売上100万→10億の6年間。「10xを叫ぶ社長」と「ミスを許さない私」がぶつかり、折れて、見つけた景色。
株式会社すんでに入社して、約6年。
役員(取締役)になってから、約4年の歳月が経つ。
創業当初は、売上100万円以下だった会社は、今や10億円規模になった。
実に、1,000倍のスケールである。
この急成長の裏側に、綺麗な成功物語などない。
あったのは、IT業界(楽天)出身で「10x(テンエックス)」を叫ぶ社長と、 デベロッパー出身(日鉄興和不動産)で「ミスは死に直結する」と信じる私との、 終わりのない、泥臭い価値観の衝突であった。
これは、一人のベンチャー企業のNo2が、「正しさ」への執着を捨て、「心身ともに健康でいる」という最大の戦略を手に入れるまでの記録である。
目次
プロローグ:役員の仕事は「心身の健康と平穏」を保つこと
第1章:「100倍なんて無理だ、お客様を見ろ!」
第2章:崩壊と、自分を見失った期間
第3章:謝罪、そして「一人の人間同士」としての再出発
第4章:「すんで」流・育成とコミュニティの美学
第5章:「負けず嫌い」からの卒業
結び:仕事は最高の趣味、家族は最強の生き甲斐
プロローグ:役員の仕事は「心身の健康と平穏」を保つこと
2026年5月。 現在の私のルーティンは、驚くほど平穏である。
朝早くに起き、出社。
コーヒー☕️を飲みながら、午前中に主要な作業を終わらせる。
ランチは午後の集中力を切らさないよう、少なめに食べ、 午後は体を動かし、夕方には妻(育休中)と息子の待つ家へ、一刻も早く帰る。
かつての私が今の私を見たら、こう断じたかもしれない。
「役員がそんなに早く帰って、会社は大丈夫?」と。
当時の私は、文字通り 「自分がいないと、この会社は回らない」と信じ込み、 あらゆる実務の結節点に、自分を置いていたのである。
「株式会社すんで」に参画して、約6年。
創業当初、売上100万円以下だった会社は、今や10億円規模になった。 実に1,000倍のスケールである。
この急成長の裏側に、綺麗な成功物語などない。
今回は、創業社長:岡野(すんで埼玉)と歩んできた、泥臭い成長ストーリーをお届けしよう。
第1章:「100倍なんて無理だ、お客様を見ろ!」
私は、仕事面、特に実務においては、いわゆる「石橋を叩いて渡る」人間である。
新卒で入社したデベロッパー時代、仕事のミスは「製鉄所での重大事故=人の生死にかかわる」と同義であった。
私は新日鐵(日本製鐵)出身の上司に育てられたため、 ミスがあると人が死にかねない、という、工場や製鉄所と同じ発想、いわばブルーカラーの安全管理が、仕事観の根底にある(ことに辞めてから気付いた)。
一歩間違えれば、誰かの人生を壊してしまう。
だからこそ、細かいミスを解きほぐし、 一つひとつ論理的に解決していくのが私の得意領域であったし、そういう発想しか、私は知らなかった。
しかし、それは裏を返せば「スケールしにくい」という弱点でもあった。
そんな私の前に立ちはだかったのが、社長の岡野(すんで埼玉)である。
彼はIT業界の雄、楽天出身。性格もまさに楽天的で、 掲げる標語は常に「10x(業績を10倍・100倍にすること)」だ。
細かいことを気にせず、ミスを恐れず、 すべてをスケールさせることを考える彼とは、この6年間、幾度となく、ぶつかった。
入社して以来、私は2〜3年の間、社内で唯一の不動産実務経験者であり、社内で唯一の宅建士でもあった。
実務の最前線で、重要事項説明書や契約書の一言一句に神経を尖らせている私に向かって、 彼はいつも「100倍」を説く。
こんなやりとりが、時に感情的に、繰り返された。
「周さん、Aさんが作ってくれた書類ですが、誤字脱字がたくさんあります。修正印を押せばいいという問題ではないです。目の前の1つ1つの細部に、こだわりを持ちましょうよ」
「南さん、その通りですね・・(スマホポチー)」
大事な話してるのに、スマホ見んなよ、興味ないのかよ、とイライラしつつ、私は続けた。
「1私は目の前のお客様に向き合い、ミスをゼロにしたいです。お客様にとっては一生に一度しかないかもしれない家購入だから。
100倍にすることより、もっと重要なことがあるのではないでしょうか」
正論ではあるが、今思えば、私は「宅建士」「実務家」という専門性の殻に閉じこもり、 希少性を持たせたい、こだわりを強調することで自分の存在価値をアピールしていた部分があった、と今振り返って思う。
どこかバランスを欠いた価値観だったのだ。
会社を10倍、100倍にするという発想を持つことよりも、 お客様への誠実さを隠れ蓑に、自分の「正しさ」や「存在価値」を守ることに必死だったともいえる(もちろん高いクオリティの実務をこなしてきたことに対しての自負はあるが、それとこれとは別問題だ)。
岡野とのやりとりは、平行線を辿ることも多かった。
当時、キャッシュに余裕がなく、目の前の売上を重視したい、という背景もあったのだろう。それは社長として、当然のことだと思うし、私に足りない視点だった。
これら、役員2人の個性の違いが当社の強みになっていると、今では思えるが、 当時はその「断絶」に苦しんでいた。
第2章:崩壊と、自分を見失った期間
2023年、2024年と、売上が上がり、日本橋にオフィスをオープンするなど、組織が拡大するにつれ、 歪みは「不協和音」となって現れた。
2025年。 私と社長のコミュニケーション不全は、決定的なものになった。
役員は、私と社長の二人だけだ。 その二人の意思疎通がうまくいかなければ、社内の空気は一瞬で淀む。
私は当時、どこか勘違いをしていた。
「社長と徹底的に議論しないほうが、うまくいく」
「あいつと俺は違う、俺は俺の仕事をするだけだ」
そうやってクールに振る舞うことが、 プロの役員としての姿だと思い込んでいたのである。いつも間にか、岡野との会話が減っていった。
自分の仕事を全力でやってきたことや、それを支える価値観は、今でも誇りに思っているが、 組織というのはそれだけでは回らない。
「正論」を振りかざす姿は、現場の社員にとっては「否定」や「圧」として受け取られた。 経営陣が問題に向き合わないたびに、社内には毒が回っていった。
結果として、20名程度まで成長していた社員は、15名程度まで減った。 いわゆる、大量離職である。
私は会社のため、社員のため・・と考えて、動いてきたつもりだった。 しかし、それがすべて裏目に出てしまったと思い、辛くなった。
「何のためにここまで頑張ってきたのだろう。私は、すんで社には、必要のない存在だったのではないか?」
そう感じてしまい、私は少しの間、会社を休んだ。 人生で初めて(ではないが)、心が折れた瞬間であった。

