「コードは書くものではなく、意志を伝えるもの」——Andrej Karpathyが語るエージェント時代のAI研究と開発の現在地
Tesla AIのディレクターを務め、OpenAIの共同創業者としても知られるAndrej Karpathy氏が、ポッドキャスト「No Priors」に登壇し、AIエージェント・AutoResearch・オープンソースの未来・ロボティクスの展望について幅広く語った。同氏自身がここ数ヶ月で経験した実務上の変化は、単なる技術論を超えて、ソフトウェアエンジニアリング・AI研究・産業全体の構造変化を示唆している。
1. 「AIサイコシス」——12月に何かが変わった
1-1. 20:80から80:20以上への逆転
Karpathy氏は、2025年12月を境に、自分でコードを書く比率が劇的に変化したと述べた。「それまでは自分で8割、エージェントに2割という比率だった。今はその逆どころか、もっと偏っている。おそらく12月以降は1行もコードを書いていないと思う」と語った。
同氏は、この状態を「AIサイコシス」と表現した。何が可能かを探り続け、限界を試し続けるという意識の高揚状態だ。「できないことがあっても、それはスキルイシュー(自分の使い方の問題)に感じる。能力が足りないのではなく、まだ最適な使い方を見つけられていないだけだ」という感覚だという。
1-2. トークンスループットが「GPU稼働率」の代わりになる
興味深い比喩として、Karpathy氏は、PhD時代に「GPUが稼働していないと不安だった」と述べ、今は「サブスクリプションのトークンが余っていると不安を感じる」と語った。個人の生産性を最大化するためにどれだけのトークンを消費しているかが、今日の「リソース効率」の指標になっているという認識だ。
2. エージェント活用の現在地——Peter Steinbergerのアプローチと「Dobby」
2-1. 複数エージェントの並列稼働
Karpathy氏が理想とするのは、Peter Steinberger(OpenClawの開発者)が実践する複数エージェントの並列稼働だ。Steinberger氏は、「10のリポジトリをチェックアウトした状態で、各エージェントに約20分のタスクを与え、自分はそれらの間を動いて次の指示を出す」という方法で作業している。Karpathy氏はこれを「マクロアクション」と呼び、「ここに新機能を追加して、こっちに別の機能を追加して——を同時に複数エージェントに任せる」という働き方への移行として説明した。
2-2. 家のAIエージェント「Dobby the Elf Claw」
個人的な実験として、Karpathy氏は、「Dobby」という名前のホームオートメーションエージェントを作った。エージェントに「Sonosを見つけて」と伝えたら、ローカルネットワークのIPスキャンを行い、APIエンドポイントを逆エンジニアリングし、音楽を再生するまでの一連の操作をわずか「3プロンプト」でこなしたという。照明・HVAC・シェード・プール・スパ・セキュリティカメラまで統合され、「FedExトラックが来た」などの通知をWhatsAppで受け取る環境を構築した。
このエピソードが示す本質的な示唆は、「複数の専用アプリが不要になり、エージェントが全ての機器をAPI経由で統合できる」という将来像だ。「これらのアプリはそもそも存在すべきでなく、APIが公開されてエージェントが直接使えばいい」とKarpathy氏は述べた。
3. AutoResearch——研究者自身をループから外す
3-1. 「人間が研究のボトルネックになってはいけない」
Karpathy氏が提唱する「AutoResearch」の核心は、研究者自身がボトルネックにならない仕組みの構築だ。「少ないトークンを時々入れるだけで、大量の処理が自分の代わりに走る状態を作る——これが今の目標だ」と述べた。
自身のLLMトレーニングプロジェクト(nanoGPT等の流れを汲む「nano-llm」)で実際に試したところ、「2週間かけて自分が最適化したハイパーパラメータを、一晩のAutoResearchが上回った」という結果が出た。具体的には、バリューエンベディングのweight decayの見落としや、Adamオプティマイザーのベータ値の相互依存関係を、エージェントが自律的に発見した。
