合的に行い、従来の研究よりも圧倒的に短期間・低コストで新薬候補を発見・最適化しようという試みです。
ハサビス氏は「AlphaFoldが基盤的モデルを作ってくれたので、あとは『どうやって分子を設計し、体内の他部位への誤結合を防ぐか』という次の段階に進むだけ」と語ります。これによって疾患治療やバイオテクノロジー全般に大きなブレークスルーが期待されています。
4. 問題設定の哲学と科学への適用
4-1. AIで取り組む問題の選定基準
DeepMindが着目する問題には以下の3つの共通点があります。
大量かつ質の高いデータが存在する
AlphaGoでは、自己対局による合成データ、AlphaFoldでは実験で得られた15万構造データに加え、推定構造30万件の精選データが学習セットとなりました。
構造化された「真のデータセット」があることで、シミュレーションと実世界データの分布を合わせ込めるため、モデルの精度向上が可能になります。
明確な評価指標(メトリクス)が定義できる
囲碁なら勝敗、タンパク質構造予測なら原子座標誤差など、「何を最適化すべきか」がはっきりしている問題は、AIが目標に向けて学習しやすい条件を満たしています。
自然界の多くの問題(自由エネルギーの最小化など)についても、「最適化すべき関数」を定式化すればAIで解く道が開けるといいます。
組合せ空間が極めて広大で、総当たりでは解けない
タンパク質の可能な立体構造は平均して10^300通りと言われ、従来の計算手法では「刺さる針を見つける」ことができません。AIは「モデルで空間を近似し、インテリジェントな探索戦略(強化学習やモンテカルロ木探索)」を用いて効率的に最適解を探します。
4-2. 応用分野:生物学・数学・物理学
生物学:前述のAlphaFoldに続き、創薬やゲノム編集、バイオマテリアル設計など、構造予測やシミュレーションに基づいた創薬パイプラインが構築されています。ハサビス氏は、「例えば、室温超伝導体の候補探索や、気候・天候予測、核融合プラズマ制御といった物理学分野にもAIを適用できる」と述べています。
数学:DeepMindは「AlphaProof」などのプロジェクトで、数学的命題を形式化し、自動的に証明を構築しようと試みています。数学は「検証可能な答え」と「合成データ生成の容易さ」を備えるため、AIの学習・評価に適した分野です。
物理学:気候モデルや材料設計(例えば新規触媒の探索)では、「基礎方程式から導かれる自由エネルギー最小化問題」をAIで高速に解くことが期待されています。ハサビス氏は「自然界の興味深い現象は、いずれも巨大な組合せ空間を持ち、最適化問題として定式化できる」とし、このアプローチの普遍性を強調しました。
5. AGI(人工汎用知能)とマルチモーダルモデル
5-1. モーダル vs. マルチモーダル vs. 汎用性
DeepMindの初期は、「囲碁」や「タンパク質構造」といったモーダル(特定ドメイン)な問題にフォーカスしていました。しかし、最終的な目標は「人間の知能に近い汎用的な知的エージェント(AGI)を構築すること」です。
言語・映像・音声・数式などを含むマルチモーダルな情報を理解し、シミュレーションできる世界モデルを作ることが鍵とされます。ハサビス氏は「世界モデルとは、人間が日常的に行っている『心の中でのシミュレーション』と同等の機能を機械に持たせること」を目指しており、PhD時代に研究した「記憶と想像力の神経基盤」が、現在のモデル設計にも生かされています。
5-2. Project AstraやGeminiの開発状況
DeepMind/Googleは、2024年現在、Geminiという最先端の汎用基盤モデル(Foundation Model)を開発中であり、これらモデルはテキストだけでなく映像(動画)や音声にも対応できるよう設計されています。実演として「10秒間の“トマトをまな板で切る”動画」をAIに生成させたところ、切断面や水滴の飛び散りまでリアルに再現できる段階に到達しているといいます。
また研究プロジェクトとしてProject Astraが進行中で、「日常生活のコンテキストや直感的な物理現象」を理解・予測し、ロボット制御や汎用デジタルアシスタントへの応用を視野に入れています。これにより「AIが物理的・社会的な世界をシミュレーションし、人間と協調してタスクをこなす」ことが現実味を帯びています。
6. AIのリスクと社会的枠組み
6-1. 悪意ある利用とエージェント化の懸念
AIの“両義性(デュアルユース)”として、「善意の科学研究・医療応用」と「悪意ある国家・個人による悪用」の両面が常に存在します。ハサビス氏は、「医療や気候予測など公益的用途で使いたいが、同時にサイバー兵器やフェイク映像などのリスクもある」と強調。
