【すずたく思考実験】 投票② 投票率の低下は本当に悪なのか -国民の投票行動を脳科学で分解してみた-
前回の振り返り
すずたくです。
「投票」という概念について考える思考実験シリーズの2回目です。
前回は、現代の投票という行動って、あまり「政治に参加している実感」がないよね、ということを、たらこの粒に例えて考えてみました。
実感がなければ、投票に行く足も重くなり、投票率が下がっていくわけです。
実際に日本では、国政選挙の投票率は右肩下がりで、かつ年齢層別に見ると、若年層に移るにつれ、投票率が低くなる構成になっています。
でも、投票率が下がることは、具体的に何が問題なのでしょうか。
投票率は、本当に、国民の参政意欲の高さを表す指標といえるのでしょうか。
今回は、ここをきちんと整理してみたいと思います。
投票率ってそもそもなんだろう
投票率ってなんでしょうか。まずそこからおさらいしましょう。
計算式はこんな感じですよね。
投票率=実際の投票数/有権者数(%)
つまり、投票率が下がるケースとは、分子である実際の投票数が減る、
あるいは分母である有権者数が増えた場合に起こる現象ということです。
人口減が進むわが国においては、分母の有権者数は右肩下がりのトレンドを維持しています。
もちろん人が減れば投票数も減るのが自然ですが、実は、実際の投票者数は、人口の減少スピードと比較にならないレベルで急激に減少しています。
つまり、物理的に人がいなくなっている以上に、「自分の意思で投票所に足を運ぶ人」が、猛スピードで消え続けているということです。
では、投票数が減るとどのような問題があるのでしょうか。
デメリットは大きく二つあるのですが、それについて考えていきましょう。
低投票率は偏りを生む
一つ目は、母数が減ることによる弊害です。
物事を投票で決める際、母数が減ると、必ずしも社会の総意でない意思決定がなされる可能性が高まります。
たとえ話で考えてみます。
30世帯の町内会で、年末の忘年会のイベント内容に対する投票を行うことを考えてみましょう。
事前にイベント案は決められていて、あとはみんなで投票して決をとるだけです。
しかし、たまたま投票の当日、インフルエンザが大流行して、公民館に集まったのは3人の若者だけという状況になってしまいました。
無惨にも、投票率は10%というありさまです。
それでも投票は決行されました。なぜなら皆、再度公民館に集まるのが面倒だったからです。
結果、若者3人がノリで投票した、サバイバルゲーム案が採用されることになりました。
当然、家で療養していた人々からは、「えっ、忘年会でサバイバルゲームするの?」「そもそもサバイバルゲームって何?」
という反応が返ってくるでしょう。
実際やってみたら、意外と楽しめたという感想も出てはくるでしょうが、
皆、心の中では、普通の忘年会がよかったな、と思うわけです。
つまり、社会全体の話なのに、特定の少数者が求める案が通ってしまったりするリスクがあるということですね。
二つ目は、世代間格差の問題です。
投票率が世代間によって差があるため、投票率の高い世代が求める政策が優先される、ということです。
特定の世代層に支持された政治家の割合が増えることで、
その層の医療費を下げたり、税率を下げたりする法案が優先的に提出、審議され、成立するみたいな感じです。
つまり、他の世代層が割を食うということです。これは社会全体として、とてもアンバランスな状況と言えますよね。
まとめると、投票率が下がると、投票結果が全体最適にならなくなるということです。
でも、どうして投票率は、年齢層が下がるにつれて低くなる傾向を示すのでしょうか。
実は、この傾向は日本だけでなく、世界的にも一般的な現象なのです。
若者は「今」を生きている
若者は、「今、この瞬間の欲求を優先する」傾向があると言われます。
脳には、本能(アクセル)を司る「大脳辺縁系」と、理性(ブレーキ)を司る「前頭前野」という部位があるのですが、
実は、このブレーキ回路である前頭前野は、20代半ばくらいまでは未完成で、完成後もしばらく使いこなせないのです。
逆にいうと、人間は年を取ることで、徐々に「ブレーキ」の使い方が上手になり、理性が優勢になっていきます。