3-2. 「オートリサーチの民主化」構想
さらに大きな構想として、インターネット上の信頼されていない外部ワーカーが参加できる分散型の研究システムを考えていると述べた。検証が容易な課題(モデルの改善コミットが実際に性能を上げているかどうかのチェックは安価にできる)であれば、「誰かが1万回の実験をして最良のコミットを出してくれれば、それを検証するのは簡単」という非対称性を活用できる。
これはBlochchain的な概念にも似ており、「proof of workが実験そのもの、報酬がリーダーボードへの掲載」という仕組みを構想している。折ると「世界中の分散コンピュートがLLM改善に貢献できる日が来るかもしれない」と述べた。
4. モデルの「ジャギネス」——強い部分と弱い部分が共存する理由
4-1. RL(強化学習)で改善できる領域とそうでない領域
Karpathy氏は、モデルの「ジャギネス(凸凹)」という問題を指摘した。コーディングや数学のような検証可能な領域では劇的に改善されているが、「なぜ5年前と同じジョークを言うのか」というような非検証的な領域では改善されていない。
「モデルが強化学習で最適化できるのは、基本的に検証可能なことだけだ。ジョークの面白さは報酬関数に入れにくい。だから最高のコーディングエージェントが、ひどいジョークを言い続ける」という構造的な限界がある。
4-2. モデルの「種分化」はまだこれから
単一の万能モデルを目指す「モノカルチャー」から、特定ドメインに特化した「スペシャライズドモデル(種分化)」への移行が来るべきかという問いに対して、Karpathy氏は「来るべきだが、まだ十分に起きていない」と答えた。ファインチューニングで特定領域を伸ばしながら他の能力を失わずに済む技術が十分に発達していないことがその理由だという。
5. オープンソースモデルの将来——「偶然にも良い構図」
5-1. クローズドモデルとの差は6〜8ヶ月程度
オープンソースモデルのクローズドモデルへの追随について、Karpathy氏は、「以前は18ヶ月ほど遅れていたが、今は6〜8ヶ月程度まで縮まっている」と述べた。Linuxがサーバーの過半数を動かしているように、「業界が共通のオープンプラットフォームを必要とする需要は常にある」という認識だ。
「閉じた世界だけになるのは中央集権化であり、歴史的にも悪い前例しかない。オープンソースが少し後ろにいる現状は、結果的に良いパワーバランスを作っている」と述べた。
6. 雇用への影響——「ジェボンズのパラドックス」とデジタル空間の大変革
6-1. ソフトウェアは「希少性」から解放される
米国労働統計局のデータを調べたKarpathy氏は、ソフトウェアエンジニアの需要が増加傾向にあることについて、「ジェボンズのパラドックス」で説明した。ATMが普及したら銀行員が増えたように、「ソフトウェアのコストが下がれば、求められるソフトウェアの量が増えて需要は増える可能性がある」という見方だ。
「デジタル空間には莫大な"未処理の仕事"が積み上がっている。人類が集合的に考える時間が足りなかっただけで、そこへAIが入れば信じられないほどの量のデジタル作業が一気に解放される」とも述べた。
6-2. デジタル→インターフェース→物理世界の順序
物理空間(ロボティクス)への展開については、「デジタル空間は光の速さで変化するが、物理空間は原子を動かすため遅い。まずデジタルが大変革し、次にデジタルと物理の接点(センサー・アクチュエーター)、そして物理空間全体へという順序で進む」という見通しを示した。物理空間の市場規模はデジタルよりも大きい可能性があるが、時間がかかるという認識だ。
おわりに
Karpathy氏が示した視点の核心は、「エージェントが得意なこと(検証可能・繰り返し可能なタスク)はどんどん委任し、自分は方針決定と数少ない独自のビット(誰も思いつかないアイデア)に集中せよ」というものだ。教育・研究・ソフトウェア開発という三つのフィールドにわたる彼の観察は、AIが特定の産業を超えて社会全体の「神経系」を書き換えつつあるという大きな変化の断面を示している。
