【音楽の可能性】炎のような表現力。氷のかけらのように輝く音色。変奏曲のように知的なアドリブ。現代音楽も色を失うジャズの形。ー石田幹雄さんのピアノ・ソロ。@渋谷・公園通りクラシックス。2025年4月19日。
五分刈りでうっすら髭を生やした痩せたピアニストが
普段着のままで、イントロの半音階を使った不安定な
メロディを弾きはじめたとき、
あなたはスクリャービンの記憶を蘇らせるけれど。
でも、そんな認知はいまこのときを
取り逃してしまいかねない。
この揺らぎ移ろうメロディは、
長調と短調のあいだを揺れ動き、
どんな調に帰着するか期待させながら、
しかし、答えは与えられないその宙ぶらりんのなか、
スリルを持続させながらえんえん続いてゆく。
ジャズが究めてきた代理コードが最大限に活用され、
ともすれば半音階も導入され、
調はエッシャーの絵画のように反転を続ける。
まさに作曲家-ピアニストにしかなしえない創造的な音楽世界だ。
音色は明快、タッチは力強い。
ときに暴力的なほどの迫力を備えながら、
しかし、丸く優しい綿毛のような音色もまた、
演奏箇所によっては差し挟まれる。
石田さんはペダルをあまり使わないものの、
しかし、柔らかい音色のフレーズのときの
ペダリングはきわめて精妙だ。
チェリストのカザルスが弾いたバッハの記憶をあなたは蘇らせる。
カザルスはスペイン内戦に参加し、
バッハをまるでジミ・ヘンドリックスのように表現した。
なんて異様なバッハだろう。
内戦の体験はカザルスの音楽表現を変えてしまったのだ。
しかし、いま展開され生成してゆく作曲家ーピアニストの音楽には、
そんな言葉さえも邪魔になる。
ピアニストの音色は力強くの明快で、
急流を流れる水が岩に当たり、
飛沫をあげながら、
勢いよく流れ乱舞し続ける。
ただし、その音はまるで
大きな氷の塊を鑿で削ったように光輝いている。
リリシズムとカオスが共存している。
あなたの耳は若き日の高橋アキさんが演奏した、
クセナキスの『ヘルマ』をおもいだす。
そしてその『ヘルマ』を連想させる演奏は、
やがてセシル・テイラーの演奏に変化してゆきもする。
あるいはジャズと現代音楽のボーダーレスな創造性は、
作曲家-ピアニストの三宅榛名さんに通じるものがある。
また、ここで浮上するのがエリック・ドルフィーであって、
ドルフィーは石田さんにとって
大切なミュージシャンのひとりではあるでしょう。
しかし、そんな形容もまた、
いまここで生成される音楽には不要なもの。
なぜなら、いまこのときが逃げてしまうから。

アドリブと一言で言っても、世間にざらにあるアドリブは、
曲に対してなにかの音階をもってきて、
その音階を上がったり下がったりジグザグに活用したりするもの。
もちろんかのチャーリー・パーカーをはじめ、
その華麗な魅力には尽くしがたいものがある。
それに対して、石田さんのアドリブは、
音楽構造そのものを即興で変化させ続けるもの。
これは和音と旋律を同時に扱えるピアノならではのもので、
しかも、石田さんは作曲家でもあるゆえ、
その可能性を最大限に活用する。
石田さんは温和で物静かな人柄ながら、
しかしながら演奏中の顔はゴルゴ13とルパン三世を
足して2で割ったような表情になる。
しかもこのインテンシヴな演奏は、
なんと一曲30分以上にわたって続くのだ。
退屈してしまう瞬間など一切ない。
なお、第二部の演奏は、
石田さんのピアノ・ソロ・アルバム『時景』のなかから選ばれた、
オリジナル曲数曲をショウ・ケース的に並べ、
この日このときのインスピレーションと創造性でもって、
新しく表現したもの。
アンコール的な意味合いでこの日最後の曲は、
ビリー・ストレイホーンの、
"The Star-Crossed Lovers"で、
ロマンティックに締めくくられた。
渋谷・公園通りクラシックスはちいさくチャーミングな、
すばらしいライヴ・ハウスだ。
(そのあまりの空虚さで輝くヒカリエやスクランブルスクエア、
はたまた渋谷フクラスなんかよりも、
公園通りクラシックスの方がよほど文化芸術的価値がある。)
この日の観客たちは、
この一流にスリリングな演奏を独占できたこと、
そのよろこびをおそらくみんな誇らしくおもったろう。
ぼくのそばの席にはご高齢の上品な女性が座ってらした。
少しおしゃべりすると彼女は、かつてはピアニストだったそうで、
彼女は石田幹雄さんの大ファンだった。
ぼくがいまここで書いたような印象を語ると、
彼女はぼくが参照したミュージシャンをひとり残らずご存じで、
にこやかにうなずいてくださった。
ぼくは心のなかで彼女を、
「公園通りクラシックスの貴婦人」と呼び、
ぼくは言った、「またこの場所でお逢いしましょうね。」
もしもこの石田幹雄さんのピアノ・ソロを、
たとえば上野の芸大奏楽堂や、神奈川県立音楽堂、
はたまた東京文化会館やすみだトリフォニー・ホール、
あるいはサントリー・ホールで聴けたなら、
東京~横浜は世界に誇れる芸術都市になれるのに。
しかし、われわれはみんなとっくにあきらめている、
ざんねんながらそんなことを起こせるほどの力は、
いまの日本の音楽シーンにはない。
いいえ、そんなことはどうでもいい世俗的なこと。
あなたは記憶のなかでかれの演奏を蘇らせる。
いまかれはふたたびイントロの半音階を使った不安定な
メロディを弾きはじめる。
しかし、その演奏はけっして、
同じ小道をたどらない。
かれの音楽は、演奏のたびに、
つねに新しく蘇るのだ。
石田幹雄さんは東京・西荻窪アケタの店を本拠地に、
ときどき新宿ピット・インにも出演なさる。
(ピット・インでの観客はなんと西洋人が8割だ。)
他方、渋谷・公園通りクラシックスでの
石田さんの演奏は、他の場所での演奏とは違う、
石田さんの西洋近現代音楽の文脈で実験がなされる。
石田幹雄さんの創造性のもうひとつの可能性が示される。