将来が不安になり、社会システムによって自分たちの生存確率を高めたい思いが強くなっていくんです。
つまり、本能優位の若年層にとっては、極限まで手ごたえの薄まった、現代の「投票」イベントは、行動の選択肢に残りにくいんです。
たとえ話でいうと、
若者と老人が食事をするとして、
彼らの目の前に、主食の白ご飯と、選択制のおかずである、たらこ一粒と、ステーキが並んで置かれているようなものです。
たらこ一粒は、もはやおかずとは言えませんが、
たらこ一粒には不思議な力があって、食べ続けると長寿になれるという伝説がある世界だったとします。
多くの若者は迷わずステーキを食べるでしょう。なぜなら、今すぐに、至高の満足感が得られるからです。
そして、多くの老人は、味はしないけどご利益があると思って、たらこ一粒を食べるはずです。
残された時間を、できるだけ有意義に不安なく過ごしたいからです。
ここで、たらこ一粒とは投票、ステーキはSNS、ゲーム、友人との時間、などの娯楽や活動を指していると考えてみてください。
これは、どちらの選択が優れているという話ではありませんよね。
人は、その状況に応じた最も合理的な判断をする生き物なのです。
若者は今を生きているのです。
投票率はただの数字である
ならば、投票率の数字を「ただ」上げるのは、とても簡単ですよね。
若者にとって、投票所に行く方が合理的になるようにするだけです。
投票にいけば「ポイント」や「景品」がもらえるようにして、行かなければ翌年度の税率が上がるみたいな仕組みを作ればいいのです。
財政的な収支バランスもとれて、投票率も上がって、言う事なしですね。
でも、それで本当に問題は解決するとは思えません。
損得勘定だけで投票に行く人が増えるだけです。
ここまで考えてきて思うのは、
投票率というのは、確かに分かりやすくて使い勝手のいい指標なのですが、
それは、物事のある一面を切り取って示しているだけに過ぎないということです。
若年層の投票率が低いという事実は、明らかです。
しかし、それが単純に、若者がこの国の未来について何も考えていないということを意味しているのではなく、
中には、「関わった実感が持てない仕組み」に対して、合理的に距離を取っているケースもあるのではないかということです。
つまり、その数字から「質」を測ることはできないということです。
それでも直接民主主義には戻れない
前回の記事で、古代ギリシアのアテナイでは、政治が直接民主主義という仕組みで行われていた話をしました。
みんなが集まって、顔を出して、議論して、その場で決める。
つまり、「自分が参加している」という実感が、非常に強い仕組みだったわけです。
その仕組みが間接民主主義に置き換わった理由は、システムの問題というよりも、単に人数が増えすぎて、物理的に実行困難になったからでしたが、
その改革により、「参加している実感」が大きく薄まってしまう結果を生みました。
しかし、もはやその物理的制約は、ITなどを使えば解決可能なようにも思えます。
では、直接民主主義に戻せばすべては解決するのでしょうか。
現実的ではないでしょう。
なぜなら、時代が変わりすぎたためです。
社会システムが複雑化したため、常時、大量の法案をさばき続ける必要があり、
全員が参加しなければ意思決定できないという仕組みでは、世の中が回らなくなってしまいます。
さらに、「政治」よりも面白いものは、すぐに手の届くところにあふれかえっています。
なかなかに難しい状況ですよね。
このような状況において、公平な政策を実行していくために、投票という仕組みはどうあるべきなのか、
次回は、その辺りをさらに深掘りしていきたいと思います。
次の記事はこちらです。
では逆に、投票率を追うことをあきらめた世界があったらどうなるか、というテーマで寓話を書いてみました。
短めで、最後にクスっと笑えるショートショート風寓話です。よろしかったらぜひお読みください。
少しでも面白かった、考えてみたくなったと思ってもらえたら、ぜひ「スキ」で教えてください。励みになります!
ではまた。

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