かくして、僕は今日も昭和映画館に足を向ける。
今より、ずっと混沌としていた時と街で、
僕は映画の森の中を彷徨い、何かを探し続けていた。
何を、って?
それが分かっていたら、あんなに映画に夢中になれるわけない。
けれど、求めているものが、そこにあって、いつか見つかる気がした。
だから僕は今日も、ポケットの中の期待と不安が溶け合った感情を握りしめて、昭和映画館に足を運ぶ。
第1回 「青幻記〜遠い日の母は美しく〜」
第2回「さらば友よ」
Column #1 かくも主観的なハードボイルド考察
Column #2 またも主観的「さらば友よ」タイトル比較論
フランスとイタリアの共同合作となった「さらば友よ」は最初にフランスで公開され、後にアメリカでも公開された。フランス・バージョンではブロンソンがフランス語を話せないので吹き替え、逆にアメリカ・バージョンではブロンソン以外が吹き替えだった。
この映画、どうしても英語で観る気がせず(いや、フランス語でも英語でも原語では分からないんだけれどね。雰囲気、雰囲気)未だに観ていないのだけれど、やっぱりタイトルから考えても、これはフランス語文化の映画なのではないか、と思う。
では、最初にフランス語タイトル、「Adieu l'ami」。
ここで妻の登場。
「フランス語で『さよなら』は普通『au revoir』よね。『Adieu』は死者への最後の挨拶とかもう二度と会わない、長いお別れの時とかに使うの」
なるほど。
「amiっていうのは友のこと。男性形ね。フランス語には男性形と女性形があって、女性形の場合はamie、eが末尾につくことが多いんだけれど、この語源はうんぬんかんぬん…」
意外とこの映画、観てるじゃん、奥さん。
ともかく、l'は定冠詞だから、その友、みたいな雰囲気になるんだろうけれど、『Adieu l'ami』という、たったこれだけの短いセンテンスの中に、二度と会わない、男友達との、別れ、というニュアンスが込められていることを考えれば、んー、マンダム。じゃない、フランス語は奥が深い、とまったく無知な私でも思ってしまう。
次に英語版タイトル、『Farewell,Friand』。
FarewellもAdieuと同じくGood byより重い別れの言葉だし、Friendも友人なんだから英語版タイトルもフランス語版タイトルと変わりないんだけれど、どうしても露出度の高いワードだし、男性形の友、に比べるとFtrendは「おともだち」的雰囲気に感じられてしまい(もちろん主観だ)、どーにも軽く感じていた。
けれど歳を取って感想が変わってきたせいか、割とさっぱりでいいじゃん、なんて思い始めてきた。結末を考えると、これくらい乾いている方が似合っているのかもしれない。
R・チャンドラーも自著に「Farewell,My lovely」ってタイトルつけているし。
最後に日本語版タイトル、「さらば友よ」。
「さらば」はとくに長いお別れに使われるわけではないので、FarewellとかAdieuとは若干、意味合いは異なる。
では、この言葉を日常的に使うか、というと、古語だし、口語で使う人はいないだろう。
けれど、この言葉は意外に頻繁に使われている。とくに音楽や小説などのタイトルとして。
その多くはとても日本的な感傷が含まれていて情緒的だ。たぶん、誰でも「さらば」という言葉がついたタイトルの1つや2つは思い浮かぶだろう。その意味において「さらば」は日本人に染みついた違和感のない言葉であると同時に、この映画の大切な部分を表していると思う。
チャンドラーの「Farewell,My lovely」も名翻訳家、清水俊二さんが「さらば愛しき人よ」って訳しているし。
余談だが、村上春樹さんはチャンドラーを何冊か訳している。村上さんのファンの方はそれでも面白い、と思うだろうけれど、チャンドラー(さらに言えば清水俊二さんの翻訳)ファンが読むと、んー…とどうしても唸ってしまう。
『さよなら』かよ、、そこ…。
「さらば友よ」のタイトルだけで仏、英、日の比較をしたところで映画の本質が変わるわけではないし、どれがベストなんて言うつもりはないけれど、やはり言語の文化が表れていると思う。自分なりに解釈して、どれがぴったりするか、ぜひ、もう一度、この映画を観て感想を持っていただきたい。
Column #2 END