さらに、「AIの次のフェーズは、“自律的なエージェント”の台頭である」と言及。囲碁やプログラム上の環境で動くエージェントではなく、現実世界で自律的に意思決定や行動を行うAIが登場すると、人間が制御しきれないリスクが顕在化し得ます。
6-2. 倫理・ガバナンスと新しい制度設計
Oppenheimerらが原子力研究を通じて示したように、「技術革新だけではなく、倫理・社会制度の整備が同時に進まなければ、人類は破滅的な結果を招く可能性がある」とハサビス氏は述べました。
具体的には、以下のような組織・制度を提案しています:
AIに特化した国際共同研究機関(CERN型)
研究者が集まり、基礎科学としてのAIをオープンに研究・検証するプラットフォーム。
AI独立機関(IAEA型)の設立
政府や企業から独立し、危険な研究・プロジェクトの監視・規制を行う機関。
専門家による世界的ガバナンス評議会(技術的な国連)の構築
国際的なルールや倫理基準を策定し、AI技術の平和的用途やリスク防止を担保するマルチステークホルダー組織。
7. ハサビス流の問題選定と未来への展望
7-1. 自然界とAI学習の類似性に関する予想
ハサビス氏は、自身のノーベル講演で「自然界で生成されるパターンは、適切な学習アルゴリズムによって効率よく発見・モデル化できる」という仮説を提唱しました。これは「生命だけでなく、地質学的現象や宇宙の構造といった広範な自然現象にも、AIが有効である可能性」を示唆しています。
彼がこの仮説に至った背景には、「自然界の多くは進化や物理過程を経て安定なパターンを形成している→ランダムではなく構造が存在する→構造があるなら学習でモデル化可能」という論理があります。たとえば、室温超伝導体の候補探索や地球外生命体の環境条件推定など、現代のAI技術でアプローチできる分野は広がりつつあります。
7-2. 人間の脳とAIの未来的関係
講演では、「人間の脳も結局は古典的な計算機(チューリングマシン)と同等の構造で動作している可能性が高い」と述べられました。ロジャー・ペンローズなどが唱える「量子意識説」に対しても、現時点では確たる証拠がなく、“ヒトの脳はデジタル的に模倣可能”という立場をとっています。
「我々のような猿の脳であっても、747型旅客機のような複雑な工学成果を生み出せるという事実自体が証左であり、AIが人間の脳を再現・超越する可能性を示唆する」とハサビス氏は語っています。これは「人間の知能は驚くほど柔軟かつ汎用的であり、その理論的限界を問うことがAGI研究の究極テーマである」というメッセージでもあります。
8. 社会・学術界への提言
8-1. 産業界と学術界の役割分担
ハサビス氏は、「現在、AI研究の多くの資源(特にコンピュータとエンジニアリング力)は企業に集中している」と指摘します。一方、学術界には『企業が生成した大規模モデルを用い、解析や行動制約、社会影響の評価を行う役割』が求められていると強調しました。
学術界では、「AIモデルの挙動を解釈・検証するためのベンチマーク作成」や「AIが生成する不正確な情報(フェイクニュースなど)への対策」、「人間とAIの協調作業における心理・社会的影響の研究」といった領域にリソースを投入し、“企業が作るものをただ追いかける”のではなく、“新たな課題に先回りして研究を進める”ことが望ましいと提言しています。
8-2. 哲学・社会科学の貢献ポイント
単に技術的側面を追究するだけではなく、哲学・倫理学・経済学などの知見を取り入れた「学際的なAIガバナンス」の構築が不可欠です。IASのような多様なバックグラウンドを持つ研究者が集まる場こそ、AIがもたらす社会変革を客観的に評価し、「人間の目的や価値」を守りながら技術を運用する方法を模索するのに適しています。
ハサビス氏は、「たとえば、ポーカープレイ中のAIの“嘘をつく能力”や“偽情報を意図的に生成する能力”などを、神経科学や心理学的手法(fMRIやニューラルネットワーク解析など)を用いて解明することで、『AIが人間と同レベルあるいはそれ以上に社会操作を行うリスク』を事前に把握できる」と述べました。これは、「AIをただ脅威として恐れるのではなく、深い理解を通じてリスク管理を行う」という、学術的アプローチの重要性を強調するものです。
サー・デミス・ハサビス氏の講演「The Future of Knowledge」は、「AIが知の形成にどのようなインパクトを与えるのか」「どのような問題を選び、どのように取り組むべきか」「技術的成果を社会に還元しつつ、リスクをどう抑制するか」など、多くの示唆を与えてくれました。以下に本記事のポイントをまとめます。
AIは単なる技術的進歩ではなく、人間が「知をどのように定義し、獲得し、共有するか」に関わる根本的な問いを投げかけています。本記事を通して、読者の皆様が「AI時代の知識とは何か」を考える一助となれば幸いです。
