山の辺の道 古代の王も二上山に沈む夕日を見ただろうか【紀行文】
邪馬台国論争にも関係する黒塚古墳へ
不思議な霊気漂う奈良県天理市にある石上神宮を後にし、私はさらに自転車を走らせ、山の辺の道沿い、桜井市方面へと向かった。
行き先は、天理市の柳本町に所在する国指定史跡の黒塚古墳である。その石室からは三角縁神獣鏡をはじめとする大量の鏡や、鮮やかな赤い顔料である辰砂が付着した木棺が発見された。


大量の鏡と石室一面にちりばめられた朱。
当時大変貴重な朱がこのようにぜいたくに使われたこの石室に眠る主は、どのような人物だったのであろうか。
33面もの三角縁神獣鏡が埋葬された当時のままに見つかったこの遺跡は、邪馬台国論争にも関係してくるという。

発見当時の状況を精密に再現した展示館内の石室は、ぜひ見ていただきたい。古墳出現期に登場したこの黒塚古墳の石室は、恐らくその後各地に造られていく前方後円墳のモデルとなったと思われる。

山の辺の道沿いにある古代史跡へ
黒塚古墳の周辺には、数多くの古代遺跡が点在している。
奈良盆地を形成する春日断層崖沿いに形成された、古墳時代前期のオオヤマト古墳群。ここには、箸墓古墳・景行天皇陵・崇神天皇陵・黒塚古墳・中山大塚古墳など、初期ヤマト王権の中枢を担った人々の墓が集中している。
黒塚古墳のすぐ近くには、巨大な前方後円墳である崇神天皇陵が荘厳な姿を見せており、その規模の大きさに圧倒された。
古代において、これほどの巨大な土木工事を成し遂げるだけの力、そしてそれを担った人々の数は、一体どれほどであったのだろうか。


また、崇神天皇陵の近くには、伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)という古社もあった。崇神天皇により創建されたとされる延喜式にも名がある神社であるが、中世には天満社として柳本の地における信仰の中心であったようだ。


参拝者はおらず、静かで落ち着いた神社であり、しばし旅の疲れを癒し、社殿傍らに美しい花をつけ始めた桜の木の下で佇んだ。
戦艦大和ゆかりの大和神社へ
崇神天皇陵と伊射奈岐神社を訪れたあたりで、そろそろ天理駅に戻ることとした。日も傾きかけ、平坦な盆地とはいえ、それなりに起伏のある盆地沿いの道を自転車で走るのは、なかなか体力がいる。
天理市に向かう途中にあった、大和神社にも立ち寄った。
この大和神社は、かつての巨大戦艦「大和」の守護神としても知られた、日本最古級の神社である。境内には水の神を祀る社があり、こちらも多くの人々の深い信仰を集めているようだった。


大和神社のHPには「大倭神社注進状にも記載され丹生川上神社上社の本社」とあった。竜神として著名な丹生川上神社上社の!?と驚くが、一つの説であるようだ。

山の辺の道から二上山の鞍部に落ちる夕日
この日は春分の日。
気温は10度を下回り、涼しいというよりも少し肌寒さを感じる陽気だったが、昼過ぎから自転車で駆け回っていたため、足は悲鳴を上げ、体は汗ばんでいた。
山の辺の道を天理に向かって帰るとき、ふと二上山が見え、その鞍部に夕日が沈むことに気づいた。
二上山の鞍部に夕日が沈む光景は、昨年私が當麻寺に伺った際、中将姫がその夕日を見て感銘を受け、あの有名な當麻寺曼荼羅を織り上げたとされている伝説と結びついている。
その姫が見たであろう仏の姿を、私もいつか見てみたいと思っていた。
調べてみるとどうやら、この崇神天皇陵から二上山方面を眺めた時に、ちょうど鞍部に夕日が落ちるらしい。時刻はまだ午後5時前であり、日没まではまだ時間がありそうだった。
しかし、いずれこの太陽が二上山の鞍部に沈むであろう美しい光景を想像することはできた。
実際に、二上山の鞍部に落ちる夕日の写真を検索してみた。それは古くから万葉集にも詠まれたように、神秘的な力を感じさせるものだった。
その特別な瞬間に、この山の辺の道に身を置くことができただけでも、幸運だと思った。
かつて當麻寺を訪れ曼荼羅を見た紀行文をリライトしたこちらもどうぞ。
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