第3章:謝罪、そして「一人の人間同士」としての再出発
休み中も、断続的に、私は社長と腹を割って話した。
何を話したのか、メモも残っていないので、細かくは覚えていない。
だが、根本にある
「お客様を大事にしたい」
「不動産が好きだ」
「すんでコミュニティを発展させたい」
「自分自身も成長させたい」
こうした思いは一致していたし、信頼関係そのものが揺らぐことはなかった。
休み明け、私たちは経営陣として、残ってくれた社員に謝罪する場を設けた。
しかし、その当日。
私たちは直前まで話し込み、開始時間に少し遅刻してしまった。
その時、ある社員から率直な指摘が飛んだ。
「そういうところが良くないと思います」と。
ハッとした。
今までの自分なら
「重要な話をしていたのだから、仕方ないでしょ」
という傲慢な態度が、無意識のうちにあったかもしれない。
しかし、役員と社員という関係性の前に、ひとりの人間同士である。
約束を守る。相手を尊重する。 そんな当たり前のことを忘れていた自分を、心より恥じた(岡野もそうであろう)。
一方で、ボロボロな会社であるにもかかわらず、
「私はまだ、すんでで続けたいです」 とまっすぐに前を見据え、言ってくれた社員もいた。
その言葉がどれほど嬉しかったか。
私も岡野も、奮起した。
そこからは週に一度、岡野としっかりミーティングをするようになり、 避けていた「熱量」を正面からぶつけ合うようになった。
新たな役員として、元お客様でもある「かずき」が加入し、コミュニケーションの幅が増え、全体的なバランスが取れた。
2026年、大きな決断をした。
オフィスを移転し、パーテーションのないワンフロアに全員が集まれるようになったのだ。家賃は爆上がりしたが、必要な投資だと思っている。

