降霊術としてのジャズ。吉田隆一×石田幹雄ライヴ@西荻窪アケタの店2025年4月4日。

その夜、アケタの店でかれらの演奏によるThelounios Monk のReflections の演奏を聴いて、そのとぼけて軽妙で楽天的な主題が繰り返され、ひらりとBメロに乗り移って内省的感想を加えながらまたふたたびAメロに戻り、朴訥な音楽的独白を淡々と続けてゆくさまにぼくは、あぁ、良いなぁ、とおもった。ライヴの後、くつろいでおられるピアニストの石田幹雄さんにぼくは問いかけた、「もしかしたらモンク はあの曲(Refrections)を、けっこう時間をかけて書いてるかもしれませんね。」実はぼくのこの言葉には前日譚があって、かつてぼくはモンクは作曲が素早かったんじゃないかしらん、と石田さんに問いかけた。そのとき石田さんは答えた、「う~ん、もしかしてメロディは素早く書いたかもしんないけど、でも、内声はていねいに考えてたんじゃないかな。」ぼくはなるほど、とおもったものだ。そんなこともあってぼくはこの夜Refrectons を聴いて、自分のモンク観を少し改めての、問いかけにあいなった。



すると石田さんは答えた、「う~ん、どうかなぁ、時間をかけて書いてるかもしんないけど、そもそもMonk の作曲って初期に集中してんだよね。」バリトン・サキソフォン奏者の吉田隆一さんは重ねた、「最初の2枚のアルバムに全部入ってるからね。」ぼくは、あ、と小さく驚いた、薄々勘づいてはいたものの、しかしまさか最初のアルバム2枚に全作曲が収録されていたなんて。ぼくは訊ねた、「ってことはモンクはキャリアのそうそうで、はやばやと作曲を止めちゃったってことですね。モンクになにが起こったかしらん?」ふたりは笑って肩を竦めた、「それはわかんないよね。」


作曲家-ピアニストであったはずのモンクが、ある時期を境に、もっぱらかつて作った自作を繰り返し演奏する演奏家になって残りの人生を生きる。いったいかれになにが起こっただろう、とぼくは考えずにはいられない。だが、考えたところで謎は謎のままである。むかしからぼくにとってセロニアス・モンクは燃え落ちる夕陽を眺めている人というイメージがある。ぼくはますますそうおもう。



ジャズ・ミュージシャンは自作を演奏するのみならず、ジャズ・ファンならば誰でも知っている曲をも演奏し、その解釈と表現でリスナーを魅了せんとする。まるで降霊術である。ただし、ここで下す霊はその曲を残したミュージシャンの霊というよりも、むしろその楽曲の霊ではないかしらん。しかもミュージシャンは降りてきたその霊に憑依して、ときにはその霊が生前たどり着けなかった境地まで旅をする。しかも吉田隆一さんも石田幹雄さんも優れた作曲家であり、かつまた卓越した演奏者であるからなおさらである。この夜の演奏に、一方のソロを他方が伴奏でサポートするような箇所はほとんどなく、むしろふたりのソリストが、互いの出す音に反応しながらも、それぞれの表現を平行して展開してゆくさまがスリリングだった。



なお、この夜の吉田隆一さんはPhilip. K. Dick ”Valis” とプリントしてある黒のTシャツを着てらした。余談ながら、この夜の最後の曲、石田幹雄さんの6/8拍子の曲『永遠の赤霞』の演奏を終えた瞬間、吉田さんの(使い続けて15年めだとおっしゃる)バリトン・サックスの吹き口を支えるふたつの金具のうちのひとつが剥がれてしまった。したがって、この夜の演奏にアンコールはなかった。名うての降霊術師とて、たいへんな仕事なのである。



ぼくは興奮も冷めやらぬままアケタの店を出て西荻窪へ向かった、この夜の演奏曲目Billy Strayhornの Star Closed loversを脳内で聴きながら。



いいなと思ったら応援しよう!