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上杉謙信は元々、上杉ではなかった~長尾景虎に託した「上杉」の名~


もともとは、上杉ではなく長尾だった

上杉謙信は、もともとは長尾景虎という人でした。ではなぜ、上杉謙信と名乗るようになったのか?実は私も小田原に来てから知りました。以前に上越市の春日山の麓に住んでいたにもかかわらず知りませんでした。

以外と知られていないのでは思い、関東の戦国時代史を書くうえでは、順番が少し後のはずなのですが、ここを先に書いておくことにしました。

なぜ、越後の上杉謙信が関東の小田原北条に攻めてくるのか不思議に思われる方もいると思い、先に記載することにしました。

なぜ、上杉と名乗ったのか?

では、本題のなぜ、上杉と名乗ったのか?です。
実は、もともと上杉家の当主と名乗る人物が関東にいました。

その人は、上杉憲政(うえすぎのりまさ)という人物です。この人は、山内上杉氏の当主であり、第29代関東管領を務めた人でした。

結果から言うと、この人から家督と関東管領を譲り受けたということになります。では、なぜ越後の長尾景虎(上杉謙信)が、譲り受けたのかということです。

なぜ、上杉を譲り受けたのか?

ここからが、本当の本題になります。関東管領である上杉憲政は、実は北条氏康に川越城(埼玉県川越市)の戦いで破れ、拠点の平井城(群馬県藤岡市)も攻められ、越後の長尾景虎の所に逃げ延びてきたのです。*川越城の戦いは、又の機会に記事にします。

山内上杉氏といえば、小田原北条氏が台頭するまでは、関東を治めていた名門です。複数の国の守護に任命される関東最大の大名でもありました。

そして、山内上杉氏の家督と関東管領を長尾景虎(上杉謙信)に譲り、関東に攻めに出てくれるようお願いしたのです。これを長尾景虎(上杉謙信)は承諾します。

これを承諾した長尾景虎(上杉謙信)は、小田原城の北条氏康を攻めにくる大義名分ができ、小田原城を攻めにきます。

しかし、北条氏康に籠城され攻めきれず、鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝し、名前を上杉政虎(のち上杉謙信)と改名し関東管領に就任して帰路に就きました。

関東管領を名乗るということは

関東管領を名乗るからには、関東の武士をまとめ上げる必要があります。

そうすると、越後から関東に出てこなければなりません。また、山内上杉氏の後継者として本拠地の回復も図ることも必要になります。

いわゆる「越山」です。山を越えて関東まででてくるわけです。当然、雪深い冬は無理なので、そこを避けてということになりますが、越山は十数回といわれています。

結果的には、無理があったのかなと思います。一定の成果を上げても越後春日山に引き上げた後、すぐに北条方に回復されてしまいます。大義を重んじる上杉謙信は、晩年は京都の室町幕府に意識がいっているようでした。

謙信は、すべてを損得考えず「義」のみで引き受けたようです。

本来なら小田原北条氏とここまで戦う筋合いはなかったはずですが、このような経緯から、北条氏康と上杉謙信は、睨み合うようになりました。

二人の関東管領が同時に存在

この時期、もう一人の関東管領がいました。その人は、小田原の北条氏康です。先代の北条氏綱が、古河公方から宿敵小弓公方を倒した戦功を評価され関東管領に就任していました。それを北条氏康が継いだ形となっていました。

これは、のちの越相同盟で上杉謙信に一本化されることなります。一方、北条氏康は、外戚にあたる古河公方の息子、義氏を正統な古河公方として上杉謙信に認めさせます。

ただしこの同盟がきっかけとなり、謙信亡きあと跡目争いを引き起こします。

いわゆる「御館の乱」です。越相同盟で北条氏康が自分の息子三郎を上杉謙信の養子として差し出します。謙信は、景虎の名を与え上杉景虎として大切に扱います。

しかし、謙信亡き後もう一人の養子である上杉景勝と跡目争いが巻き起こることになります。これも近いうちに記事しようと思います。

御館の乱の現場、新潟県上越市にある御館跡 

このような経緯から上杉謙信が誕生することなります。

ただし、実際の山内上杉氏の本拠地は、平井城(群馬県藤岡市)というのが妥当のような気がします。私的には、山内上杉氏の歴史は、上杉憲政で一度終止符を打ったように思えます。

上杉の名を残した功績は素晴らしいことだと思いますが、上杉謙信という名は、一代で築いた偉大なカリスマを持った固有名詞になっている感じがします。

おわりに

上杉謙信は、山内上杉当主の上杉憲政から上杉の名を譲りうけ上杉謙信となりました。同時に関東管領も譲り受けたため、関東まで攻めに来ざるを得ないという状況になりました。

もし、上杉氏を譲り受けていなければ、こんなに有名な戦国武将として後世に名が残ることがなかったかもしれません。また、京都に上洛することもなかったかもしれません。

新潟県上越市にある春日山城址
春日山城からの眺め

関東の戦国時代は、複雑に絡みあっているため、ひとつづひも解いていく感じで、今後も綴っていきたいと思っています。

関東の戦国時代前半戦の主役である、鎌倉公方と関東管領山内上杉氏と相模守護扇谷上杉氏についても機会を見て記事にしたいと思っています。

今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

参考文献

対決の東国史⑦ 小田原北条氏と越後上杉氏  著 簗瀬大輔 吉川弘文館

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