【推し活小説】『I love Thai actors. 〜タイ沼民はみんな主人公〜』 Case 1:Yui ーーI'm really into Bright.——
※作中に実在するタイ俳優さんの名前、ドラマの作品名を出させて頂いてますが、この物語自体はフィクションです。動画や雑誌の描写は実在のものとは関係ございませんのでご留意ください。
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カーン。
願いを込めて込めて投げた五円玉が賽銭箱の角に当たって、跳ね返ってきた。足元に転がってきた五円玉を拾う。
こんなことある?何?拒否られた?
私は一人で、ひと昔前にパワースポットと謳われた神社にきている。
高校の時に一軍女子の舞可が
「親と一緒に行って、お参りしたら彼氏が出来た。大学の推薦受かった」
と自慢していたことを思い出す。
大人になったら、行ってみようと思っていたんだ。
いざ来てみたら、普通の神社に見える。
おそらく、当時は多くの人で込み合っていただろうが、今日は3連休だというのに私以外の参拝客は3名ほどしか見当たらない。
神聖な場であることには違いないそう思ってお参りしたら、投げた賽銭が賽銭箱に入らなかった。
願い下げされたみたいで悔しいから、五円玉をもう一度投げ入れた。
いいことがおこりますように……。
今夜泊まる宿に辿り着く。
着物姿の女将が出迎えてくれた。
ロビーの絨毯はすっかり色あせ、歴史を感じさせる少し古びた温泉旅館だ。
通された十畳の和室には、畳の青さなどとうに消え失せた、日焼けした焦げ茶色の空間が広がっていた。
窓を開けると、川のせせらぎに混ざって、ほんのりと硫黄の香りが部屋に流れ込んでくる。
お洒落でも、特別豪華でもない。
今の私に似合っている。落ち着く。
中居さんがお茶を淹れて「ごゆっくり」と部屋を出ていくのと同時に、
バッグの中のスマホが震えた。
『旅行楽しんでる?結衣の好きな限定品が駅前のコンビニに売っていたから買っておいた』
ありふれたメッセージが映し出される。
彼氏の拓真からだ。
めんどくさいから彼氏には友達と来ていると言ってある。
一人で行くと言ったら、一緒に行くと言い出しかねない。
拓真とは7年前に出会った。取引先の社員だった。その取引先は、名前を言えば誰でも知っている老舗メーカーだった。潰れるわけがない、そう思われている会社の一つ。
27歳の頃そろそろ結婚したほうが良いのかなとも思った。
同じタイミングで拓真が「転職しようと思う。仕事が落ち着いたら、結婚しよう」と言い出した。
今の時代転職なんて、珍しくもない。エージェントもいる。
だけど……。
拓真はその後も3回、転職をした。
3度目の正直という言葉もあるし……。
と思っていたら、先月、また会社をやめて、求職中だ。
壊れる前に逃げ出すことが出来るのが彼の強みなのかもしれない。
私は新卒で就職した会社にしがみついている。私だって、辞めたいと思ったことは沢山ある。上司や部下のことを心の中で皮肉めいたニックネームで呼んでなんとか乗り切っている。
「俺は氷河期世代で苦労したんだよ。坂下さんはぬるっと就職したんでしょ?うまくやってよ。頼りにしてるよ」
が口癖の上司。ニックネームは『氷(ひょう)』。
氷河期世代を盾にする。部下を信頼している風の言葉でごまかして、具体的なことは言わない、結局冷たい。自分より上の人間にはすぐ溶ける。『氷』
「このマニュアル、見にくい。使えない」
文句だけ一人前、口だけで自分から動かない部下。
ニックネームは『モアイ』。
面長の顔、切れ長の目、見た目もモアイ像を彷彿させる。
おそらく、無自覚だろうが時々敬語を忘れる……。
『嫌われる勇気』って本を拓真が読んでいた。私の前でこれ見よがしに。
ちゃんと読んでないから本の内容はわからない。
ただ、拓真が職場で嫌われるようなことをして、正当化しようとして読んでいるのでないかと気になった。
私は嫌われないように振る舞うのも仕事のうちだと思う。30過ぎて、嫌われるのが怖いとは思わない。だけど……モヤモヤする。
衝動的に一人旅をしたくなるくらいには。
中居さんが淹れてくれたお茶を一口飲んだ。
力が抜ける。考えたくて、一人旅にきたのではない。
リフレッシュするために来たのだ。
「ああ、もう!」
誰に聞かせるでもなく叫んでみたら、川のせせらぎにかき消されて、思いのほか情けない声だった。
ひとり旅先で叫ぶ33歳、ちょっと痛い。
テーブルの上に新聞のテレビ欄のコピーが置いてあった。
「チャンネルこれしかないわけ。Wi-Fiあるんだから、サブスク入れればいいじゃん」
一人旅、一目を気にせず文句を言ってみた。
それでもリモコンを手にして、チャンネルを回した。
たまたま映ったBSチャンネルで聞き慣れない言語のドラマが放送されていた。なんとなく気になって見入ってしまった。
これ、何語?