つまり、物理的な距離が近づくことで、 ようやく私たちの「言葉」が体温を持って伝わり始めたのである。
一旦激減した社員数も、25名程度まで増えており、日々の苦労はありながらも、なんとか会社は回っている。
創業以来、6期連続増収増益という事実は、私にとっても、誇りである。

第4章:「すんで」流・育成とコミュニティの美学
会社が10億円の壁を超えるためには、 私一人で実務を握る、属人的モデルからの脱却が必要であった。
かつては私自身が、岡野や「とり」に仕事を教え、 のちに入ってきた「こーだい」や「げん」、「そういちろう」といった 経験者と未経験者で組み、チームを作ってきた。
最近では、とりの下に元フジテレビアナウンサーの西岡さんが入るなど、 いい循環が生まれている。
育成において特段のメソッドはないが、 「未経験でも、それはお客様には関係がないことですよ」ということはよく伝えている。
最近は、リーダー「かつ」や事務の「まな」たちが、マニュアルを整備してくれるなど、 仕組み化も進んでいる。「もり」はじめ、バックオフィスのメンバーも、素晴らしい働きぶりだ。
現在は、育成の多くを現場のリーダー層に任せている。
とはいっても、「こうしたらいいのに」と思う瞬間は、今でもある。
私の悪いクセで、すぐに口を出したくなる。
しかし、それは最適なアプローチではないことだと自戒し、 なるべく口を出さないようにしている。
もちろん、ミスする、と確信している時や、 お客様を幸せにできないと感じる時は、別である。
口を出す、出さないのバランスには今も腐心しているし、正解は見つけられていないが、それが私の役割だ。
私たちの武器は、AIには決して出せない「おもしろい発想」である。
例えば、不動産屋が「すんでSHOP」なるイベントを開催し、2,000体にも及ぶ(150万円+税)のフィギュアを配る。 一見、合理的ではないかもしれないマーケティング手段だ。

しかし、この「面白くて心に残る」体験、対面での思い出こそが、個々人の SNS発信を補完し、コミュニティの信頼を強固にする。
「人生を楽しみ尽くす」。 かっこよく言うとこのブランドのあり方こそが、他社には真似できない「すんで」の価値なのだ。

第5章:「負けず嫌い」からの卒業
最近、岡野と、営業「こーだい」と3人で、シンガポールへ行った。
そこには、何のわだかまりもなかった。

すんでに入社する前の自分だったら、岡野との関係のように、一度うまくいかなくなった相手に対しては、 「むかつく」「ひどいやつだ」「負けるもんか」と肩肘を張っていた。
それは、負けず嫌いで努力家な一面でもあったが、 同時に自分に大きな負担をかける思考回路であった。 それでは人間関係もうまくいかない。
今は違う。
相性が悪い同僚がいても、それはそれで仕方がない。 相手をコントロールしようとせず、「自分とは違う」と言い聞かせる。
自分自身がストレスを感じてイライラすると、社内全体の雰囲気が悪くなる。 役員の不機嫌は、組織にとって有害である。
だから私は、最低限の機嫌の良さを保つために、 中間管理職をうまく挟み、自分のルーティンを守る。
それは逃げではなく、組織を健全に回すための「技術」である。
結び:仕事は最高の趣味、家族は最強の生き甲斐
昨年秋に息子が生まれた。 彼を育てること、それが私の生き甲斐である。
彼を見ていると、仕事への執着が「いい意味で」解けていくのを感じる。 会社は大事だが、家族はもっと大事である。

私にとって仕事はもはや、最高の「趣味」と言い切れる。 趣味だからこそ、本気で楽しみ、本気でこだわり、 そして誰よりも熱く成長させたいのだ。
創業以来の増収増益は、まだ通過点である。 まだまだ足りない。せっかくだから本気でやりたい。
ただし、それは「機嫌よくできる範囲」で、である。
社長が叫び続けてきた「100倍」の景色を、 今なら私も、この25名の仲間(仲間募集中!)と共に、 楽しみながら見に行ける気がしている。
在庫はまだ1500体以上ある。
コッカラッス!

