【幸せとは何かを考えるきっかけに】とある動物と少年の話。約束の砂
私たちはなぜ、
失うことでしか、
そのものの本当の価値に気づけないのだろうか。
満ち足りている時には見えない。
すべてを失い、
砂漠の真ん中に放り出された時にだけ、
ぽつりと浮かび上がる真実がある。
そこに、
一頭のラクダがいた。
背中のコブは萎び、
膝は酷く曲がっている。
かつては多くの荷を運び、
砂嵐を幾度も越えた。
だが、老いた。
動けなくなった。
役に立たないと判断された瞬間、
飼い主は紐を切った。
容赦のない世界だ。
そこに、
一人の少年がいた。
小さな背中。
怯えた瞳。
彼は、
愛するはずの両親に捨てられた。
理由はわからない。
ただ、
自分は不要な存在なのだと、
幼い心に深く刻み込まれた。
広い、広い、乾いた砂漠。
孤独と孤独が、
風の吹き溜まりで出会った。
老いたラクダと、
捨てられた少年。
彼らは言葉を交わさない。
ただ、寄り添った。
少年がラクダの硬い毛に顔を埋めると、
ラクダは静かに息を吐いた。
その体温だけが、
冷え切った夜の砂漠で唯一の救いだった。
「僕たち、似ているね」
少年は笑った。
ラクダもまた、
優しい目で少年を見つめた。
彼らは生きるために歩き出した。
老いたラクダは、
最後の力を振り絞って少年を背に乗せた。
少年は、
ラクダのためにわずかな水を必死で探した。
誰からも必要とされなかった命。
それが、
互いにとっての「すべて」になった。
社会的な価値など、
どうでもよかった。
生きて、そこにいる。
それだけで、
お互いの存在が、
生きる理由そのものになった。
厳しい砂漠。
しかし、
彼らの周りだけには、
確かな温もりが流れていた。
ある日のことだ。
少年は、
遠くの街へ行かなければならなくなった。
ラクダの脚では、
もうその過酷な長旅には耐えられない。
少年は、
一本の枯れたサボテンの前にラクダを立たせた。
「ここで待っていて。僕、必ず戻ってくるから。新しい水と、美味しい草をたくさん持って、絶対に帰ってくるから」
ラクダは静かに鳴いた。
わかっている、
と伝えるように。
それが、
二人の約束になった。
少年は歩き出した。
何度も振り返り、
手を振った。
ラクダはその姿を、
じっと見送った。
少年の姿が地平線の彼方に消えても、
ラクダは動かなかった。
数日が過ぎた。
一週間が過ぎた。
激しい砂嵐が吹き荒れ、
灼熱の太陽が照りつける。
ラクダの体力は、
とうに限界を迎えていた。
一歩でも動けば、
日陰を探すこともできたはずだ。
しかし、
ラクダは一歩も動かなかった。
なぜなら、
ここが約束の場所だからだ。
自分が動いてしまえば、
戻ってきた少年が迷ってしまう。
ラクダは待ち続けた。
渇きに耐え、
飢えに耐え、
ただ少年の帰りを信じて。
やがて、
ラクダの大きな瞳から、
一滴の涙がこぼれ落ちた。
砂に吸い込まれるその涙は、
悲しみの涙ではなかった。
少年を想う、
深い、深い愛の証だった。
ラクダはそのまま、
静かに息を引き取った。
立ったまま。
少年が帰ってくるはずの、
東の空を見つめた姿勢のままで。
少年がその場所へ戻ることはなかった。
旅の途中、
少年は激しい熱病に襲われた。
激しい渇きと痛みのなかで、
少年が最期まで呼び続けたのは、
両親の名前ではなかった。
あの老いたラクダの名前だった。
「待っていて……。今、行くから……」
少年は、
遠い旅先で、
一人静かに命を落とした。
約束は、
永遠に果たされないまま、
砂の中に埋もれた。
あまりにも切ない。
あまりにも理不尽だ。
なぜ、
必死に生きた二人が、
こんな結末を迎えなければならないのか。
神を呪いたくなるような、
残酷な現実。
しかし、
私たちはここで立ち止まって、
考えてみなければならない。
彼らは本当に「不幸」だったのだろうか。
少年は、
誰にも看取られずに死んだ。
しかし、
彼の心には、
自分を待ってくれている存在がいた。
誰かのために命を燃やす喜びを知っていた。
見捨てられた孤独な子供ではなく、
一頭の友を救うための、
勇敢な旅人として彼は旅立ったのだ。
ラクダは、
孤独に息絶えた。
しかし、
その心は最後まで満たされていた。
誰の役にも立たないと捨てられた老いた命が、
最後の最後まで、
一人の少年を支え、
信じ抜くという大役を果たした。
裏切られることのない、
絶対的な信頼のなかで、
ラクダは生涯を閉じた。
彼らの命は、
決して無駄ではなかった。
あなたの胸の奥にある、
その温かいものは何だろう。
私たちは日々、
効率や成果を求められる。
役に立たないものは切り捨てられる、
あの砂漠のような現実を生きている。
心が折れそうになる夜もある。
自分には価値がないと、
うつむく日もある。
けれど、
この物語を読み終えた今、
あなたの心には何が残っているだろうか。
結果がすべてではない。
誰かを信じること。
誰かのために、
今日を懸命に生きること。
彼らが遺した目に見えない「何か」が、
今、あなたのなかで静かに熱を帯びてはいないだろうか。
彼らはもういない。
しかし、
彼らの生きた証は、
いま、これを読んでいるあなたのなかに、
確かに受け継がれた。
さあ、
深呼吸をひとつ。
私たちは、
この乾いた世界を、
どう生きていこうか。

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