彫刻のように整った顔の俳優が出てきて、手にしたままだったリモコンを落としてしまった。
「これ、実写?CG?アニメ?」
目をこすって、瞬きして画面を見つめる。実写だった。
その後は字幕ではなく、俳優の顔を追っていたのでストーリーはまったく入らなかった。
33年生きてきて、初めてドラマのエンドロールを凝視した。
ドラマのタイトルは『2gether』 制作GMM タイランド
集中して、記憶した。
あの二次元よりのビジュのイケメンは…
ワチラウ…
長すぎて覚えきれなかった。
エンドロールが終わるとすぐに覚えられた単語をスマホに入力して検索した
あのイケメンの名前は
『ワチラウィット・チワアリー』
ニックネームは『ブライト』
「ブライト君、好き」
私は恋に落ちるみたいにタイ沼に落ちた。
ブライト君に関するSNSをフォローしまくった。
動画サイトで動画を見あさる。記事を読みまくる。
中居さんが
「お食事の準備をさせて頂いてもよろしいでしょうか」
と聞かれるまで。
夜、露天風呂に浸かる。他にお客はいなかった。白濁の天然温泉。
目を閉じてブライト君のあの彫刻のような美しい顔を思い浮かべる。
同時に動画のインタビューの
「昨日の自分より、ほんの少しでも前に進みたい」
という字幕も。自動翻訳の白い文字。タイ語は一単語も分からない。
ブライト君の想いはスマホの熱と一緒に伝わった。
「前へ……」
涙がこぼれた。
うまくやれてるとおもっていた。
強くなったし、適応力もついた、リスクも管理してる、効率だって考えてる。
資格を取りたい?転職をしてキャリアアップしたい?
違う、私の方法で前に進みたかったんだ。
上をみあげる。星が出ていた。
この空はタイと繋がっている。
「ブライト君、私も前に進みたい」
その夜、旅館のふかふかの布団に包まれて、
再びスマホを開く。
何か、ヒントが欲しかった。
ブライト君のインタビュー記事を見つけた。
『演技という仕事を通して、人がどんな性格をしていて、何を感じて、どう考えているのかを学んでいる』
氷とモアイに私はラベリングをしてしまっていたのかも……。
翌日、私は東京に戻った。
休み明け、いつも通りに出社する。
いつものオフィス。変わらぬ自分のデスク。
引き出しにこっそり、ブライト君の写真を忍ばせた。
ブライト君が応援しているみたいで、頑張れた。
「このチャートじゃたどり着けないっすよ」
午後、モアイがまた文句を言った。
反射的に言いそうになった「まあまあ」を飲み込む。
前へ……。
「では……佐藤さんがもっと分かりやすく作り直してみませんか?」
モアイ、固まってる……引かれたか……。
「え、いいんですか?やってみたいです、それ」
意外だった。モアイの細い目が垂れるのを初めてみた。
ちゃんと相手を知るためのアプローチをしないといけなかったんだ。
ブライト君ありがとうございます。私、前に進むね。
氷が指示出しにやってきた。
「プレゼンの準備うまくやっておいて」
反射的に言いそうになった「かしこまりました」を飲み込む。
前へ……。
「いつも『適当にうまくやって』っておっしゃいますけど、その“うまく”って、具体的にはどういうことですか?」
氷は一瞬、言葉に詰まった。
「もう、うまくはうまくだよ。氷河期世代のおじさんをいじめないで。ジェネハラだよ」
「ですよね……。うまくやります」
この人は氷河期世代を生き抜いてきたのだ。
私は氷河期世代がどれほど過酷だったのか知らない。
具体的なこと言わないことで自分を守ってきたのかもしれない。
私は氷のことをまだ知らない。なら現状を否定はできない。包み込もう。
ブライト君、私はあなたのおかげで心が何倍も広くなりました。
上司でも部下でもない拓真とは……。
拓真と会うのは、これで最後になるかもしれないと思っていた。
「話があるんだけど」
そう切り出すと、拓真は驚くほどあっさり頷いた。
「うん、なんとなく分かってた」
拒否も、引き止めもされなかった。拍子抜けするくらい静かな別れ話だった。
「結衣、最近変わったよな」
拓真がぽつりと言った。責めるでもなく、ただ事実を述べるように。
「転職ばっかしてる俺のこと、ずっと呆れてただろ。でもさ、俺は俺なりに、その都度ちゃんと考えて選んできたつもりだったよ」
「分かってたよ。……それを認めたら、私達の価値観の違いがはっきりしちゃうから……でも、はっきりさせないといけなかったんだよ。お互いのために」
「……」
「……ごめん」
謝る理由すら分からない。
一人にはなったけど、前には進めた。
帰り道、ふと思い出す。あの神社の5円玉。
あの時は拒否られた、と思っていた。
今は「的外れな願いを、跳ね返してくれたんじゃないか」って思える。
やっぱり、あの神社はパワースポットだったのかもしれない。
数ヶ月後。
私は一人で、ブライト君の来日ライブに来ている。
隣の方も一人できているようだった。
思い切って声をかけてみた。
「あの、お一人でいらしたんですか?」
「はい」
「私も一人できていて、よかったら、お話ししませんか」
「はい。ぜひ」
二人でブライト君の魅力について、話し出したら止まらなかった。
会場のライトが落ちる。
私達は言葉の代わりに数秒見つめ合って、すぐにステージへ視線を向ける。
歓声が上がる。
ステージに向かって、思いきり手を伸ばした。
I'm really into Bright.
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END
