鈴木さん、いい写真に辿り着いたみたいですよ
以前のエントリで述べた通り、人の技術の成長曲線は必ずしも一定ではない。むしろその多くは、しばらく停滞したと思ってはあるとき急にレベルが上がって…の繰り返した。ゆえに成長を果たした人の眼前にはしばらく高原(プラトー)が広がっており、これが多くの人にとって挫折の要因になっているのは論を待たない。

そんな高原の中にいて、悩んだり落ち込んだりもがいたりした1ヶ月だった。お気楽な趣味ではあるけれど、お気楽なりに試行錯誤しているのだ。あるいは気付かないうちにお気楽な趣味ではなくなってしまったのかもしれない。これが趣味ではなくてなんと呼ぶだろうか。活動とか?
そう、僕は写真をプロとして撮っているわけでもなければ、賞に応募してどうこうというような目論見を抱えているわけでもない。
ただ、ただシャッターをパシャパシャ切って遊んでいるだけの趣味人だ。それでも趣味でやっている以上、あるいはだからこそ、上手くなりたいと切に思う。撮るたびに「こうじゃね〜〜」と思うし、「なんでももっとこうならないんだ?」ともどかしい思いをする。
プロじゃないからこそ納期は無制限で、クライアントは自分(という変にこだわりが強くてどうしようもない客)で、無報酬なのだ。
少なくとも向上心がある限り、自分の中には常に理想があり、その理想が現実との間のギャップを顕在化させる。
ギャップ。
それが無視できないくらいには僕は趣味に真剣(マジ)なのだ。賞に応募したり、それでお金を得たりしないからこそ、写真が面白い。評価も点数もないからこそ、自分と写真(世界の見せ方)の対話になっていく。
僕はずっとjpegで写真を撮ってきた。なぜなら趣味だから。別に人を喜ばせるためにやってないし。自己満足だからいいでしょ、みたいな。一人暮らしがフライパンから直接おかずを食べてるような感じだ。別にいいでしょ、って。
ところがギッチョンチョン。自分のjpeg撮って出し写真を見て、「これはもう、これ以上俺に先はないな」と思い、ちゃんと勉強しないと一生このままかもしれない(それはそれで悪いことではないけれど、納得いかない)から勉強しようと思った。
それでもう、RAWしかないと。笑
1ヶ月、とにかくRAWで撮って、自分なりに工夫したり本を読んだりYouTubeを見たり、好きな作家さんの写真集を見たりして写真が良くなったと感じた。そう、僕の写真は良くなったのです。えへん。

コップの写真を撮った。
水が入ったコップはいつだって素敵だから撮る。僕が憧れた「なぁんか良いんだよなぁ?!」と感じてきた優れた写真たちが持っている、情報量っていうか、シズル感っていうか、作品としての圧っていうか、そういうのがちょっぴり出てきた気がする。
出てきた気がしませんか?!

こちらも同じく。
15年前のオールドコンデジでRAW撮影して現像、Liitでも調整。
オールドコンデジの方が僕のやりたい高橋ヨーコ的なフィルムライクな感じが出しやすい。だから多分僕がやりたい写真っていうのはオールドコンデジが最適解なのだ。(じゃあS9はどうすんねん)

漫画『呪術廻戦』で主人公の虎杖が必殺技「黒閃」を決めて、一度「黒閃」を決めたことによってコツを掴み、それから連続して「黒閃」が出せるようになったみたいに、一度上手く撮れるとそれ以降もするする撮れるようになってきた。写真は泳ぎ方や走り方と同じで感覚的な部分が強い。
だから泳ぎ方みたいに一度掴めるとそのまま「いける」要素があるのかもしれない。

上手く撮れると面白い。
最近は「ちぇっ」ってなってたこともあったけれど、今は面白い。
面白いともっと撮りたくなる。もっと撮ると、もっと上手くなる。僕は高原を一つ超えたみたいだ。


今日はここまで。
